おっさんノングラータ

魚は頭から腐るらしいよ。( 'ω`)

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私的宮崎アニメの最高峰『風立ちぬ』

2013年08月16日 | 映画2013
だが、観たのは『もののけ姫』以来。

以下、ネタバレあり。

人混みが嫌いなので、いつ行っても混雑が予想されるジブリのアニメを観に行くつもりはなかったけれど、先日読んだ『半藤一利と宮崎駿の腰抜け愛国談義』がすこぶる面白かったので、終戦の日にMOVIXに出かけてみた。いろんな人が本作について語っており、従来のジブリ路線を期待している人にとっては今ひとつ、という意見が目立ったが、それを裏付けるかのようにスクリーンはがらがらだった。大きめの小屋が割り当てられていたからかもしれないが。

作品のキーワードは「矛盾」、よく言えば「多様性」。矛盾の具現のような堀越二郎を描くことで、昭和という時代が抱えていた矛盾が浮き彫りにされる。

例えば二郎は近眼で飛行機を操縦できないけれど、飛行機をつくりたいと思う(操縦と設計は別物だと、夢の中でカプローニに諭される)。震災直後、菜穂子を家まで送り、名乗ることなく立ち去るが、その後で様子見に戻っている(気になるなら最初から名乗っておけば)。ライバルであるはずの本庄(季郎)に自分のアイディアである沈頭鋲と開閉式のハッチを提供する(それが技術者のプライドを傷つけるのに)。さらには、病気を治すことを優先すれば治療所にすぐにでも送り返すべきなのに、本人が帰ろうとするまで自分の近くに置き、あまつさえ菜穂子の隣で「煙草を吸いたい」と言い出す始末(これについては後述)。

昭和の日本が抱えていた矛盾は、堀越や本状の台詞でもはっきりと語られる。貧しい国なのに自前の飛行機を持とうとする。試作機を飛行場まで牛で運ぶ(終戦まで工場から飛行場まで舗装路を造れなかったという。試作機を牛で運ぶことに文句を言っていなかったことから、堀越は牛が好きだったに違いないと宮崎駿は予想している)。多くの貧しい子どもたちがひもじい思いをしている一方、大枚はたいてドイツから飛行機を買う。先進国なのに特高が幅をきかせる。

映画そのものの矛盾も相当なものだ。堀越二郎といえば零戦の設計者として有名だが、その零戦は最後に数秒登場するだけ。しかも夢の中で。零戦の開発秘話やその活躍、その後、時代遅れとなり、爆弾抱えて特攻作戦に用いられるという悲劇性は一切描かれない。

その描かれなかったところにも、多数の「矛盾」があった。そもそも零戦が格闘性能と航続距離という、相容れない二つの要素を要求された矛盾した存在であること。その両立を実現したが、徹底した軽量化のために防弾板が省略され、搭乗員の人命軽視につながる。飛行機は量産性が命なのに、精度が求められる放物線(「鯖の骨」だ)にこだわった設計。中国戦線や太平洋戦争の緒戦では零戦は無双だったのに、2000馬力級のエンジンを搭載した米軍機が登場すると歯が立たず、戦闘機なのに爆弾を積んで対艦攻撃に投じられるという矛盾。

ここを描くと、いろんな意味で「ぷちナショナリズム」を刺激することになるかもしれない。描いてしまったのが『永遠の0』。週刊文春で百田尚樹が『風立ちぬ』があえて省略したこの部分について得々と語っていた。

人間なのだから、人間の営みなのだから矛盾があるのは当たり前。その前提でどう生きていくのか。

菜穂子の横で煙草を吸う二郎がおかしいという意見もある。それを、大人になれない男の母性に対する甘えだとする意見も読んだ。当時、結核診療所にいる間は調子が良くても、山を下りると病状が悪化した。山を下りた時点で患者もその家族も死を覚悟した。あそこで煙草を吸わせる、煙草を吸う、その姿を見るというのは覚悟の上でのこと。では、矛盾をなくしたらどうなるか? 菜穂子は最も美しい自分を二郎に見せることはできなかった。黒川夫人の指摘は正しい。無理に矛盾をなくそうとすれば、別の矛盾が生じるのだ。さらなる悲劇を伴って。矛盾する軍部の要求に応えた零戦もまた然り。

最後は再び夢の中(ノモンハンの草原らしいが、誰も気づかないよ!)。そこで二郎は菜穂子と感動の再会を果たすが、すぐに空を見上げ──そこには大空に飲み込まれた無数の飛行機が乱舞している──カプローニに誘われるままワインを飲みに行く。風立ちぬ、生きねば! である。菜穂子のことを想った端から飛行機である。これもまた、大いなる矛盾。

