のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

母の命日と、N響コンサート

2013-07-31 12:15:38 | 日記

 一昨日(7月29日)は、母の21回目の命日だった。

 母が亡くなって、もう21年も経つのか‥。

 でも何年経っても、母はいつも私の心の中にいる。

 

 去年のブログにも書いたけれど、母は本当に≪子孝行≫の人だった。

 70歳で最初の入院をしてから、それまではとりわけシッカリ者だった母が、子どもに帰ったように、とっても“可愛く”なった。

 ちっちゃくなった母がオマルにちょこんと坐っている姿なんか、私は愛しくて抱きしめたくなるくらいだった。

 入浴のときは、母の両手を引いて後ろ向きに歩いてお風呂場まで行くのだが、私はその時、ちっちゃい我が子の手を引いているような感じさえした。

 とは言え、母は、頭のある部分は最後までシッカリしていて、私たち子どもは、母のユーモアあふれる言葉に、いつも笑いをもらっていた。

 (これも、去年のブログに書いたかも知れないけれど‥)ある年の母の誕生日に、誰かが「お母ちゃん、何歳になったんだった~?」と尋ねた。

 その頃の母は、歳や日付などについては、少し覚束なくなっていた。 (私は今すでに覚束ないが‥)

 母はしばらく、考えるともなく考えているふうだったが、やがて毅然と、でも少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、言い放った。

 「親の年齢くらい、子どもはしっかり覚えておきなさい!!」

 仰せのとおりデス!参りました!

 私たちは顔を見合わせて大笑いした。

 そんな事が、他にもいろいろあった。

 

 母は、不自由になった体・生活を恨むことも嘆くこともなく、いつも穏やかに病床にいた。

 それが、子どもにとって、どれだけ心癒されるものだったか‥。

 最後の1週間くらいは喋ることができなくなったが、母は最期まで安らかに病床で過ごし、そして安らかに逝った。

 

 (田舎でもこの時期よく咲いていた公園の花を載せて、母を偲ぶよすがとします。)

              

 

 

      


 

 

 

 母の命日の27日の夜は、かねてよりチケットをとっていた、≪N響コンサート≫だった。

        

 

 N響(NHK交響楽団)の演奏会には、私はまだ一度も行った事がない。 (テレビでは何度も聴いているけれど)

 一度N響の演奏をナマで聴いてみたいと前々から思っていたところに、今回のコンサートのことが耳に入った。

 しかも指揮者は、(これも前から一度ナマで見たいと思っていた)尾高忠明さん

 そしてピアノが、新進気鋭のピアニストの萩原麻未さん

 彼女は、2010年のジュネーブ国際コンクール(ピアノ部門)で、みごと優勝されている。

 このコンクールは、年によっては1位を出さないことも多い、なかなか厳しいコンクールなのだそうだ。

 (事実、萩原さんの優勝は、8年ぶりのことだったとか。)

 なので、彼女のナマのピアノも、ぜひ聴いてみたかった。

 

 コンサートは、27日の夜7時から。

 夜のコンサートは(老いた身には)ちょっと辛いところもあるが、コンサート会場が、私の家から歩いて行ける、(阪急インターナショナルホテル内の)

≪梅田芸術劇場≫なのはラッキーだった。

        

 

 梅田芸術劇場のメインホール(大ホール)に行くのは初めてだった。

 (と書いてから、芸術劇場を「飛天」と言ってた時代に、1度は行ったような気もしてきたが‥。)

 次の写真は、メインホールの中から玄関付近を写したもの(左)と、コンサート会場の天井(右)。 

      

 

 この日のプログラムは、モーツアルトの≪ピアノ協奏曲・第20番≫と、ブラームスの≪交響曲・第1番≫。

 どちらも、(多分)ナマでは聴いていない曲だ。

 萩原さんのピアノもヨカッタが、私が何より感動したのは、N響の音の素晴らしさだった。

 4種(5種かな?)の弦楽器が奏でる絶妙のハーモニー♪

 そこに管楽器や打楽器が加わって、音の世界に、ボリュームと深みが加わっていく!

 さすが≪N響≫!って感じがした。

 それにちょっと下卑た話になるが、普段はテレビでしか見ていない、素敵なコンサートマスターやチェロの第1奏者、フルートやオーボエ奏者の方々を

(もちろん、尾高さんも)、ナマで見ることができたのは、とってもウキウキ幸せな気分だった。

 その日のアンコール曲は、次の2曲。

          

 萩原さんは、「詩人は語る」を情感を込めてしっとりと力強く弾いてくださったし、「ディベルティメント」では、N響の管楽器の美しすぎるハーモニーを堪

能することができた。

 美しい音に包まれて、とっても幸せな夜だった♪

 

 外に出ると、インターナショナルホテルの周りには、イルミネーションが輝いていた。

 私の好みのイルミネーションというわけでもなかったが(それに写真の出来もイマイチ)、1枚載せておきます。

             

 


性懲りもなく‥2) ≪祭りのあと≫

2013-07-28 12:29:30 | 日記

 今日は日曜日。

 ホントは公園行きはお休みなんだけど、朝がちょっとだけ涼しかったので、出掛けることにした。

 出掛けると、写真を撮る。 写真を撮ると、ブログを書く。 性懲りもなく‥。

 ホンマにしゃあないな‥。

 

 今朝の公園と付近の花たち。

         

 

 

 公園の近くのマンションの1階に、いつも花を綺麗に育てておられるお宅がある。

 今年も、夏の花・ノーゼンカズラが綺麗に咲いた。

 それ以外のお花も。

         

 

 中津小学校の方に回ってみる。

 学校の塀の周りには、プランターにいろんな花が植えられている。

 校庭に植えられた(たぶん)ウリの実が、大きく育って外にまではみ出している。

 フウセンカズラが涼しそう!

