おっさんノングラータ

魚は頭から腐るらしいよ。( 'ω`)

大いなる陰謀(★★★★)

2008年04月22日 | 映画2008
羊に支配されるライオン
IMDb(6.2:投稿時)
goo映画(59点:goo映画)

がっかりな邦題に期待しないで鑑賞したが、良作だった。改めてロバート・レッドフォードの監督としての力量に恐れ入った次第。

40年選手のジャーナリスト(メリル・ストリープ)と野心満々の共和党上院議員(トム・クルーズ)のエピソード、トム・クルーズ発案のアフガニスタンにおける馬鹿げた軍事作戦、そして政治学の教授(ロバート・レッドフォード)と駄目学生との会話。表面上は全く交錯せず、それぞれが直面している問題のレベルも異なるが、ストーリーが進行していくうちに全て同じ根から発していることに気づかされる構成は見事の一言に尽きる。いやあ、観ていて背筋がゾクゾクするほどの感動に襲われました。

原題は「羊たちに使われるライオンたち」。本作の感想ブログではよくこの意味を取り違えているが(最初の一人が間違えて、その間違いを真似して書いた結果でしょう。ちゃんと映画を観ろよ)、第一次世界大戦におけるドイツ軍司令官の言葉で、イギリス兵はライオンのように勇敢だが、司令官は羊たちのように臆病で無能であり、兵士をいたずらに死地へ追いやった、というのが正しい意味。映画の中でロバート・レッドフォードがちゃんとそう言っている。

それ故、『大いなる陰謀』という邦題は完全に誤り。トム・クルーズが立案したゴミみたいな作戦も、それを大統領が採用したことも、またその情報をマスコミにリークしようとしたことも、陰謀などではないのである。それぞれがそれぞれの立場で自分の保身を優先して考えた結果に過ぎず、だから手に負えない。結局、羊たちのせいで、最前線で馬鹿を見るのは志を持つライオンたちなのだ。

本作にアメリカ自虐映画のレッテルを貼りたがる向きもあるかと思うが、そう単純ではない。だとすると、結果として羊たちの群に加わったメリル・ストリープが勤めているメディア企業が「日用品なんかを売っている会社」に買収されたというエピソードなど不要なのだ。構造的に大量の羊を生産し、機械的にライオンを抹殺する社会全般に対する批判と捉えられる。

トム・クルーズをして「共和党のケネディ」と書いた若き日のメリル・ストリープ。あからさまではないものの、言論が容易に封殺される今では、とても考えられないセンセーショナルな内容だった。その記事の切り抜きを見て、わずかに残ったジャーナリストとしての矜持に火が点くものの、彼女にできるのは墓地を見て涙することだけだった。無駄な言葉を費やさない、痺れる演出だなあ。

一見すると説教親父のように見えるロバート・レッドフォードでさえ、優秀な若者を政治に関心を向けさせることによって(結果として)ライオンとして死地へ向かわせる歯車の一つと言えるかも知れない。出席日数の足りないボンボンの馬鹿学生が取った決断は明らかにされないが、ライオンとして志を掲げたまま死ぬか、羊として愚かなコミュニティの一員になるか、いずれにしても皮肉な結末が用意されている。

この問いかけはトム・クルーズがメリル・ストリープに言う「テロ戦争に勝ちたいのか、勝ちたくないのか」の究極の選択に通じている。何事も「Yes/Noクエスチョン」で回答を求められるくらい、今の社会は追い詰められているのだ。

ただ、残念だったのは、トム・クルーズ発案の馬鹿作戦。恐らく、軍事上全く意味はないが、高地を占領するという名目上の勝利を得るために犠牲を払うという、対テロ戦争版「ハンバーガー・ヒル」をやりたかったのだと思うが、あれは物量を投入してこそ成り立つ構図であり、特殊部隊が高地に降り立ったからどうなるものでもない。ウェスト・ポイント首席なのだから、机上の空論にしてももう少し説得力のあるものにして欲しかった。

衛星で前線の兵士の生き死にを見守る、というのは『エネミー・ライン』を彷彿させたが、そのシークエンスはエンターテインメントである『エネミー・ライン』のほうが上出来だったというのが何とも。


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