傍観者の独り言

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郵便不正事件:郷原信郎氏の村木裁判の考察・・・画期的な判決と!

2010-09-23 21:03:37 | 検察・メディア

郵便不正事件で村木元局長の無罪判決およびこの事件の主任を務めた大阪地検特捜部検事の前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅の疑いで逮捕については、諸々メディアで特捜部捜査の批判一色であるが、郷原信郎氏の村木裁決の考察は格調が高いですね。

当方は、本ブログ「司法関係者で検察批判する人間は、郷原信郎氏しかいないのか?・・・皆、「親方日の丸」人間!」で、司法関係者で特捜検察批判は郷原信郎氏しかいないのかとし、
”「司法関係者・メディアの人間は批判精神を虚勢され、「親方日の丸」人間による「我が身大事」の「思考停止社会」は、「自滅」を待つかしかないのか。」”
と、司法関係者、メディアの人間を批判しました。

昨年の3月3日、政治資金規正法違反の疑いで、東京地検特捜部に大久保秘書が逮捕され、世の中、小沢一郎氏は自民党体質の金権政治家と喧伝一色の最中に、郷原信郎氏が昨年3月11日に、日経ビジネスサイトに『代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問』(民主党は率直に反省し、政治資金透明化の好機とせよ)を寄稿し、特捜捜査に疑問を提起以来、一貫して検察批判してきました。
当方は、「特捜検察の正義」に盲信していましたが、郷原信郎氏の問題提起に接してから、「特捜検察の正義」に疑問を持つようになりましたね。

この度の郷原信郎氏の現代ビジネスへの寄稿『証拠改竄で主任検事が逮捕! 「村木裁判」で露呈した特捜部捜査「終わりの始まり」』は、10日の大阪地裁の村木厚子元局長への無罪の判決は、今回の証拠改竄事件に加え、この判決は単なる一事件の問題ではなく、これまでの検察捜査のあり方を根本的に見直す必要性の契機になると論評していますね。

郷原信郎氏は、この度の無罪判決は、公表された200頁近くに上る膨大な「判決要旨」の内容は、検察捜査に対して厳しい指摘が行われるであろうと事前に予想した内容とは異なり、”「検察官の主張・立証と弁護人側の主張・立証に基づき、個々の争点について証拠関係を客観的に分析して、その結果、「村木氏の共謀は認められない」という結論を導き出しているだけだ。」”と想定外とし、それに着眼し、考察しています。

郷原信郎氏は、裁判所が検察批判をしなかった理由として、裁判所が捜査批判によって検察を刺激し、裁判所と検察との関係を悪化させることを避けたいという配慮より、検察側から反論・批判される余地を最小限にとどめ、控訴断念に追い込むための戦略だろうと推察し、検察捜査批判などの「余事記載」がなく、証拠の評価だけを淡々と行った判決の方が問題の指摘や反論が難しいことは確かだと考察しています。

”「中央官庁の現職局長の逮捕によって社会的に重大な影響を与えた事件で、検察が事実上、誤りを認めることになる控訴断念というのは、検察として容易に決断できることはできず、しかも、検察にとって控訴断念を行いにくい、もう一つの重要な事情がある。それは、共犯者の倉沢氏に対しても無罪判決が出され、すでに検察官が控訴しているということだ。」”

”「もし、村木氏の無罪判決に対して控訴を断念するならば、検察としては、裁判所の「上村氏単独犯行」の事実認定を受け入れたということになる。そうなれば倉沢氏の事件について控訴を取り消さざるを得なくなる。
しかし、「検察官控訴取消」というのは、特捜事件に限らず、刑事事件全体としても前代未聞であり、検察にとって、従来の常識からは取り得ない選択肢だ。
 」”

と、検察にとって、控訴断念は、前代未聞の出来事になると語っています。

さらに、検察が控訴を断念し無罪判決が確定すると、今回の大阪地裁が検察官請求証拠を却下する証拠決定や無罪判決で示した見解を検察が容認したことになる。それは、裁判例として今後の実務に大きな影響を及ぼすことになるとし、

”「裁判所は、これまで、検察官の取調べについては、その中身には立ち入らず、その内容が具体的で、迫真性があるという理由で、検察官の供述調書をほぼ無条件に証拠として採用し、信用性を認めてきたのだ。しかし今回の大阪地裁の判決は、検察官調書の特信性についても、採用した調書の信用性の判断についても、従来の裁判所の判断とはかなり異なった枠組みで判断を行った。」”

と、この度の大阪地裁の判決は、従来の検察官調書の特信性、採用した調書の信用性の判断についても、異なる枠組みで判断しているとし、

”「控訴を断念することは、検察官調書の特信性や信用性についての大阪地裁の考え方を検察が受け入れることを意味する。それは、大阪地検に限らず、東京地検など他の特捜部の捜査にも重大な影響を与えかねない。」”

と、今後の特捜部の捜査に重大の影響を与えると考察しています。
従来は、
”「公判で供述者が証言を覆しても、検察官調書は特信性が認められて証拠採用され、判決では検察官調書に沿った認定が行われて、検察官の主張どおりの有罪判決が出されてきた。

 そういう裁判所の判断に支えられ、事前に組み立てたストーリーを調書化することを中心とする捜査ができた。政治家、高級官僚、経済人など社会的地位の高い人物を検挙にするにあたって、検事総長などの最高幹部を含めて組織全体で意思決定するという決裁システムをとることも可能だったのである。
」”

であったが、今回の大阪地裁の無罪判決は、このような構図を覆したとし、

”「この無罪判決に対して検察が控訴を断念し、今後、大阪地裁判決のような考え方が一般化していくとすると、検察官調書に基づくストーリーを前提とする従来のような特捜事件の決裁システムが維持できなくなる。

検察の全体的意思決定に基づく強制捜査着手、起訴に対する信頼が維持されてきた。その決裁システムが維持困難になれば、特捜検察の在り方自体を全面的に見直すことが必要となる。
 」”

と特捜検察の在り方自体を問われる画期的な判決であったと考察しています。

司法の素人の当方は、郷原信郎氏の考察を一読し、村木無罪判決は、検察官調書の特信性が問われた画期的な内容で、特捜検察も改革の契機になる可能性だったことを初めて認識しました。

ブログ「ゲンダイ的考察日記」様のエントリー『血だらけの紙オムツ一枚で取り調べを受けた屈辱は絶対忘れない』、『 福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~“地獄”から生還できた(上)』、『福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~検察の暴走と恐怖(下)』らに接して、何故、このような検察権の乱用が容認されてきたかの解を見出した思いですね。






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