            

 

            

             

 

 別のところでは、菊によく似た花が、色を違えて咲いていた。 

             

 

 小学校の正面玄関に回ってみて、私はアッと声をあげた。

 小学校の校庭には、提灯がたくさんぶら下っている。

 ひょっとして、今日盆踊り!?

 いやいや、たぶん夕べだったのでは?

 校舎から出てこられた作業員の方に尋ねると‥案の定!

 盆踊りは夕べだったそうな‥。

 残念無念!

 知っていれば、昨日は家にいたんだし、大好きな盆踊りに、駆けつけたのに!

 そう言えば、去年も同じことがあったような…。

 よし! 来年こそは、盆踊りに参加するぞ!

 そう思いながら、片付けられる前の提灯を、写真に撮った。

 (因みに、右下の写真の「中津メロディ薬店」や「常盤漢方薬局」は、私がいつもお世話になっているお店。)

     

 


性懲りもなく‥。

2013-07-27 15:15:13 | 日記

 このところちょっと朝の公園をサボったが、昨日と今日は、いつもどおり公園に行った。

 公園に行くと、やっぱり写真を撮ってしまう。

 変わり映えのしない風景にもかかわらず、性懲りもなく‥。

 

 変わり映えしないとは言え、公園のサルスベリは、次第に花数を増してきている。

                  

 

 昨日の公園の忘れ物は‥虫取り網。

                

 そう言えば、学校はもう夏休みだ。

 蝉取りに疲れた小学生が忘れて帰ったのかな?

 今朝の公園にはもう、その虫取り網の姿はなかった。

 無事、持ち主の手に戻ったのかしら‥。

 

 公園とその周辺の夏の花たち。

         

              

 

         

 

 

 夏の花たちの中で、今ちょうど満開の、白い紫陽花を一つ見つけた。

 紫陽花の花期はもうとっくに終わっているというのに‥。

 これから花を開こうとする、ピンクの可愛い紫陽花も一つあって、びっくりした。

      

 

 

 再び、夏の花。

 今朝のサルスベリ。 (咲くのが遅い)白いサルスベリも、花の房が次第に大きくなっていた。  

      

 

 

 色の違う、3つのムクゲ。

       

      

                 

 

 公園に行く途中にある学校で、垣根の木(名まえが分からない‥)の枝がツンツンと伸びて、フェンスから頭を突き出していた。

 その姿が面白いなあ!と思っていたら、今日は垣根の一部が剪定してあった。

 剪定前のツンツンと、剪定後の、ありきたりになった垣根のさま。

     

 

 


昨日と今日

2013-07-25 16:45:11 | 日記

 昨日は久しぶりに中之島中央公会堂に踊りに行った。

 踊りの方はマアマアってとこかな!?

 でも、帰りはさすがに疲れた。

 疲れながらも、御堂筋沿いに植えられた丈の低い百日紅と、土佐堀川の夕景を写真に撮った。

     

 

 

 帰ってベランダに出てみると、ゴーヤがかなり大きくなっている。

 熟れ過ぎて黄色くなっているのもある。

 ヒョコ歪んで生長してしまった奴もいる。

 昨夕から今朝にかけて、合計6本収穫した。

 写真の一番左が今までで一番大きく生長したゴーヤ。なんと、26センチ!

             

 

 

 今日のお昼は、太極拳で知り合ったHさんと、ラマダホテルのランチバイキングに行った。

 Hさんは私より10ばかり年上だが、彼女はとっても若々しい。

 彼女のイキイキとした生活ぶり、物事への衰えぬ好奇心を、私はいつも尊敬している。

 下は、お店の様子と、最初に取った料理。

    

 

 食事をしながら2時間半以上お喋りした。

 料理もマアマア美味しかったし(バイキング代金、900円なり!)、なによりHさんと久しぶりにゆっくりお喋りできて、とっても楽しい時間だった。

 帰りに、この間見つけた路地裏の喫茶店(前のブログに書いた)が、今日営業されているかどうか、寄ってみた。

 確か、この辺りにあったはずだけど…と思いながら捜して歩いたが、それらしいお店は影も形も無い。

 私がここだと思った家は、新しい装いになっている。

 どうも、喫茶店をやめて家を改築されたらしい。

 ぜひ一度行こうと思っていたのに、ぐずぐずしている間にお店は無くなってしまった。

 ホントに残念!

 その代わり、路地裏の家々には、相変わらず夏の花が勢いよく咲いていて、私の目を楽しませてくれた。

        

 

 


滑り込み・セーフ!

