傍観者の独り言

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小沢裁判:最終弁論で、強制起訴の有効性を問うべし・・・公訴棄却が無難で現実解

2012-03-18 18:30:05 | 検察・メディア

明日、19日、小沢裁判の最終弁論で、弁護団は、検察審査会の強制起訴の有効性を問うべきと思いますね。
当方は、小沢裁判は、検察権力の乱用、検察審査会の不透明、メディアの協働など観点から、旧態組織を破壊すべきと考えではあるが、社会の混乱を鑑み、公訴棄却が一番無難という思いですね。

当方は、日本社会は、老人性骨粗鬆症の限界国家に陥っており、再生には、「破壊と創造」の構造改革が不可避の考えです、
しかしながら、小沢事件は、守旧勢力の国家権力の乱用の極みで、その波及が日本の根幹を揺るがす事件であるが、小沢一郎氏が初公判で述べた、

”「東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。
そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。

まだ間に合う、私はそう思います
。」”

の”「これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。」”を危惧します。
よって、小沢裁判は、検察・検察審査会・司法・メディアの自省・自浄を期待し、公訴棄却が無難で、小沢一郎氏には、早々に、政治世界で自由に活動できることが現実解と思っています。

公訴棄却は、検察審査会の強制起訴の議決の有効性の問題であり、審査会による2度目の起訴相当決議の内容が、最初の内容と異なることについて、当初は、郷原信郎氏が問題提起し、ツイッターで、柴山昌彦議員と論争していました。
その後、小沢一郎氏の弁護団が、行政訴訟し、最高裁が「刑事訴訟の手続きで判断されるべき」と却下され、現在に至る。

「オリーブニュース」の徳山 勝氏のコラム『弁護士法違反の弁護士による論告』、『小沢裁判:郷原教授の所感にある違和感』でも、検察審査会による2度目の起訴相当決議の内容が、最初の内容と異なることと捏造報告書という二つの問題があり、検察審査会の強制起訴の議決の有効性の問題を指摘し、指定弁護士の論告では、2度目の強制起訴決議の正当性を何ら立証していないと批判しています。

メディアは、田代検事の捜査報告書の捏造を重点的に報道しておりますが、小沢一郎氏の弁護団は、まずは、2度目の強制起訴決議の正当性から問うべきと思いますね。
4月の判決が、有罪になろうが、無罪であろうが、相互で控訴し、最終判決が決定するまで時間を要し、その間は、小沢一郎氏の政治活動を抑制することになり、日本の政治が混迷の現下では不幸なことであり、公訴棄却が無難と思っています。

小沢一郎氏は、良くも悪くも、今日の民主党の「中興の祖」であり、「自立と共生」の政治理念で、大きな政治を取り組みしてもらうことが日本社会の良化への刺激になると思われる。



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