のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

こんな画家がいたなんて! “十勝の大地”に生きた夭折の画家≪神田日勝≫

2013-07-19 21:05:47 | 日記

 6月23日の「日曜美術館」で、私は又々、それまで知らなかった、素晴らしい画家の存在を知った。

 その名は、≪神田日勝(かんだ・にっしょう)≫       

           

                                        (上は、32歳の若さで逝った日勝の“未完の絶筆” 『馬』)

 

 

   

 彼は、日中戦争が始まった1937年(昭12)、東京に生まれた。

 「日勝」という名まえは、父親が、日本の勝利を祈って付けたものだという。

 しかし戦況は悪化し、彼は8歳の時、家族とともに空襲を逃れ、「拓北農兵隊」として、北海道・十勝の鹿追町に入植する。

 

 今でこそ、素晴らしい田園風景の広がる十勝だが、当時は一面の原生林で、開拓民はその原生林を、1本1本自らの手で切り拓いていかなければなら

なかった。 

 下の写真は、今の十勝地方と、日勝が入植した当時の十勝・鹿追。

             

                      

 

 北海道に入植した彼は、幼いながら開拓民の子として、厳しい労働を担っていく。

 厳しい開拓の仕事の“相棒”として、開拓民を支えてくれたのは、北の大地に生きる、力持ちで優しい、働き者の「馬」だった。

 日勝も、そんな馬をこよなく愛した。

 下は、愛馬の手綱を引く若い日勝と、馬と共に農耕にいそしむ、これも若き日の日勝。

         

 

 

 そんな彼が、のちに、愛情を込めて描いた、『開拓の馬』

              

 なんて力強く優しい馬の姿だろう!

 この絵は、一日の厳しい労働を終え、ホッと一息つく馬の様子を表しているのだそうだ。

 (右の)後足をちょっと折り曲げているのは、馬が眠くなったときにするしぐさだとか。

 そしてこの馬のお腹には、赤ちゃんがいる!

 

 しかし馬との暮らしが、いつも順調だった訳ではない。

 (上の写真の)日勝の愛馬は、ある時病気に罹ったが、日勝が診察を頼んだお医者さんが、彼がまだ少年だったことで診察を断ったため、終には死んで

しまう。

 悲しみの中で、彼が何度も何度も描いた“死んだ馬のデッサン”と、それをもとに完成させた、『死馬』の絵。

         

 馬は眠るときも立って眠るのだとか。

 馬が横たわるのは、死ぬときだけ‥。

 日勝の悲しみが、痛いほど伝わってくる。

     

 

 話がさかのぼるが、小学2年で鹿追の小学校に転校してきた彼は、すぐに“絵の上手な少年”として、周囲から認められた。

 近所で親しくしていた家のおじいさんが、日勝に頼んで描いてもらった、自分の“遺影”。

 彼の描写力の素晴らしさが、うかがえる。

              

 

 中学を卒業した後、彼は、開拓民として本格的に、一家の生活を支えていく。

 同時に彼は、貧しい生活の中でも、絵を描くことを辞めなかった。

 その彼の絵が、世間で初めて認められたのが、22歳のとき。

 開拓の厳しさは、入植した多くの家族を十勝から去らせた。その家族たちが去ったあとの廃屋を描いた、『家』(下の写真、左)

 北海道で名の知れた展覧会で、この『家』が入選する。

 更に、翌年描いた(同じモチーフの)『ゴミ箱』(写真、右下)が、“道知事賞”を獲得して、彼は画家として認められた。

      

             『家』 (22歳)                              『ゴミ箱』(23歳)

 

 道知事賞をもらった彼の喜びは大きく、なけなしのお金で袋いっぱいのリンゴを買ってきて、嬉しそうに友達にふるまったことを、当時の青年団の仲間の

一人が語っておられた。

                

 

 その後彼は結婚し、子どもにも恵まれる。

 次は、愛児を抱いた日勝と、妻・ミサ子さんの、幸せそうな写真。

            

 

 その頃から、日勝は新しい試みを始め、彼の絵に、それまでには無かった鮮やかな色彩が現れてくる。

 下は、死んでお腹を割かれた牛の姿を描いた絵。 お腹の赤とブリキの缶の青が、とても鮮やかだ。

                   

                             『牛』 (1964年 27歳)

 

 ようやく落ち着きを見せてきた日勝の生活を、1966年(昭41)、冷害が襲う。

 冷害のまっただ中で日勝が描いた、『静物』。

 『静物』の中には、いろんな食べ物も、色鮮やかに描かれている。

 この絵を見ながら、妻ミサ子さんは当時を思い出して、笑いながら言われる。

 「きっと、これだけあったらいいなあ!と思って描いたんでしょうね。あったのは、“ジャガイモ”だけだったけど…。」と。

          

                                                    現在の、妻・ミサ子さん

 

 その後も彼は、新たな色彩の試みを続けていく。

 彼の心の中の想いが、色彩として爆発したような、二つの絵。

       

        『晴れた日の風景』 (1968年)                       『人と牛A』 (同左)

 

 

 しかし、彼の次の試みは、また全く別のものだった。

 長い長い時間をかけて、緻密に描かれた、『室内風景』。

 部屋の真ん中にうずくまった男(日勝自身と思われる)と、その男の後ろに貼られた、何枚もの当時の新聞。

 その新聞も全部、日勝自身が描いたもの。

 その根気のいる緻密な作業をしながら、彼はいったい何を考え、何を求めていたのだろう?