2013-07-23 11:12:22 | 日記

 ここしばらく、体調イマイチ。

 朝の散歩と時々のブログはマアマアにこなしているが、それ以外は何かやる気が出ない。

 それ故このところ、家でグータラして過ごした。

 一昨日(21日)も朝から体がだるく、なかなかスッと起き上がれなかった。(日曜日のラジオ体操はお休み)

 一昨日が参議院の投票の日なのは分かっていたが、投票にもナカナカ行く気がしない。

 まあ、投票の終了時間は確か8時だから、しばらくテレビの録画でも見てユックリしようと思って過ごしていた。

 間で食事をとり、そのあとは又ぼんやりテレビを見る、を繰り返していた。

 午後1時をかなり過ぎたころ、私の頭にフッとあることが浮かんだ。

 「ひょっとして、今日は、コバケンのコンサートじゃなかった!?」

 私は慌てて、スケジュール表と(以前からとっていた)チケットを、取り出してみた。

 案の定!

 コンサートは、『21日、開演2時』と、なっている。

 時はすでに、1時15分ちょっと過ぎ! 開演まで45分しかない!

 私は一旦その日のコンサートを諦めた。

 でもチケットを見ると、聴きたい曲が目白押し。

 そこでイチかバチかで、とりあえず行ってみることにした。

 シャワーを浴び、ごく簡単に化粧をして家を飛び出し、タクシーに飛び乗って一路フェスティバルホールへ。

 ラッキーなことに、中津とフェスティバルホールは直線距離だとかなりの近さだ。

 渋滞に引っかかること(そういうことは、ほとんど無い)がなければ、10分から15分もあれば着く。 (その点でも、中津は便利なトコだ!)

 その日も、運転手さんにお願いして、なるべく信号に引っかからない道を選んで走ってもらった。

 運転手さんの努力のお陰で、車は、開演3分前にフェスティバルホールの玄関前に滑り込んだ。

 まさに、“滑り込み。セーフ!” (運転手さん、どうも有難うございました♪)

 

 この日のコンサートは、『小林研一郎の“夏休み・名曲招待席”』。

         

 

 私は去年このコンサートに初めて行った。

 このコンサートでは、“夏休み・名曲招待席”という名まえが表しているように、わりと有名な分かりやすい曲が演奏される。

 しかも曲の間で、小林研一郎さんが、分かりやすく楽しい解説を挟まれる。

 去年のコンサートがとても面白かったのと、今年のコンサートには、『モルダウ』や『ボレロ』などの好きな曲が含まれていたので、ずいぶん前にチケットを

とっていたのだった。

 

 コンサートは、期待どおり、とっても楽しく、時に心に沁みた。

 本当に、間に合ってヨカッタァ!!

 ドジな中にも、コンサートに間に合うギリギリの時間に思い出したことなど、ラッキーさに感謝!だった。

 コンサートの帰りには、(すごい余裕をもって)無事に投票も済ませることができた。

 ヒヤヒヤの一日だったけれど、結果的に、めでたしめでたし!で終わることができた。

 

 

 昨日の朝。

 ゴミ捨てのとき見上げたベランダのゴーヤが、前に撮った時よりさらに密集して青々と茂っているので、再度撮っておいた。

               

 

 今までに収穫したゴーヤは、合わせて4本。

 2本は自分で食べ、あとの2本は、公園でお世話になっているHさんにもらっていただいた。

 今も収穫間近のゴーヤが、何本かぶら下がっている。

 でも白ゴーヤは、相変わらず私の目には、影も形も見えないけれど‥。

 

 昨日は、Mさんとの食事&お喋りのため、(体調には自信がなかったが、思い切って)梅田に出た。

 そして、食事&お茶の後Mさんに付き合ってもらって、阪神百貨店のダンスグッズ売り場に行き、ダンスシューズとダンスの上着&スカートを買った。

 スカートは、丈がちょっと長くウエストが窮屈だったので(私の体型って、どんなんや!〈怒〉)修繕してもらうことにして、お店に置いてきた、

 明日は、中之島公会堂のダンスパーティの予定なので、早速、昨日買った、新しい靴と上着を着たいと思っている。

 明日は、踊れるだけの体調に戻りますように!

 

 Mさんと別れてから、一人でヨドバシカメラに向かっていると、いつもの阪急百貨店のショーウインドーが、トロピカルな雰囲気に変わっていたので、又々

お上りさんみたいにシャッターを押した。

             

 

        

 

 

 

 


ゴーヤ、食べました!

2013-07-20 17:10:44 | 日記

 昨日初収穫したゴーヤ、今朝になってやっと、料理?した。

 私は、ゴーヤの料理の中では、ゴーヤと玉ねぎとツナを、レモン汁で和えて食べるのが、今のところ一番好き。

 今朝も、昨日採った2本のゴーヤを全部使って、その料理?を作った。

             

 

 下の写真・左は、そのゴーヤ料理を含む、今朝の食卓。

 右は、ベランダでいつの間にか黄色く色づいていた、カポックの実。

           

 

 

                  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 ゴーヤとは全く関係ないけれど、最近の「日曜美術館」の“アートシーン”に登場した≪松田正平氏≫の絵が好きだったので、載せておきます。

 松田正平さんは、山口出身で、1913年の生まれ。(2004年に亡くなられた。)

 この程、“生誕100年”の展覧会が開かれるのだそうだ。

 (次に、私が好きだった4点の絵を、載せておきます。)

          

            『乾魚』 (1959年)                             バラ (1997年)

 

 

 故郷・周防灘を描いた2作品。

               

 

 一見、子どもが描いたようにも思える絵だが、詩情があってとってもステキな絵だと、私は思う。

 

 

 


