ノグリの穴

映画をのぞいたら、プイプイっときた。

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あらしのよるに

2006-12-07 10:40:25 | Weblog
打ち上げ花火のような恋が終わった。

夜空に伸び上がる、こぼれ堕ちる弱々しい導線の火。
しゅる、しゅる、はかなく、スパークした。
それは、イベントの終わりや祝祭に次々打ち上げられる、開放された、何発もの、大きいものでは決してない。
セックスのクライマックスなんかに、標準的な映像として用いられるような、
ひゅる、ひゅる、わかりやすい、綺麗な打ち上げ花火だった。
その綺麗さに、胸が踊り、締め付けられ、
何故か残像として、夏空の、モコモコした入道雲を、
その人との恋は思い出す。

今考えてみても、それは、恋というより、やりすてられたと言ったほうが適当かもしれない。
ファーストフードの、ペーパーナプキンやハンバーガーの包みやトレイマットのゴミのように、
食べた後に、きちんと捨てられたのだ。
躊躇なく、ダストボックスに入れられ、その上にトレイをのせて、手際よく、店を出て行った。
「ごちそうさまでした。」
マナーが良いのではない。気にとめることなく、そういうのに慣れているだけなのだ。

自分にとって、ファーストフードの恋は、リハビリテーションだったに違いない。
自分というものに自信をつけてくれたし、自分にだって、まだ若い、
打ち上げ花火のような恋が出来るんだと気づかせてくれた。
そして、実際、若かったのだ。
これ、ほど、までに、デートが楽しいものとは、知らなかった。

それまでの、長い恋を終わらせる時だったからだ。
自分は独りで、ずっと独りで生きていかなければならないのか、と考えたくなくて、
でも、考えていた時だった。
とうに終わった長い恋、いや、「長い夢」をあきらめる時だったのだ。
「長い夢」の残像は冬の海。
暗い、凍えるような船上からみる海を、
その人との場合は思い出す。

今も思い出す。

冬の海に、3発くらい花火はあがって、リハビリの恋は終わる。

しかし、失恋は失恋。
なまじ、相手の「入道雲」が周りから「いいひと、いいひと。」と、評判がたっていたりすると、
そのひとから、別れをきりだされてしまった自分は、
相当な不適合者ではあるまいかと落ち込んだし、
「入道というのは、坊主頭のおばけ、という意味があるのよ!」
なんてことを、言ってやろうかと、思う自分が、ますます嫌になった。
気持ちの持って行き場もなかった。
雲の影に悩まされた。
けれど、
「冬の海」に戻りたいとは思わなかった。

時間があった。
残り火のような、食い散らかされた、
未来に繋がりそうもない時間がそこらへんにあった。
前向きに進もうとすれば、するほど、気持ちは反転しそうで怖かった。
少しでも、ほんのちょっぴりだけでも、前に進んでいる感じが欲しかった。
正確に、
正確に、
丁寧に生きようと思った。
でも、出来ていなかった。
幼い子どもに戻って、やり直したかった。
そう思っても、
いつもと変わらない、
洗濯や掃除等の「自分」の身の回りの世話からはじまるしかない。
いや、いつもと変わらない、はじまりが、
はじまっただけ、幾分、ましなのかもしれない。

失恋後の日々のある日、返却日が過ぎた本を市民図書館に返しに行く。
とても億劫だったが、期限を過ぎたことを正直に謝りながら、カウンターに持って行く。
返却カウンターの女性は、優しく微笑み、こう言った。
「次回から、お気をつけ下さい。」

すぐには帰らず、館内を見て歩き回る。
いまいち、食指が動かない本ばかりが並ぶ。
置いてる本が悪いのではないと思った。読み取る自分がいないのだ。
失恋あとの気持ちは図書館のようには分類されていない。

しかし、開架式図書館は、利用者による間違いも多かった。
盗難や切り取りの危険もさることながら、
悪意はなくても、間違った棚に本を戻す人もいる。
間違いが起きると、再び探すことが難しくなる。
検索し、あるとおもって探す本が、見つからない。
探すが、見つからない。
探すが、見つからない。
本も、人も、見つからない。
絶望的だ。
正確に分類するには、開架式でない方がいいのだろう。
開かれていない方がいい。

子どもの絵本コーナーに足が止まる。
意識的に世界で一番好きな絵本である、
『100万回生きたねこ』を避けた。
そして、幼い時に読んだことがある絵本を選んだ。
『ぐりとぐら』
『おしいれのぼうけん』
『モチモチの木』
読んでるうちに、じんわりと、呼吸が止まるのが分かった。
開かれていた「社会の息」が、閉じられて行く。
閉架式になって行く。
書庫にこもりたい。
絵本の書庫に。

絵本作家にでもなろうかなと、考えた。
明らかな現実逃避。
絵本を作る為に絵本をたくさん読もうと思った。
あいうえお順に分類されている、ここにある絵本を全部読んでやろうと。
まずは、手始めに「あ」の絵本。
その時、手に取った本が、

『あらしのよるに』だった。

面白くてびっくりした。
無理だと思った。
絵本作家になるのを。
しかし、誰かにこの本のことを伝えたいと思った。
それは、出来る気がした。

誰か、に。伝えるべき、誰かに。愛しい誰かに。

それは、出会いだった。
出会いとは、とても厄介で、危ういものだ。
何故なら、過去の自分を捨ててしまうことが出来るからである。

そして、そんな出会いを、まだまだ期待している、自分がいる。
しかし、それは、愛ではない。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
               口語訳:コリント人への第一の手紙13章4節~13節


愛を知るのは困難である。
しかし、愛がなければ生きているとはいえない。
なぜなら、人は、気づかれにくいが、
愛によって生かされている部分が、あまりにも大きいからである。
愛という名のもとに、出会いは待っている。

