(前略)
そう考えると、幸せってほんとに短くて、後は、人間はほとんど不幸といっていい。
*
結局、不幸っていうのは、その瞬間瞬間で感じるものなんだよね。だから苦しい。
で、幸せは、後からわかるんだ。幸福とは思い返すものであって、その時にオレは幸せだなあなんて、ほとんど思ってないはずだよ。
だから、人の幸せなんていうのは、「あいつ今幸せそうだな」なんて、他人が言うべきものであって、当の本人は、ちっとも気が付いてないんだよね。
(中略)
要するに幸せって、その時の自分に見えるものじゃないんだ。
それで不幸はもう、たいした不幸じゃなくても、その時点でしか考えられない。
「参ったなあ、どうしようかなあ、不幸だなあ」なんて愚痴ってるのは、その時だけなんだよ。
(中略)
だから目の前にあるのは、常にいろんな顔をした「不幸」であって、「幸福」はいつも遥か遠い昔にあるんだと、おいらもようやく気が付いたんだ。
ビートたけし著 『おまえの不幸には、訳がある!』
↑映画的だなと、思った。
新○文庫についている応募券を集めると必ずもらえるYonda?グッズ。
「必ずもらえる」とか「非買品」とか、結構弱い。気にいってるキャラものは、やっぱり欲しくなる。
かといって、その為に読みたくない文庫本まで定価で買うのは馬鹿げたこと。
古本屋の100円コーナーで(百円だったらいいかなあ)と思う応募券付き本を見つけては買い、ビートたけしの文庫本はそうやって増えていった。
こういう遠回りな、ちょっぴり馬鹿げてることをやってるのが自分は好きです。
すごい読みたくて、期待して買って読んだ本でもないのに、はっとすることが書いてあると、うれしくなります。
「幸福はいつも遥か遠い昔にある」
読んだとき、小説的でも、テレビ的でもない、なんだか映画的だなと思いました。
昔の「幸福」な画(え)も、それを思っている今の画(え)も、一本の同じフィルムにおさまって、シャカシャカ、シャカシャカ、映写されてる。
人生の心地よいノスタルジアだけが、映画だとはいわないけれど、そう感じました。
ずいぶん、こぶさた。
やめてないですよ。まだ、続いています。このブログ。
映画を、何本かのぞいていますが、なんにも書いてないうちに、桜の時期になっちゃいましたね。放置したまま、ごめんなさい。
桜の季節、桜をみると、思い出す画(え)があります。
ノグリが小学低学年のころ。
リアス式海岸をぬう、蛇のように、くねくねと曲がった国道。
そこだけ、まっすぐ直線な道路で、スピードは60km/hくらいまで出してくれる。
両道路に桜の木が、学校のクラスメイトの数くらい植えてあり、両手でアーチを作ってある。
僕たち家族は、そこを「桜のトンネル」と、言っていた。
こげ茶色のボロボロの車。
運転はお父さん。
助手席にお母さん。
後部座席の窓側は兄弟で陣取り。
真ん中で妹が座っている。
みんなで生協のスーパーで買い物をして、帰りに外食をする為に出かける。
僕はスーパーの二階で買う予定のキャラもののステーショナリーグッズのことや、
何を食べたいかを考えていたと思う。
桜のトンネルを、みんなを乗せた、こげ茶色の車が走る。
重力は軽くなり、ぐぅーんと、ホップした車体の窓から、
キラキラと日をうけた桜を見上げる。
死んでもいいなあ…
家族が誰も残らない条件なら、
今、みんなで死んでもいい。
桜は流れているのに、止まって見えた。
素直にそのことを口に出したら、みんな、笑いながらも引いていた。
そんな、ひどいことを考えている、自分は変なんだと思った。
けど、あの時の気持ちを、ひどい例えだどしても、伝えたかったんだと思し、そういう気持ちは、誰にでもあるんではないかと、今は思う。
満開の桜が散っていく。
「幸福」と「死」は、自分が思っているより、ずいぶん近いところに、
一本の同じフィルムのように、おさまっているのかもしれない。
3月末のある送別会の席で、後輩がいきなり聞きいてきました。
「ノグリさん幸せ?」
「うーん。まあ、幸せだよ。」
と、少し考えて、答えたけど、違和感があった。
少なくとも、不幸ではない。
でも、今が幸福かどうかは、わからない。
2丁目近くのベ○ーチェで、二次会のように閉店時間まで過ごし、
大阪に行ってしまう友人を、出口で、みんなで、ふざけながら、アーチで迎えた。
一緒にお花見はできないねって、言って別れた。
いつかの未来に、今の自分の生活を、
「桜のトンネル」のように、思い出すのだろうか?