こんな画家がいたなんて! “十勝の大地”に生きた夭折の画家≪神田日勝≫

2013-07-19 21:05:47 | 日記

 6月23日の「日曜美術館」で、私は又々、それまで知らなかった、素晴らしい画家の存在を知った。

 その名は、≪神田日勝(かんだ・にっしょう)≫       

           

                                        (上は、32歳の若さで逝った日勝の“未完の絶筆” 『馬』)

 

 

   

 彼は、日中戦争が始まった1937年(昭12)、東京に生まれた。

 「日勝」という名まえは、父親が、日本の勝利を祈って付けたものだという。

 しかし戦況は悪化し、彼は8歳の時、家族とともに空襲を逃れ、「拓北農兵隊」として、北海道・十勝の鹿追町に入植する。

 

 今でこそ、素晴らしい田園風景の広がる十勝だが、当時は一面の原生林で、開拓民はその原生林を、1本1本自らの手で切り拓いていかなければなら

なかった。 

 下の写真は、今の十勝地方と、日勝が入植した当時の十勝・鹿追。

             

                      

 

 北海道に入植した彼は、幼いながら開拓民の子として、厳しい労働を担っていく。

 厳しい開拓の仕事の“相棒”として、開拓民を支えてくれたのは、北の大地に生きる、力持ちで優しい、働き者の「馬」だった。

 日勝も、そんな馬をこよなく愛した。

 下は、愛馬の手綱を引く若い日勝と、馬と共に農耕にいそしむ、これも若き日の日勝。

         

 

 

 そんな彼が、のちに、愛情を込めて描いた、『開拓の馬』

              

 なんて力強く優しい馬の姿だろう!

 この絵は、一日の厳しい労働を終え、ホッと一息つく馬の様子を表しているのだそうだ。

 (右の)後足をちょっと折り曲げているのは、馬が眠くなったときにするしぐさだとか。

 そしてこの馬のお腹には、赤ちゃんがいる!

 

 しかし馬との暮らしが、いつも順調だった訳ではない。

 (上の写真の)日勝の愛馬は、ある時病気に罹ったが、日勝が診察を頼んだお医者さんが、彼がまだ少年だったことで診察を断ったため、終には死んで

しまう。

 悲しみの中で、彼が何度も何度も描いた“死んだ馬のデッサン”と、それをもとに完成させた、『死馬』の絵。

         

 馬は眠るときも立って眠るのだとか。

 馬が横たわるのは、死ぬときだけ‥。

 日勝の悲しみが、痛いほど伝わってくる。

     

 

 話がさかのぼるが、小学2年で鹿追の小学校に転校してきた彼は、すぐに“絵の上手な少年”として、周囲から認められた。

 近所で親しくしていた家のおじいさんが、日勝に頼んで描いてもらった、自分の“遺影”。

 彼の描写力の素晴らしさが、うかがえる。

              

 

 中学を卒業した後、彼は、開拓民として本格的に、一家の生活を支えていく。

 同時に彼は、貧しい生活の中でも、絵を描くことを辞めなかった。

 その彼の絵が、世間で初めて認められたのが、22歳のとき。

 開拓の厳しさは、入植した多くの家族を十勝から去らせた。その家族たちが去ったあとの廃屋を描いた、『家』(下の写真、左)

 北海道で名の知れた展覧会で、この『家』が入選する。

 更に、翌年描いた(同じモチーフの)『ゴミ箱』(写真、右下)が、“道知事賞”を獲得して、彼は画家として認められた。

      

             『家』 (22歳)                              『ゴミ箱』(23歳)

 

 道知事賞をもらった彼の喜びは大きく、なけなしのお金で袋いっぱいのリンゴを買ってきて、嬉しそうに友達にふるまったことを、当時の青年団の仲間の

一人が語っておられた。

                

 

 その後彼は結婚し、子どもにも恵まれる。

 次は、愛児を抱いた日勝と、妻・ミサ子さんの、幸せそうな写真。

            

 

 その頃から、日勝は新しい試みを始め、彼の絵に、それまでには無かった鮮やかな色彩が現れてくる。

 下は、死んでお腹を割かれた牛の姿を描いた絵。 お腹の赤とブリキの缶の青が、とても鮮やかだ。

                   

                             『牛』 (1964年 27歳)

 

 ようやく落ち着きを見せてきた日勝の生活を、1966年(昭41)、冷害が襲う。

 冷害のまっただ中で日勝が描いた、『静物』。

 『静物』の中には、いろんな食べ物も、色鮮やかに描かれている。

 この絵を見ながら、妻ミサ子さんは当時を思い出して、笑いながら言われる。

 「きっと、これだけあったらいいなあ!と思って描いたんでしょうね。あったのは、“ジャガイモ”だけだったけど…。」と。

          

                                                    現在の、妻・ミサ子さん

 

 その後も彼は、新たな色彩の試みを続けていく。

 彼の心の中の想いが、色彩として爆発したような、二つの絵。

       

        『晴れた日の風景』 (1968年)                       『人と牛A』 (同左)

 

 

 しかし、彼の次の試みは、また全く別のものだった。

 長い長い時間をかけて、緻密に描かれた、『室内風景』。

 部屋の真ん中にうずくまった男(日勝自身と思われる)と、その男の後ろに貼られた、何枚もの当時の新聞。

 その新聞も全部、日勝自身が描いたもの。

 その根気のいる緻密な作業をしながら、彼はいったい何を考え、何を求めていたのだろう?