生きることは困難であり、愛は気づかれ、知られるのを待っている。

出会いはある。

愛は待っている。

【あらしのよるに】2006.12.6
監督:杉井ギサブロー 声の出演:中村獅童 成宮寛貴

自分が伝えなくても、『あらしのよるに』は、あれよあれよと評判になり、
著名人や一般の人の読後の玉石混淆なコメントがズラリと並ぶ、
よくある広告も目にとまるようになった。
シリーズ化もされたらしい。
「出会った」のは、自分だけではないみたいだ。
広まるのは、うれしい。自分がいいと思っていただけに。
でも、よくあるアニメ化された頃にはさめてきた。
よくマーケティングされているなと、思った。
それは、深読みできる、原作の絵本にも言える。

しばらくして、試写会好きの友人が【あらしのよるに】の映画の感想を聞く機会があった。
「ヤギのメイ♂とオオカミのカブ♂が、うちら(同性愛)の関係にしか、見えなかった。」と言って、笑っていた。
絵本では気づかなかったけど、結構、気になる、見方だった。
確かに、どちらも、オスみたい。
友情というオブラードに包んでいるが、
「ひみつのともだち」とか、
「禁じられた友情」とか、
「君が“誰か”なんて関係なかった」とか、
「ともだちなのに、おいしそう」とか、
コピーに煽られれば、煽られるほど、
そういう機微を、制作者側が伝えたいような気がしてきた。
そんでもって、この予告編

子ども向け、だからかしら?
すごく、クローゼットじゃない?(笑)

自分がのぞいた感想は、予告編をみた時のワクワク感はなく、期待はずれ~
でも、やっぱり考えさせられた。

過酷な旅の途中。
オオカミのカブ♂が、2匹で寝ている時に抜け出して、野ねずみとかを食べに出かけるんです。カブ♂が戻ってきて、再び寝床に着くと、ヤギのメイ♂が薄目を開けて起きていて、
「そういうことするのは、やっぱり嫌なんだ」ってことを、言うんです。
カブ♂は、「仕方ないだろ」って、開き直りなことを言う。
まるで、なんか…ねぇ?(笑)
カブ役の声優は中村獅童だけど、竹内結子も嫌だったんでしょうね~

欲望と理性の問題だけじゃない。

吹雪のなか、飢えと寒さのメイ♂が「わたしを食べてくれ」と、言うんだけど、
カブ♂にそんなことは出来るはずもなく、自ら離れる。

目覚めた時、メイ♂は、自分があんなことを言ったから、カブ♂はいってしまったんだと思う。

そして、いろいろ、あって、再び会う時、
それは、カブ♂がメイ♂を食べようとする時。

メイ♂は「こんな死に方は嫌だ、食べられたくない」と叫ぶ・・・


無償の愛とか、
いのちをかけるとか、
独り、生き残るとか、
一緒に、生きるとか、

問いかけてくる。

存在しなくても、存続するものって?


やっぱり、愛かな。

わたしたちは、存在しているが、存続することは出来ない。

いつか、終わりが来る。

また今度。
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2 コメント

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あの・・・ (竹美)
2007-01-17 16:18:31
 この日記の前半はフィクションでしょうか、それとも昔の話でしょうか・・・こんな質問も愚問だが、何か怖いんですけど。

 でも、あなたの文章って、他人が入り込む余地が残っている気がして、何となく安心します。
 
 私、新年早々振られちゃいました。
 居心地のいい場所から出ようと思ってミクシーをやめ、続けて振られちゃったので、勉強にいそしむいい機会だなと思っています。
 自分の小ささとか甘さとか、色々突きつけられることが多いから、たまにしんどくなる。
 昨日は、本当に自分って何の役にも立たないし、馬鹿だし、甘いなあと思って(自分で分かってるところが可笑しい)、このまま生きててもあまり充実できない気がして、げんなりした。でも、昔と違って時間が無いので、割と直ぐ立ち直ります。立ち直ったって自分は前とちっとも変わらないんだけども。

 「あらしのよるに」のあなたの解釈、素敵すぎ。ヤギの「そういうことはしてほしくないんだ」って台詞。「じゃあ一緒に居るなよオマエ達」って言いたくなるけど、そういうわけにもいかないのよね・・・最近分かった。
 僕は、そういう「痛い関係」を避けてきたし、そういう目に遭わずに幸せに生きてきたので、何となく「痛い人たち」を馬鹿にしてきた気がするけど、何か間違ってたような気がするよ。自分は一人前じゃないのに、馬鹿だったなあと思う。

 ここでこんなの書いてごめんね。ここまで読んでくれてどうもありがとう。
それは・・・ (ノグリ)
2007-01-18 02:29:43
>こんなの書いてごめんね。

全然かまわないわよ~
ちょっと、レスに困るけど~
誰も見てないし、どんどん、書きなさい!!!
肥溜めよ!
ついさっきまで、ブログ自体、やめるつもりでいたの。
閉架式。
くだらなくって!(おまえがな)
でも、反応があると、うれしいわ~

竹美ちゃん、渦巻いてるわね。
年に何回かは、台風来るの。
そういう、もんなんだわ。
爆弾低気圧よ。
私もほんとに、馬鹿で、頭悪いけど、
結構、便利にそう言って、逃げてます。
努力しない、馬鹿よ。
紙一重でもないし。
でも、自分も、人も、馬鹿にするくらいが、ちょうどいい気がします。
3歩進んで、2歩馬鹿下がるよ。
馬鹿、バカ、ば~か!

フィクションか、昔の話かは、
今度、会った時に話すわ~

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