戦争を経験した世代は、矛盾があるのにないものと思い込まされる胡散臭さを知っている。戦後生まれの我々は、皮膚感覚でそれを理解することはできないが、彼らが遺してくれた作品を通じて学ぶことはできるのだ。



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映画『二流小説家』が駄目だった理由が判明

2013年08月07日 | 読書2013


嫌な予感しかしなかった謎邦画『二流小説家』が予想通りの出来で、何がいけなかったのだろうと思っていたところ、原作者の最新作『ミステリガール』を読んで謎が解けた。原作が持っていた軽妙さ、洒脱さが微塵も感じられなかったからだ。原作では作中作であるヴァンパイア小説やSF小説が妙にそれっぽい(翻訳者も良い仕事している!)のが面白かったし、洒落た台詞や言い回しが心地よかった。探偵助手となる女の子もイケていた。映画では、そうした美点がことごとく殺がれていたのである。残念な音楽が野暮さに輪をかけていたし、脚本も雑な印象だった。

原作小説の面白さの70%くらいは洒落た文章だったのかもしれない、ということを『ミステリガール』で再認識した。こちらは『二流小説家』以上にミステリや話の筋は、「うん、まあ……」な内容だが、主人公の映画評や独白が面白いのだ。例えば、こんな具合。

(『ビッグ・リボウスキ』は)コーエン兄弟が手がけたそのほかの陰鬱な作品(略)に比べれば、ずっと軽妙な作品だ。だが、見ようによっては、悲劇でもある。喜劇だけが醸しだすことができる悲哀に満ちた作品でもある。悪党どもがかならず勝利をおさめ、甘い汁を吸いつづける世界において、人生の敗者に対してのみぼくらがそそがんとする慈愛が、いっぱいにあふれた作品なのだ。

こんなこと(ジャッキー・チェンの映画のアクションを思い起こされたい)ができる世界なら、それほど悪いものではないんじゃないか。人生は生きるに値するんじゃないか。そんなふうに思わせてくれるところが、ジャッキー・チェンの作品の魅力のひとつなのかもしれない。

(お涙頂戴のクソみたいな映画だったが、劇場の全員が泣いていた。そんな映画のどこが有害なのかという問いかけに対して)それが問題なんだとぼくは言った。粗悪な映画に泣かされることが。真の悲劇を脚色という名で改竄した映画に涙することが。ゆがめられた史実を通してひとりよがりの感動を味わうことは、現実の出来事をねじ曲げるのと同時に、打ち消すことにつながるからだ。

ペキンパーの演出がいかに大雑把であろうと、いかに不敬であろうと、多くの細部を疑いようもなく正確に捉えていたこと。そうした細部によってこそ、芸術家──礼儀や公正さをわきまえていない場合が多々ある人種──はみずからの愛情を表現するものだということ。

見事な映画評!

それがどんなに儚いものであろうと、ぼくらの人生に何らかの形式を授けること。ぼくらの喪失になんらかの名前を授けること。そうしてぼくらになぐさめを与えることもまた、芸術の務めであるのだ、

ひょっとすると、ぼくら人間もまた花なのかもしれない。折れそうに細い茎に支えられた脳みそで、おのれを飾る無益な美しさとその喪失とを唯一自覚するよう、この地上に種を蒔かれた花なのかもしれない。この自然界において最も奇怪な花──ぼくらの意識──をつける植物なのかもしれない。ほんのつかのま日の目を見るためだけに花びらを開き、やがては枯れていく花なのかもしれない。

あんなもの(セックス)は種の繁栄を目的とした信用詐欺にすぎない。種の存続と遺伝子の継承のためにもくろまれた信用詐欺。だからこそ、世の男たちはあちこちに精子を撒き散らさずにはいられないし、女たちは理想の男を見つけたら発情せずにはいられない。


格好いい!

話は何だか超展開だった──しかし全ては「必然」というキーワードでつながっていた──が、神は細部に宿る、ということで、ディテールが楽しい一冊だった。
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誰得!?『終戦のエンペラー』

2013年08月06日 | 映画2013


「誰得」と書いたが、否定的な意味ではなくて、誰に向けてつくられたのか疑問に思ったからだ。

映画は日本がポツダム宣言を受諾した後、マッカーサーが厚木飛行場に降り立つところから始まる。サングラスをかけ、コーンパイプをくわえてタラップに立つマッカーサーは勝者の風格と傲慢さの両方をまとっている。トミー・リー・ジョーンズが有名な報道写真を見事に再現してくれる。