          

 

 この絵について、この日の「日曜美術館」に、日勝ファンとして出演されていた窪島氏(「無言館」館長)は、次のように言われている。

 「この絵の“室内”は、“時代”と言いかえることもできる。この絵で日勝は、“自分と時代”を見つめ、いかに生きるかを考えているのだ。」と。

 私も、その考えに賛成だ。

 

 日勝の言葉。

    「結局 どういう作品が生まれるかは どういう生き方をするかに かかっている。

    どう生きるかの指針を 描くことを通して 模索したい。

    どう生きるかと どう描くかの 終わりの無いいたちごっこが 私の生活の骨組みなのだ。」

 

 こう語り、『室内風景』でその試みを始めたばかりの、神田日勝。

 その彼を、病が襲った。

 『室内風景』を描きあげてしばらくの、1970年(昭45)8月25日、彼は、敗血症のため、32歳の若さで逝った。

 

 過酷な開拓生活に臆することなく挑み、家族を養い幸せを築き、一方で、存在感のある絵を描き続けた、神田日勝。

 いかに生きるべきか、いかに描くべきか、を真摯に問い続け、その模索の途中で逝ってしまった‥。

 でも彼の人生は、絵を描くことも含めて、本当に充実したものだったと思う。

 32年というあまりに短い人生だったが、彼には“夭折の画家”という言葉が持つ、悲愴な感じが全くない。

 それほどに、彼の人生は、(生活者としても画家としても)まっとうで、中味の詰まったものだったと思う。

 素朴で実直な生活者にして、才能あふれる画家。

 それに、彼の画家としての挑戦は、なぜか今でも続いているような気がする。

 それは、彼の“未完の絶筆”『馬』が、未来に向かって、勢いよく跳躍しようとしているのと同じように。

 

 ≪追記≫ 感慨深いのは、神田日勝氏がまだ生きておられれば、私とそう歳が違わないこと。

        ということは、私が若さの至りでフラフラと遊んでいた頃、彼は既にあんなに地道に過酷な生活を自らの手で切り拓き、素晴らしい絵を描いて

        おられたということなのだ。

        そう思うと、彼の偉さ・素晴らしさが、本当に身近なものとして、私に迫ってくる。

        また一人、素晴らしい人に出会えた!

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

     

 

 

 


今年のゴーヤ、今朝、初収穫!

2013-07-19 15:16:52 | 日記

 今朝ラジオ体操に行く前にベランダに出てみると、ゴーヤの先端がちょっと黄色くなっているような気がした。

 そこで思い切って、初収穫!

               

 

 今朝収穫したゴーヤは、どちらも「沖縄中長ゴーヤ」という種類。

 今年はこの「中長ゴーヤ」(3本)と「白ゴーヤ」(2本)を植えたんだけれど、白ゴーヤの方は、まだ影も形も見えない。

 と言っても、忍術使いのゴーヤゆえ、今はどこかに隠れていて、また突然姿を現し、私を驚かすのかも知れないけれど‥。

 

 ところで、(写真の中の)上の細長いゴーヤが、22センチ。 下のちょっとメタボなのは、17センチだった。

 去年の初収穫はいったいいつだったのかと、これを書く前に、今までのブログをエッチラオッチラ探してみた。

 と、ここまで書いてきて、“ああ、情けなや~(涙)”

 さっき調べたばっかりなのに、いざ書こうとすると、“えっ、何日やった~!?”

 これぞ、認知症に違いない!

 もう一度調べ直すのは面倒くさいので、今年よりだいぶ遅かったんやな!と思ったことは確かだから、一応30日か31日ということにしておこう。

 

 

 写真がゴーヤだけでは寂しいので、今朝の公園&ベランダの写真を、性懲りもなく載せます。

      

                                                 季節を間違えて咲いた“藤の花”

 

       

    茅の葉っぱに取り付いたままの蝉の抜け殻

 

             

                

 

                

                  

    

 


花のアップに挑戦!

2013-07-18 14:46:52 | 日記

 今まで、私のカメラで最大限のズームにしたら、ピンボケになるだけなので、アップの写真は諦めていた。

 でも、「じゅんさん」のブログのアップの写真があまりに素敵なので、私も挑戦してみることにした。

 とは言え、じゅんさんのカメラは一眼レフ、私のはありきたりのデジカメなので(とカメラのせいにする私‥)、そう上手くはいかなかったけれど。

 以下、一昨日の朝撮った、公園の花たちのアップ(と言えるかどうか分からないけど)の写真を、列挙させていただきます。

 

      

               白いハマユウ                              百日紅(サルスベリ)

 

          

               ゼラニューム                            遅咲きの黄色いバラ

 

 

         

            純白の八重のムクゲ                               ランタナ

 

 

 今年の芙蓉の花は、とりわけ大きいような気がする。

              

 

        

 

 

 次は、名前を知らぬ花。(白と、淡~い紫)

          

 

 

 

          

           日日草(ニチニチソウ)                      可愛いフリルを付けた、ペチュニア

 

 

                  

                                 アベリア

 

 

     

          白とピンクのベゴニア                        言わずと知れた、ムクゲです。

 

       

 

 

 

 

 

 

    