【ブロークバック・マウンテン】2006.3.6.19:20~
アン・リー監督 出演:ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール
すごい観たくて、期待してのぞいた映画だったのに、はっとすることもなく、悲しくもなりませんでした。つっこむ元気もない。
でも、アカデミー作品賞をとれなかったのは、がっかりした。
まあ、同性愛を扱った王道な話。王道だけど、マイノリティー。
いや、よく考えると、こういう映画はなかったかなあ~
何がなかったんだろう?
偽装結婚を扱った王道な話?現実に支配されている感じ?
王道だけど、回り道?
マイノリティーな王道は、まだ、けもの道なのかしら?
今は随分、舗装されちゃって、歩きやすいから、わからなかったわ。
それでも、
イニスが建物に隠れて号泣する場面
「俺を楽にしてくれ!」と殴りあう場面
には、ぐっときたかな。
自分ではどうすることもできない無力さという点で、
人や社会に共通する何かを訴えるものが、この映画には、あるんだおもう。
「もうひとりの自分」を失った時。
あの時、理解できなかったものに、気が付くことができる。
それが、「愛」や「幸福」と、よばれるものかもしれません。
また今度。
アカデミー会員、むかつく!
そう考えると、幸せってほんとに短くて、後は、人間はほとんど不幸といっていい。
*
結局、不幸っていうのは、その瞬間瞬間で感じるものなんだよね。だから苦しい。
で、幸せは、後からわかるんだ。幸福とは思い返すものであって、その時にオレは幸せだなあなんて、ほとんど思ってないはずだよ。
だから、人の幸せなんていうのは、「あいつ今幸せそうだな」なんて、他人が言うべきものであって、当の本人は、ちっとも気が付いてないんだよね。
(中略)
要するに幸せって、その時の自分に見えるものじゃないんだ。
それで不幸はもう、たいした不幸じゃなくても、その時点でしか考えられない。
「参ったなあ、どうしようかなあ、不幸だなあ」なんて愚痴ってるのは、その時だけなんだよ。
(中略)
だから目の前にあるのは、常にいろんな顔をした「不幸」であって、「幸福」はいつも遥か遠い昔にあるんだと、おいらもようやく気が付いたんだ。
ビートたけし著 『おまえの不幸には、訳がある!』
↑映画的だなと、思った。
新○文庫についている応募券を集めると必ずもらえるYonda?グッズ。
「必ずもらえる」とか「非買品」とか、結構弱い。気にいってるキャラものは、やっぱり欲しくなる。
かといって、その為に読みたくない文庫本まで定価で買うのは馬鹿げたこと。
古本屋の100円コーナーで(百円だったらいいかなあ)と思う応募券付き本を見つけては買い、ビートたけしの文庫本はそうやって増えていった。
こういう遠回りな、ちょっぴり馬鹿げてることをやってるのが自分は好きです。
すごい読みたくて、期待して買って読んだ本でもないのに、はっとすることが書いてあると、うれしくなります。
「幸福はいつも遥か遠い昔にある」
読んだとき、小説的でも、テレビ的でもない、なんだか映画的だなと思いました。
昔の「幸福」な画(え)も、それを思っている今の画(え)も、一本の同じフィルムにおさまって、シャカシャカ、シャカシャカ、映写されてる。
人生の心地よいノスタルジアだけが、映画だとはいわないけれど、そう感じました。
ずいぶん、こぶさた。
やめてないですよ。まだ、続いています。このブログ。
映画を、何本かのぞいていますが、なんにも書いてないうちに、桜の時期になっちゃいましたね。放置したまま、ごめんなさい。
桜の季節、桜をみると、思い出す画(え)があります。
ノグリが小学低学年のころ。
リアス式海岸をぬう、蛇のように、くねくねと曲がった国道。
そこだけ、まっすぐ直線な道路で、スピードは60km/hくらいまで出してくれる。
両道路に桜の木が、学校のクラスメイトの数くらい植えてあり、両手でアーチを作ってある。
僕たち家族は、そこを「桜のトンネル」と、言っていた。
こげ茶色のボロボロの車。
運転はお父さん。
助手席にお母さん。
後部座席の窓側は兄弟で陣取り。
真ん中で妹が座っている。
みんなで生協のスーパーで買い物をして、帰りに外食をする為に出かける。
僕はスーパーの二階で買う予定のキャラもののステーショナリーグッズのことや、
何を食べたいかを考えていたと思う。
桜のトンネルを、みんなを乗せた、こげ茶色の車が走る。
