おっさんノングラータ

魚は頭から腐るらしいよ。( 'ω`)

フィクサー(★★★★)

2008年04月21日 | 映画2008
予告編の見事なミス・リーディングについて
IMDb(7.6:投稿時)
goo映画(68点:投稿時)

予告編を見た限りでは、企業寄りの弁護士が、ある事件を契機に正義の味方に早変わり。一転して企業の巨悪と戦うという、ジョン・トラボルタ主演の(駄作に終わった)『シビル・アクション』や、ジョン・グリシャムにありがちな話かと思ったが、違った。そもそも主演のジョージ・クルーニーは弁護士でないし(あくまで調整役=フィクサー)、最終的に企業と対立はするが、それは社会正義に燃えてのことではなかった。過程と結果はどうあれ、あくまで個人的な動機に基づいている。「マイケル・クライトンズ・ウォー(といった感じのタイトルの映画もありますが)」な感じ。個人的な戦い。『フィクサー』という邦題は良い意味で、ミス・リーディングの一助になっている。

「良い意味で」と書くくらいだから、もちろん予想は良いほうへ外れた。

マイケル・クライトン個人にフォーカスを当てることで、事件の背景はぼかされている。この種のテーマでありがちな、弱者を主観的に描くことで観客に感情移入させることはしていないのだ。原告も登場し、一定の役割は担うが、それも必要最小限。あくまでマイケル・クライトンの主観で物事が描かれる。

何かに似ているな、と思ったら、『クローバーフィールド/HAKAISYA』だった。主観的な視点に徹することで全貌が見えない恐怖という点で一致している。農薬が与えた被害はよくわからないが、被害者の見えない場所で一部の人が手打ちして裁判の行方が決まる、という恐さ。前述の『シビル・アクション』やジョン・グリシャムのよくある話では直截な表現でこの恐怖が描かれたのに対し、本作は間接表現にとどまっている。

それ故にマイケル・クライトンが最後に見せた表情が、意味深に思えてしまうのだ。

と、個人的にはスマッシュ・ヒットな一作になったが、プロの殺し屋が標的をあっさり見失ったり、位置を確認するためやむを得なかったとしても闇雲に車を爆破したり、その車内で所持品が見つかったからと言って安易に死亡と断定したりと、肝心なシーンで頭に疑問符が浮かんでしまったので、一つ減。


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