二人の写真家

2013-07-16 22:26:35 | 日記

 比較的最近のテレビで、私は、二人の素晴らしい写真家の存在を知った。

 一人は、7月6日のNHKスペシャル「足元の小宇宙」に登場された、植物写真家の埴沙萌(はに・しゃぼう)さん、82歳。

 もう一人は、7月13日の「映像ファイル」≪あの人に会いたい≫に登場された、東松照明(とうまつ・しょうめい)さんだ。

 

                   * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

 先ずは、埴沙萌(はに・しゃぼう)さんから

 彼はもとは植物の研究者で、研究のために写真を撮っておられたのだそうだ。

 しかし彼は次第に、レンズの中で植物たちが見せる、さまざまな≪生命(いのち)の輝き・躍動≫そのものに、強く惹かれていかれる。

 そして、その≪生命の躍動≫を、自らの写真でなんとか表現したいと、40歳で植物写真家に転身された。

 しかも、彼が見つめられるのは、ごく身近な≪足元の世界≫であり、彼の心を惹きつけるのは、身近な草花たちの≪いのちの輝き≫なのだ。

 

          

 

 82歳の彼が、少年のような純粋さで植物たちを見つめ、嬉々としてシャッターを押していかれる姿は、見ている私をも幸せな気持ちにさせてくれた。

 長い間坐骨神経痛を患っておられる沙萌氏にとって、撮影は決して楽な作業とは言えないはずなのに、彼は本当に楽しそう!

 それほどに彼は、植物たちが見せる≪いのちの輝き≫に心揺さぶられ、そのことによって、彼自身も輝いておられるのだ。

 

 

  次に、そんな彼の、魅力的な写真の数々を、紹介します。

 

 先ずは、「シイタケの胞子のダンス」と、「ツクシの胞子のダンス」。

 シイタケやツクシが、こんなふうに胞子を出しているなんて、そのこと自体が私には驚きだった。

         

 

 

 「ヒノキの芽生えと「ススキの種の旅立ち」

      

 

 

 「タンポポと青空」と「ハートの芽生え(ホウレンソウ)」

      

 

 「カエル」

                  

                 

 

 

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 沙萌氏の活動は、長い間、妻の雅子さんによって支えられてきたが、彼女自身もまた、「野菜人形作家」という芸術家なのだそうだ。

                     

    

 彼女は、植物の特徴を生かして、とってもユニークな作品を創っておられる。

 数ある作品の中から、ここでは、「子守」と「ペンギン」、「キリン」を紹介します。(写真は、沙萌氏)

                     

          

 

 

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 ふたたび沙萌氏に戻って‥彼が特に力を入れておられる、「草花と水玉が織りなす世界」。

 この水玉は、(雨粒や露ではなく)植物が根から吸収した余分な水分を、自ら排出するものなのだそうだ。

 そんなことも、沙萌氏の説明で初めて知った。

                

        

 

 

 次は、カテンソウの雄しべと、雄しべが花粉を飛ばすさま。

 カテンソウの花は地味で、昆虫に受粉を助けてもらうこともできず、自ら雄しべがはじけて、花粉をできるだけ遠くに飛ばすのだそうだ。

 それを沙萌氏は「ピッチングマシーン」と呼ばれている。

      

 

 

 前述の「草花と水玉の織り成す世界」の中で、沙萌氏が最も好きなのは、ワレモコウの葉っぱに沁み出た水滴なのだそうだ。

 それを彼は、「ビーズのネックレス」とも「夏の夜の宝石」とも表現されている。

                 

        

 

 

 ツリフネソウの花と、ツリフネソウの鞘がはじけて種が飛び出す瞬間。

         

 

 

 最後に、カラスウリの花。

 初めは固い花が大きく開いて、妖艶な姿に変化していく。

 彼はその姿を「レースのドレスを纏ったみたい」と言われている。

 沙萌氏の写真の素晴らしさは言うまでもないが、同時に彼は、なかなかの詩人でもある。

       

 

 

 

           ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 次は、二人目の写真家・東松照明(とうまつ・しょうめい)さんについて。

 彼は昭和5年の生まれ。

 戦争の中で少年時代を過ごされた。

 戦後(昭和25年)大学に入られた彼は、真実を写し取る写真に興味を持たれ、写真部に入部される。

 

 その彼の最初の作品が、「皮肉な誕生」(1950年)。〈下の写真・左〉

 英字新聞の中から突き出された手と卵‥。

 それは、戦後日本が、アメリカに占領された中で出発せざるを得なかったという現実の表現なのだそうだ。

 その後写真家となられた後も、彼のカメラは、日本の現実の姿を厳しく追っていく。

             

 

 写真・右下が、基地の街を象徴的に表現した、「岩国」(1960年)

           

 

 

 「少年」(1952年)と、「波照間島」(1971年)

            

 

 

 「浦上天主堂の天使像」(1961年)と、「大神島」(1969年)

          

 

 

 東松氏はインタビューに答えて、自らの信念をこう語られている。

 「日本には昔から語り部という人がいました。現代の語り部として、“人間が決して忘れてはならないこと” “人間がしてはいけないこと”を、語り継いで

 いきたい」と。

 彼はその信念を貫いて、被爆地・長崎、沖縄で、写真を撮り続けられ、2012年、82歳で逝去された。

 

 

 埴沙萌氏と、東松照明氏。

 2人の写真家がカメラを向けられる対象は、真逆に近い。

 でも私は、どちらの写真家にも、強い尊敬の気持ちを抱く。

 それは、2人の写真家がともに、「生」を、真正面からとらえようとされているからだ。

 沙萌氏の、植物たちの「生命の輝き」をとらえたあたたかい写真と、東松氏の、人間の生き様・現実を真摯にとらえた、どちらかと言うと重い写真。

 どちらも、とても魅力的だ!

