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谷川岳宙吊り遭難事故

2011年03月06日 15時05分05秒 | 事件事故
谷川岳と言うと、日本三大岩場の一つであると同時に遭難事故を想い出す。
 《遭難事故資料を調べて見ると、記録を取り始めたのは、昭和6年(1931)である。その時から平成19年(2007)まで、谷川岳遭難死者数は790人不明者8人であるという。》
 一つの山でこれほど多くの遭難者を出したのは谷川岳だけであり、谷川岳は「魔の山」と呼ばれるようになった。


 私は昭和51,52年(1976,7年)の2年間、沼田警察署に勤務し谷川岳遭難事故に係った。
 ちなみに1970年代(1970~1979)の遭難死者数は、144 人(年平均14,4人)だった。

 1976年(昭和51年)夏、一の倉沢衝立岩で2名宙吊り遭難事故が発生した。
《一の倉沢宙吊り遭難事故中で特に記憶に残っているには、1960年9月24日に発生した自衛隊の銃撃によるザイル切断事故ではなかろうか。》

 私が係った宙吊り事故は、この自衛隊銃撃のときから16年たっていた。
 
 このときは、衝立の宙吊り現場まで救助隊員が自力で登って救助するという計画が立てられた。
 二組5~6人の救助員(遭難者の所属山岳会員など)が現場に到達したときは、二人の遭難者はすでに死亡していた。

          

● 当時の沼田署長が救助にむかう様子を視察いている。


          

● 当時自分の写真機で撮影した一の倉沢衝立岩
  上部の『草付き』辺りが、事故現場

 私は、主に広報、山岳警備隊の配置、関係者の応対、その他の雑務等に追われていた。


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