戦後処理に真っ先に必要になるのが戦争責任の追及。とりわけ連合国の関心事は、天皇に戦争責任があるや否や、であった。いや、あることにして天皇を裁きたい。それが合衆国本国の意思である。しかし「知日派」のフェラーズ准将(マシュー・フォックス)はこれに反対。天皇を裁くと日本人の反発を招くだけで占領政策が困難になる。秩序維持のために多数の連合軍兵士を駐留させなければならず、拠り所を失った人心の隙間に「アカ」が入り込んでくる危険性がある。反共の急先鋒であるマッカーサーはこれが気に入った。10日間のうちに天皇に戦争責任がない証拠を集めろと、フェローズに命じる。

そこからは、フェローズが証人を探してのアクション抜きの推理モノっぽく物語が進む(テレビCMでアクション・シーンが見られるが、あれは木戸幸一(伊武雅刀)の回想シーン。玉音放送が録音されたレコード盤をめぐる争奪戦……なんだけれど、ちょっと激しすぎやしませんかね)。しかしながら、出てくる証言のはっきりしないことよ! 対米開戦を決めた御前会議で天皇はGOサインを出したのか? こんな歌を詠まれました。そりゃOKという意味なのか? 何ならもう一度お詠みしましょうか? こんな具合。

もういい天皇は有罪だ、と、半ば自棄になったフェローズを軌道修正してくれたのは、日本女性あや(初音映莉子)との思い出。戦前、米国留学中のあやと知り合ったフェローズは、あやを探して開戦前年に日本にやってきた。その目的は日本兵の心理を調べること。あやの叔父である鹿島将軍(西田敏行)にインタビューも行った。ここはもちろんフィクション、なのだが、サイパン戦と沖縄戦の両方で指揮を執り、かつ戦後まで無事だった将軍っているの? ともあれ、あやとの想い出、鹿島に教えられたことが記憶に甦り、日本人には裏と表、本音と建て前があることを思い出す。

天皇を裁判にかけるだけの証拠がない、ということを進言するフェローズ。ならば、直接会って判断したいと会談の準備を命じるマッカーサー。かくして物語はクライマックスを迎える。天皇がマッカーサーに語ったお言葉は有名なものだと思ったが、家人は初耳とのことだった。とすれば、本作が描いている内容は制作側が述べている通り「歴史の隅に追いやられた出来事」かもしれず、公開には意味があるとも言える。

しかしながら、マッカーサーをジョージアのテレビCMでお馴染みのトミー・リー・ジョーンズが演じたこと(確かに、似ていたけれど)、廃墟になった街をフェローズとその通訳兼運転手の高橋(羽田昌義)が並んで歩くシーンで終わる(もちろん照明効果で行く先は光り輝いている)ところなど、何となく引っかかるものがあった。だからか、iMDbではこんな論争も。

過剰反応する人はどこにでもいるが、まさかこの作品の感想から「原爆投下は正義の行為」「3.11は前世のカルマ」などという醜悪な意見が飛び出すとは!




この映画を観たのが松竹系のMOVIX堺だったんですが、近場に別のシネコン(TOHO CINEMAS鳳)ができたり、天王寺が再開発された影響があるからか、一気に寂れてしまった印象。スタッフの質も落ちた感じで、『マン・オブ・スティール』のTシャツ着た女性がモギリやっていたんだけど、いかにもつまらなさそうな表情していて、これから映画を観る人にとってプラスにはならんよな。あと、魚魚市場も接客のチーフがいなかったからか、はたまた夏休みで適当なアルバイトを使っていたからか、二度と行きたくないと思わせるのに十分なほどの低質の接客。サービス業従業者の意識の低さが次々とTwitterで露呈しているけれど、さもありなんと思わせられた。
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ベタだけど面白かった『八月の残光』

2013年08月05日 | 読書2013


北海道へ出張するのに積ん読を減らしておこうと、『八月の残光』(赤城毅)を持っていく。堺からの電車の中で読み始め、新千歳空港に向けて降下する頃にはト連送を打ち終えていた。

1945年8月、日ソ不可侵条約を破ってソ連が満州へ侵攻。満州を防衛するはずだった関東軍は、それまでに主力を引き抜かれて形骸と化していた。しかし「陸軍は強い」「いざとなったら守ってくれる」と聞かされていた開拓民は避難が遅れ、次々と赤い津波に呑み込まれてしまう。だが、ソ連の侵攻を予期し、開拓民を襲う悲劇を予知していた者が海軍に──そして陸軍にもいた。数でも質でも圧倒的に勝るソ連軍を防ぐことはできない。それでも兵站線であるシベリア鉄道を使えなくすれば、たとえ一時的にでも前進を食い止められる。そうすれば民間人が避難する時間を稼げるのではないか? 海軍は最新鋭攻撃機「流星」をもって、アムール川に架かる鉄橋を破壊する作戦を実行に移すのだった。