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 


いつもながらの‥朝の公園とその近辺

2013-07-14 13:10:11 | 日記

 ラジオ体操に合わせて、6時半に公園に着くように家を出る。

 と言っても、そこは「のんスケ」たる私のこと‥しばしば遅刻して、公園に着いたときには、もう第一体操が終わっていたりする。

 

 でも11日は、定刻に公園に着いた。

 公園の百日紅も、少しずつ花を開き始めている。

         

 

 ラジオ体操を終えると、私はキョロキョロしながら、公園内を散歩する。

 私以外にも、ワンちゃんを連れたりストックを両手でついたりしながら、散歩する人の影が見える。

 公園には時々、前日の子どもたちの楽しい遊びの忘れ物が、残されている。

 この日の忘れ物は、色鮮やかな紫色のボールだった。

               

 

 

 12日の朝。

 市営住宅の庭で、エンジェルトランペットが精力的に咲いている。

 バックは色の濃い百日紅。 いかにも夏らしい花の情景だ。

 でも、あまりに密集して咲いていると、「エンジェル」という名まえが、ちょっとふさわしくない気もしてくる。

      

 

 この日は、1歳3ヶ月の可愛い子どもを連れたお母さんが、公園に来られていた。

 子どもは本当にカワイイ!

 お母さんの了解を得て、ちょっと遠目に写真を撮らせてもらった。

               

 

 この日の公園の花。

 季節遅れでひっそり咲いた薔薇と、ビッシリ種をつけた向日葵。

          

 

 この日の子供たちの忘れものは、次の二つ。

             

 二つとも、無事、持ち主さんの手に戻りますように!

 

 ケヤキ並木では、とりわけクマゼミの声がかまびすしい。

 それを実証するかのように、ケヤキの幹は、セミの抜け殻でイッパイ!

 公園の出口の所にある白い(真ん中に赤の輪っかの)ムクゲは、花数が増えて、さながら白い蝶が舞っている風情。 (空と区別がつきにくいけれど)

             

 

 公園を出て保育園前の道を歩いていると、最近よく会う、グレーのワンちゃんとお父さんが、散歩の途中で休憩されていた。

 私は許可を得て、ワンちゃんを撮らせてもらった。

 写真を撮って分かったのだけれど、ワンちゃんは目がほとんど見えないのだそうだ。

                

 

 写真の後、私はワンちゃんのお父さんと、30分くらいお喋りしてしまった。

 お父さんは長く中津に住んでおられ、中津の事情にとても詳しい。

 ただ、話の中味は、ほとんどが病気のことと病院のことに集中した。

 ちょっと寂しい感じがしないでもないが、でもそれが今の私たちには一番必要な情報なのだ‥。


ゴーヤの忍術

2013-07-12 22:58:12 | 日記

 ゴーヤって、ホントに不思議!

 ついこの間まで、探しても探しても、ゴーヤの実は見つからなかった。 

 (前にブログに載せたゴーヤの赤ちゃんは、生長しないまま落ちてしまった。)

 

 それなのに、ゴーヤはある日、葉っぱの陰から、“突如”姿を現すのだ!

               

 

 今まであれだけ一生懸命探して見つからなかったのに‥いったい何故!?

 本当に、不思議だ!

 私にはどうしても、“ゴーヤが『忍術』を使って、隠れたり、突如姿を現したりする”のだとしか考えられない!

 

 ゴーヤの緑のカーテン作りを始めた去年、私はこのゴーヤの不思議に驚かされっぱなしだった。

 そして、それは今年も続くようだ。

 まさに、≪ゴーヤ・マジック≫! 

 ゴーヤは、素晴らしい≪忍術使い≫だ!

 

 初めは突然の出現に驚かされた私だが、今やアチコチに出現したゴーヤを落ち着いて観察できるようになった。

 今では、大分大きく太ったのもある。

 部屋の中から眺めても、緑の葉っぱの中にゴーヤの実がハッキリ見えるようにもなってきた。

            

 

 

 今分かっているだけで、8,9個くらいはあるのかな?

 否、否!!

 まだまだ多くのゴーヤの実が葉っぱの陰に隠れていて、私を驚かそうとほくそ笑みながら、出番を待っているに違いない!

   

 

     

 

 

 

 

 


歯医者さんの治療、一応終了!

2013-07-12 22:00:52 | 日記

 今週の火曜日(9日)、歯医者さんで正式の差し歯を入れてもらって、今回の歯の治療はめでたく終了した。

 差し歯代・7万円はちょっと痛いけど、致し方なし。

 これからはせいぜい歯磨きに精を出して、これ以上治療代が掛からないように、気を付けなくっちゃ!