重力は軽くなり、ぐぅーんと、ホップした車体の窓から、
キラキラと日をうけた桜を見上げる。
死んでもいいなあ…
家族が誰も残らない条件なら、
今、みんなで死んでもいい。
桜は流れているのに、止まって見えた。
素直にそのことを口に出したら、みんな、笑いながらも引いていた。
そんな、ひどいことを考えている、自分は変なんだと思った。
けど、あの時の気持ちを、ひどい例えだどしても、伝えたかったんだと思し、そういう気持ちは、誰にでもあるんではないかと、今は思う。
満開の桜が散っていく。
「幸福」と「死」は、自分が思っているより、ずいぶん近いところに、
一本の同じフィルムのように、おさまっているのかもしれない。
3月末のある送別会の席で、後輩がいきなり聞きいてきました。
「ノグリさん幸せ?」
「うーん。まあ、幸せだよ。」
と、少し考えて、答えたけど、違和感があった。
少なくとも、不幸ではない。
でも、今が幸福かどうかは、わからない。
2丁目近くのベ○ーチェで、二次会のように閉店時間まで過ごし、
大阪に行ってしまう友人を、出口で、みんなで、ふざけながら、アーチで迎えた。
一緒にお花見はできないねって、言って別れた。
いつかの未来に、今の自分の生活を、
「桜のトンネル」のように、思い出すのだろうか?
【ブロークバック・マウンテン】2006.3.6.19:20~
アン・リー監督 出演:ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール
すごい観たくて、期待してのぞいた映画だったのに、はっとすることもなく、悲しくもなりませんでした。つっこむ元気もない。
でも、アカデミー作品賞をとれなかったのは、がっかりした。
まあ、同性愛を扱った王道な話。王道だけど、マイノリティー。
いや、よく考えると、こういう映画はなかったかなあ~
何がなかったんだろう?
偽装結婚を扱った王道な話?現実に支配されている感じ?
王道だけど、回り道?
マイノリティーな王道は、まだ、けもの道なのかしら?
今は随分、舗装されちゃって、歩きやすいから、わからなかったわ。
それでも、
イニスが建物に隠れて号泣する場面
「俺を楽にしてくれ!」と殴りあう場面
には、ぐっときたかな。
自分ではどうすることもできない無力さという点で、
人や社会に共通する何かを訴えるものが、この映画には、あるんだおもう。
「もうひとりの自分」を失った時。
あの時、理解できなかったものに、気が付くことができる。
それが、「愛」や「幸福」と、よばれるものかもしれません。
また今度。
アカデミー会員、むかつく!
お皿増やしませんから、
私以外の「家族」を増やさないでね。(兄弟?)
お皿って、パンのね・・・
今年もあるのかしら?
春まつり。
何人家族分あると思いますか。ノグリさん。
それがシアワセなら、仕様が無いですけど。
私が取材で試し撮りした、写真を床に並べてニヤついてたときは、「こいつ幸せ者だな」と思いました。
レスが遅れて、すいません。
自己完結で、あゆオチだし、
レスなし放置の方が、よかったかもしれなかったので(?)、
ゆるしてね。
>mixi退会
退会、何が心残りかって、takemingの、
攻撃!脳内思考人生双六過剰日記が読めなくなったことなの。
メルマガ化を希望!送信してくだされ~
ブロークバック山は、あまりいいシチュエーションで見られなかったので、思い出すことも少ないんだけど、僕も、「俺を楽にしてくれ!」のシーンは、悲しくて涙が出ました。抑えてた感情の放出に感動しちゃったんだと思う。でも、また見たい映画でもないなあ、と。
不幸ってリアルに感じられるけど、幸せの状態にあるときは、まさに幸せであるが故に疑問を持ったり不安になったりしないから、自分の状態を見ることはできないのね。
僕は今自分は幸せな気がしているけど、多分周囲から見れば「何だアレは?」という理解不能な存在になっていると思う。かなり痛子だと思うよ。でも同時に幸せそうねえ、とも言われるので、結局よかったね、って話で自己完結。ギャハハハーーー
ごめんなさい。
でも、ノグリさんは、小さいときから色々思って考えてたんだね・・・僕は小さい頃は、「自分は大人になることができるのか、なるとすれば、ある日突然意識が変わるのか。そんなのできない」と漠然と思ったりはしてたけど、結局今でも同じこと考えてるわ・・・いつから大人になる?(浜崎あゆみ)
ギャーーーやったーあゆオチにできたわ!!!
ごめんなさい。