昔流行った歴史を改編する「仮想戦記」ではない。流星に登場する6名が、到底達成できそうにない困難な任務を乗り越えて成長する冒険小説である。ジャック・ヒギンズやボブ・ラングレーの作品を連想していただきたい。歴史をひっくり返すような話ではないが、プロローグの伏線がきれいに回収されて、大いにカタルシスを感じることができるはずだ。

太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃で使われた浅深度魚雷が、戦争を少しでもましに終わらせるために再び使われること。真珠湾では6隻の空母から飛び立った数百機の攻撃隊だったのが、アムール川へはわずか3機の出撃。手段が目的化した体当たり攻撃と、明確な目的を持った特別攻撃。こうした対比が鮮やかで、大戦末期の悲壮感を際立たせる──のだが、それ故に(まともな)軍人が持つ不変な思いというものが、一層美しく感じられるのだ。

赤城氏は以前、『氷海のウラヌス』を書いたが(ああ、これも「魚雷」つながりではないか)、日米開戦前夜に起こったかもしれないあれやこれやという点で、歴史探偵的な面白さはあったものの、物語としては「で、何だったの?」と疑問が残ったが、今回は文句なしのエンタテイメント。面白かった。
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戻ってみる

2013年08月05日 | チラ裏
投稿テスト。
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移転っす

2011年07月26日 | チラ裏
http://onongrata.exblog.jp/
あんまり更新しないんだけどね。
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ちょっと高いけど買うか

2011年05月26日 | バイクとツーリング-2008
アウトライダー チャリティTシャツ
「TVブロス」と一緒に買った「アウトライダー」は東北太平洋岸の特集。
知人もいるし、夏には仙台へ行ってみたい。石巻市へ。行っても大丈夫なものだろうか。
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筋肉痛が半端ない件

2011年05月26日 | チラ裏
0530- 起床、炊飯、WiiFitでヨガ
0610- 弁当詰め
0640- 出勤
1800- 社内で夕食
2100- 帰宅
2130- 洗い物他家事全般
2200- ジョギング
2230- 入浴
2300- 仕事的な何か
2400- 就寝

約一週間このサイクルを続けて体重1kg減ってところ。初ジョギング翌日は筋肉痛がひどいの何の。

洋式トイレでの立ちションに女性からの意見が真っ二つ
掃除について一つ視点が欠けているのは、立って用を足さないと便座裏の汚れに気づきにくいってこと! 気分に応じて立ち/座りを使い分ける派なのだ。

TVブロスがタイバニ的に話題だけど、前福島県知事のインタビューもすごかった。侮れん。
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萌え豚とは一線を画する(キリッ

2011年05月20日 | チラ裏
私はアニメとは無縁でした
今は『シュタインズゲート』が毎週楽しみです。
PSPもあることだし、ゲーム買うかな。
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朝の運動は効果的、な気がする

2011年05月20日 | チラ裏
ジョギングとか運動を日課にすると、生活リズムが良くなって色々捗るぞ マジ
たるんだ腹と衰えつつある足腰をどうにかするためジョギングしようとしたら、履いていく靴がない!

シューズは日曜日にでも買うとして、思い立ったが吉日、朝から運動することにする。
今の生活サイクルが、
0530 起床→飯炊き→二度寝
0600 再度起床→弁当作る
0640 出勤
という流れなので、二度寝する代わりにWiiFitをする、正確には再開するのだ。4カ月ぶりに。
まさか午前6時前から足踏みするわけにはいかないので、ヨガと筋トレを合計20分程度。どの程度、効果があるかはわからないけれど、しないよりはしたほうがマシだろうし、定期的に体重を量って記録するのも悪くはない(4カ月間で1kg程度増えていた)。

一日だけで判断することはできないが、普段なら睡魔との戦いになる11時台と13時台もすっきりと仕事ができて何だか爽快。明日は休みで寝坊できるけど、早起きして体を動かしてみよう。
入院中の上司からオススメのDVDをせがまれ、『第9地区』と『キック・アス』を提案したらどちらも観たとのこと。最近『ガリバー』を観て面白かったと言っていたのでジャック・ブラックの『僕らのミライへ逆回転』と『ナチョ・リブレ 覆面の神様』を勧める。観ていない。今月は物入りだったので無駄遣いはしないと固く心に誓ったけど、これもお見舞いのうちと思ってamazonでポチってしまった。評判は聞いていたけど、自分もまだ観ていなかったし、安心のジャック・ブラック・ブランドだし、まあいいか。
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