 

 歯医者さんを出たあと、その日は西宮のお医者さんに、薬だけもらいに行くことにした。 (お医者さんのハシゴ‥(>_<))

 前日の8日が梅雨明け。

 梅雨明け以前も相当な暑さだと思っていたが、梅雨が明けた後の暑さは、それはもう比べものにならない猛烈なものだ。

 私は暑さに耐えてお医者さんに行き薬をもらった後、近くのフランス料理店「ミエル」に入って、水分補給を兼ねてランチをいただくことにした。

 「ミエル」は、周りを涼やかなピンク色の百日紅に囲まれた、なかなか感じのいいお店だった。

         

 

 

 店内もこじんまりながら、洒落た感じの造りになっている。

             

 

 

 私が案内されたのは、外が見える窓際の席。

 窓越しに、百日紅や緑の木々が見えて、心地良かった。

             

 

 

 私はランチコースを注文して、順番に出される料理を写真に撮った。

 ただ、最初の豪華だったサラダは、食い気が先だって、写真に撮るのを忘れてしまったが‥。

                    

 

                 

 

 

 さて、料理のお味は?

 「ミエル」さんには悪いけど、ちょっと期待外れだったかな‥。

 同じお値段だったら、我が中津の『ビストロ・ド・ヨシモト』の方が、ずっとずっと美味しい!!

 でもこの日は、このお店に入らなかったら、熱中症になってしまっていたかもしれないから、文句はこの位で置いておこう。

 


今まで知らなかった、日本画家≪川合玉堂氏≫の素晴らしさ

2013-07-11 23:23:20 | 日記

 「川合玉堂」の名まえは知ってはいた。

 彼の日本画も見たことはあると思う。

 ただその時は、その優しい絵に、大して心を動かされることもなく、見過ごしてしまっていたように思う。

 

 先々週の「日曜美術館」でその川合玉堂氏が取り上げられ、それを見たことで、私の彼に対する見方は一変した。

 日本のどこにでもありそうな懐かしい風景、その中で生きるごく普通のありふれた人々。

 両者に寄せる、玉堂氏の、深い深い愛!

 玉堂氏のどの絵にも、根底に、その愛が、静かに貫かれ流れている。

 (以下、順不同ですが、彼のそんな絵を、何枚か載せます。)

      

            峰の夕 (昭10)                              遠来麦秋 (昭27)

 

       

            夏川 (昭28)                               渡所春暁 (昭13)

 

         

           二重石門 (昭27)                               二日月 (明治40) 

 

 

 上の絵とともに、私が玉堂氏の素晴らしさを更に強く感じたのは、戦時下に彼が描かれた絵を見たときだった。

 昭和18年、第二次世界大戦に突入した後の困難な時代に描かれた、「山雨一過」。

 写真が小さすぎて分かりにくいが、この絵からは、戦争の難局を乗り越えて生き抜くのだいう彼の決意と、国民へのエールのようなものが感じられる。

              

 

 しかし戦況は悪化し、画家たちにも“戦意高揚”の絵を描くことが強要される。

          

 

 多くの画家が、あからさまに戦争協力の絵を描いていくなかで、玉堂氏が描かれたのは、下の「荒海」(昭19)。

           

 

 この絵には、いわれなき戦で傷つく日本の国土と、その中で生きる人々の、哀しみと苦しみが表現されているように思う。

 そして、それに決して負けまいとする強さも!

 

 彼は、学業半ばで出陣することになった若者にも、絵を送って励まされた。

 「虎は、千里行って千里帰る」の言葉とともに、若者に送られた「虎」の絵。

             

 

 しかし戦況は更に悪化し、東京大空襲で彼が長らく住まっておられた家も消失する。

 失意の中、疎開先で描かれた絵は、のどかな「早乙女」の絵(昭20)。

 そこには、戦争でいかに傷つけられようとも、日本の美しい国土と庶民の営みは決して消滅なんかしない!という彼の強いメッセージが感じられる。

                

 

 

 晩年近くなっての、彼の言葉。

    「自分は生涯好きな絵を描き続けることができて、大変幸せだった。

       ただ残念なのは、有名になりすぎてしまって、絵を描く時間が少なくなってしまったことだ。 

       もっと沢山の絵が描けたのに‥。 もっと沢山の人に絵を差し上げる事ができたのに‥。」

 

 玉堂氏の絶筆・「出船」(昭32)

              

 

 彼はこの絵を病床で描き、最後の治療をしてくれた医師に捧げて、しずかに83年の生涯を閉じられた。

 

 彼の、国土とそこに生きる人々への、力みのない、深くて強い愛!

 国土を愛し、民を愛するとは、こういうことだ、とつくづく思う。

 声高に愛国を叫ぶ今の政治家に、玉堂氏の絵をじっくり見て、考え直してほしいものだと、強く願う。

 

 

                                       

 


梅雨明けの朝の“夏の花たち”

2013-07-08 20:50:02 | 日記

 今朝の公園とその付近で見かけた、夏の花たち。

 左は、アガパンサスとエンジェルトランペット。

 右‥ノーゼンカズラが、他の木のてっぺんまで登って、咲いていた。

                 

 

 今日初めてピンクのハマユウを見つけた(左)。

 右は、名を知らぬ黄色い花と、夾竹桃。

           

 

 グラジオラスも咲き始めた。

               

 

 箒草。 花ではないけど、この優しい緑には、いつも癒されている。

                

 

 ダリアと、マリーゴールド&ケイトウ。

           

 

 白いムクゲ2種。

 左は純白の八重のムクゲ。 右は、(写真では見えにくいけど)真ん中が赤い、白の一重のムクゲ。。