おっさんノングラータ

魚は頭から腐るらしいよ。( 'ω`)

乃木希典

2009年04月08日 | 読書2009-
近所のTSUTAYAで購入。

『坂の上の雲』以来、乃木希典=無能な軍人という評価が定着してしまった。と言うよりも、それ以外の評価基準が認められなくなった。いやいや、それは後知恵の基準で測るからそうなのであろうなあ。

もちろん、乃木=無能というレッテルは当時から貼られており、映画『二百三高地』でえらく印象に残っているのだが、自宅に投石もあった。が、これも投石に至る当時の社会的背景を知らないと理解しにくいこと。その辺り、著者の福田和也はわかりやすく書いてくれている。社会保障の体制が整備されていない当時、働き手を戦争で失うということは、その一家の死活問題であったのだ。なるほど。

当時先端の技術を盛り込んで防備を固めた旅順要塞=列強の象徴とすると、資源も何も持たない日本が肉弾戦でこれに挑んだというのは、何とも感慨深いものではある。旅順要塞への正面突撃は非難されるところだが、あの洗礼を受けなければ近代国家の仲間入りができなかったのかもしれない。

クリミア戦争におけるセヴァストポリ要塞攻撃に比して損害が決して多くはなかった、また第一次大戦以降の主立った攻城戦でも、結局は肉弾戦に持ち込まなければ要塞を攻略できなかったと、解説(兵藤二十八)を読んでその思いを強くした。

福田が描く乃木のような人間は、今の日本に存在しないかもしれない。が、だからこそ、乃木希典の再評価は意味のあることだと言える。懸念するのは、NHKがつくる『坂の上の雲』。司馬史観に準じるのだろうか。

朗読者・追記

2009年04月06日 | 読書2009-
以前にも少し書いたけれど。ネタバレを含む。

文盲なのを文盲と言わずに、自らのした行為に対する罪で罰を受けたヒロインは、選挙でヒトラーと国家社会主義労働者党を選んだのに戦争責任を、押しつける行為と対照的だ。などということを感じた。

映画の邦題は『愛を読むひと』。何とかならんかこのセンス。

映画化に際してはニコール・キッドマンがご懐妊で降板したり、プロデューサーの一人が企画から離れたりと、難産だった模様。観に行くか、行かざるべきか。

砂漠の狐を狩れ

2009年04月03日 | 読書2009-
タイトル通りで、長距離砂漠偵察隊(LRDR)によるロンメル襲撃をテーマにした冒険小説、なのだが展開が実に地味。それだけリアリティがある。

主人公はもともと第7機甲師団所属の戦車兵で、ガザラの戦いで敗北を喫する件が妙に細かい。映画ではいきなり戦車が登場するが、現実はそうではない。まずオートバイ兵が現れて戦場を偵察、ついで装甲車に乗った歩兵がやって来て自分たちの火砲の障害を排除。イギリス軍が戦車をくり出せば、まず重砲、ついで88ミリ砲で迎え撃ち、グダグダになったところへドイツ軍の戦車が現れる。それも集団で。と、こんな感じ。イギリス軍の戦術はガザラの戦いにおいてもなお、お粗末だったのだそうな。

ありきたりと言えばそれまでだが、それでもぐっとくるエピソードが後半に二つ。人間の善性に触れると、思わず男泣き。イタリア兵は固体から液体に変えられてもドイツ兵は助けられるあたり、「次はイタ公抜きでやろうぜ」の都市伝説を思い出し、またもや男泣き。

冒険、戦争、ロマンス、ヒューマン・ドラマ。このへんが含まれているので映画化の話が進んだのだろうが、最後のファクターが安易に使われると作品全体が安っぽくなるので不安。ブラッカイマーだし。

映画の冒頭は小説のエピローグから始まると見た。

夏への扉

2009年04月02日 | 読書2009-
ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を読んだ。猫好き必読の書だ。

初めて読んだのは中学生の頃、ということは、『機動戦士ガンダム』=『宇宙の戦士』=ハインライン=『夏への扉』の流れだったのは間違いない。当時の友人が「ロリコン小説だ」と評していたのが妙に印象的だった。まあ、そう取れなくもないが、中学生らしい、あまりに表面的な見方だ。

タイムトラベルもので、冷凍睡眠とタイムマシンとの組み合わせが面白い。ストーリー・テリングも十分に面白かったが(中学生時分では、積み重ねられたディテールの面白さを理解できなかったと思う)、当時と今とで決定的に違うこと──猫を飼ったということで、主人公の相棒「ピート」の描写に大なる魅力を感じた。

有名な冒頭のシーン。種明かしをすれば、ラノベの「文学少女シリーズ」短編集を読んで思い出されたのだが、外へ通じる12の扉をいちいち人間に開けさせる情景が素晴らしい。

外は雪が積もっているが、12の扉のいずれかが夏へ通じているかもしれないと、ピートは主人公に扉を開けることをせがむ(どの扉を開けても外は冬なので、ピートは飼い主の気候管理の不徹底をなじるのだ)。この「夏への扉」がタイトルの由来であり、主人公が置かれた心理的状態であり、SFのガジェットへの伏線でありと、見事な「つかみ」になっている。

『スターシップ・トルーパーズ』をしつこく映画化するのもいいけれど、たまにはハインラインのこういった作品を映画化したほうが健全ではないか。大ヒットはしないと思うけれど。

「夏への扉」を求めているのは誰しもとして、開いた扉の先が冬だったとしても、誰かに夏だと言われたら、そう思い込んでしまうのがおっちゃんの悪いところだ。結局、後で「冬じゃないか」と気づき、別の扉を探すことになる。