          

 

 この絵について、この日の「日曜美術館」に、日勝ファンとして出演されていた窪島氏(「無言館」館長)は、次のように言われている。

 「この絵の“室内”は、“時代”と言いかえることもできる。この絵で日勝は、“自分と時代”を見つめ、いかに生きるかを考えているのだ。」と。

 私も、その考えに賛成だ。

 

 日勝の言葉。

    「結局 どういう作品が生まれるかは どういう生き方をするかに かかっている。

    どう生きるかの指針を 描くことを通して 模索したい。

    どう生きるかと どう描くかの 終わりの無いいたちごっこが 私の生活の骨組みなのだ。」

 

 こう語り、『室内風景』でその試みを始めたばかりの、神田日勝。

 その彼を、病が襲った。

 『室内風景』を描きあげてしばらくの、1970年(昭45)8月25日、彼は、敗血症のため、32歳の若さで逝った。

 

 過酷な開拓生活に臆することなく挑み、家族を養い幸せを築き、一方で、存在感のある絵を描き続けた、神田日勝。

 いかに生きるべきか、いかに描くべきか、を真摯に問い続け、その模索の途中で逝ってしまった‥。

 でも彼の人生は、絵を描くことも含めて、本当に充実したものだったと思う。

 32年というあまりに短い人生だったが、彼には“夭折の画家”という言葉が持つ、悲愴な感じが全くない。

 それほどに、彼の人生は、(生活者としても画家としても)まっとうで、中味の詰まったものだったと思う。

 素朴で実直な生活者にして、才能あふれる画家。

 それに、彼の画家としての挑戦は、なぜか今でも続いているような気がする。

 それは、彼の“未完の絶筆”『馬』が、未来に向かって、勢いよく跳躍しようとしているのと同じように。

 

 ≪追記≫ 感慨深いのは、神田日勝氏がまだ生きておられれば、私とそう歳が違わないこと。

        ということは、私が若さの至りでフラフラと遊んでいた頃、彼は既にあんなに地道に過酷な生活を自らの手で切り拓き、素晴らしい絵を描いて

        おられたということなのだ。

        そう思うと、彼の偉さ・素晴らしさが、本当に身近なものとして、私に迫ってくる。

        また一人、素晴らしい人に出会えた!

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

     

 

 

 

コメント (8)   この記事についてブログを書く
« 今年のゴーヤ、今朝、初収穫! | トップ | ゴーヤ、食べました! »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ようこ)
2013-07-19 23:14:11
 世の中 知らないことが 多すぎます。
 もっともっと勉強しなければと思いました   遅くなりましたが 我が家の花がやっと咲き出しました へたな写真ですが お暇なときに見てやってください
ようこさんへ (のんスケより)
2013-07-20 15:10:28
 ホントに知らないことが多いです。でも知らないことを少しでも知ることができるなら、歳取るのも悪くないな!なんて思っています
 今さっきフェイスブック見せていただきました遅くなってゴメンナサイ 中野さんのムクゲ、スゴイですね くじ運もいいし
絵を描くこと、生きること (kaco)
2013-09-10 10:43:41
 さっきは電話有難う。電話の言葉を思い出しながら操作しいっててやっとこのブログを見つけました。感想はあらかた電話で話してしまったので、それは省略。下記の部分、特に共感したことを付け加えますネ。
 いかに生きるべきか、いかに描くべきか、を真摯に問い続け…(中略)彼の人生は、(生活者としても画家としても)まっとうで、中味の詰まったものだったと思う。 それに、彼の画家としての挑戦は、なぜか今でも続いているような気がする。…(中略)… それは、彼の“未完の絶筆”『馬』が、未来に向かって、勢いよく跳躍しようとしているのと同じように。

 このコメント無事届きますように!





kacoさんへ (のんスケより)
2013-09-11 21:18:12
 苦労してコメント入れていただいて、ホントにありがとう♪ それに、拙い私の文章に共感したとして引用までしていただいて、恐縮デス!でも、とってもウレシイ!本当にありがとうございました。
同感します (hidarikikidepc)
2014-11-13 00:24:10
はじめまして、神田日勝さんについて、わかりやすくまとめていらして、素晴らしいと思います。
私は最近、父の影響で神田日勝さんのことを発信しようとブログをはじめました、下記です
http://m.blogs.yahoo.co.jp/hidarikikidepc
私の父は神田日勝さんと友達だったのです
hidarikikidepcさんへ (のんスケより)
2014-11-14 11:51:42
 コメントありがとうございます。今さっきたまたまコメント欄を開いて、貴方のコメント投稿を知りました。そしてブログも拝見させていただきました。お父様が、神田日勝さんとお友だちだったとのこと‥お父様もきっと素敵な方だったんですね♪
なつぞら (TIBOR)
2019-09-04 22:42:40
朝ドラはすでに嫌いになって久しく、
有名な画家が取り上げられていて話題になっているという情報を偶然見つけたためにここまで来ました。
やっぱり朝ドラではふにゃっとした感じですが、たくましそうな画家の写真を見て納得しました。
未完の馬の絵はどこかで見た記憶があるのですが(たぶん実物ではなく)素晴らしい作品ですね。
TIBORさんへ (のんスケ)
2019-10-08 16:30:46
 ずい分前(2ヶ月以上前!)にコメントいただいてたのに、今日まで気付かず大変失礼しました。
 「なつぞら」で有名な画家が取り上げられているという情報からこのブログに辿りついた、と書かれていましたが、よくぞ、辿りついていただけたなあ!と、驚きと不可思議の気持ちでいっぱいです。でも嬉しいです!(^^)!
 ほんとうにありがとうございました!

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事