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富山の薬売りと越後の毒消し売り

2013-09-17 08:28:10 | 日記
昨日の光彦坊ちゃまは富山の売薬さん殺しを追って
富山・金沢・天橋立へと

今の人にはあまりなじみのない富山の薬売りだが
元々は江戸時代 財政難の富山藩が安定した経済基盤にするために行った
経済政策の一つだったようだ

17世紀の終り 富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし
富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発された

売薬は藩の一大事業になり反魂丹商売人に対する各種の心得が示され
この商売道徳が現在まで富山売薬を発展させ
藩の援助と取締りのもと越中売薬は種類を広げながら次第に販路を拡大していったらしい

現在の置き薬は柳行李がバックに変わり
懸場帳(得意帳)が携帯端末などに変わってはいるけどちゃんと続いているようだ

私の小さい頃の売薬さんは
おおきな柳行李をしょって半年?に一度バイクに乗ってやってきた
今考えるとあんな田舎までよく来てくれたものだ
人も少なく売り上げだってたいしたこともなくて手間ばかりがかかったに違いない
今のように近くに薬局や病院があるわけでもない当時は有り難い存在だったと思う

三光丸やケロリンは本当に重宝した
父親は飲み過ぎた日などよく三光丸を飲んで
母親に「薬を飲まなきゃいけないほど飲まなきゃいいのにねぇ!」とよく言われていた

私は大きな柳行李のなかから小さな柳行李が次から次にと出てくるのも楽しかったが
売薬さんの置いていってくれる風船がお目当てだった・・・
売薬さんによっては紙風船だったりしたらしいが
我が家に来る売薬さんはみんな風船だったなぁ~
でも・・何で風船だったんだろう?

富山県以外でも奈良県・滋賀県・佐賀県では古くから置き薬の販売が行われていたようだ

そう言えば以前義兄のお母さんが若い頃毒消しの行商をやっっていたと聞いたことがあった
「毒消しゃはいらんかねぇ~」とあちこちの町を売り歩いたそうだ

私は新潟に生まれながら全く知らなかった

それもそのはずだ越後の毒消し売りは
新潟県西蒲原郡角海浜村(現新潟市)が発祥の地といわれ
昭和28年頃をピークにいつの間にか消えていったそうだ

この角海浜村は過疎と原発建設の報道で廃村となったが
巻原発建設の是非を問う住民投票で建設中止が決まった

国政に翻弄され廃村となった角海浜村が
時代の流れに対応できずに消えていった毒消し売りと重なって
もの哀しさを感じる・・・




↑↑この柳行李おぼえてるわ~!

小さい頃は売薬さんの薬の入れ替えをみてるだけでもたのしかったなぁ・・・

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