何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

今日はなんの日?(44年前の今日)

2007年03月31日 17時31分11秒 | 今日は何の日
1963年(昭和38年)4月1日
 同年3月高校を卒業し、この日就職しました。
 以来42年間働き続け、一昨年定年退職しました。
 長かったような、速かったような、よくわかりません。
 楽しかったか、苦しかったかといえば、楽しかったと断言できます。!
追い詰められたこともあったけど、私はそんなとき『何とかなるさ。』と考える性格です。そして「何とかしよう」と懸命になっているときは苦しさなんか感じないのかもしれません。また、廻りの環境すなわち家族、同僚、上司の存在が大きく影響していたと思います。

 さて、それはさておき
  同時採用が55人でした。
  うち、定年(ほぼ定年を含む)まで勤めたのが36人です。
 すでに死亡した方が7人です。
 明日は我が身と言います。「元気でぽっくり」を目指して、何かをしながら毎日を過ごしています。

富山の薬屋さん

2007年03月30日 15時25分56秒 | 近況
 嫁さんの口利きで3~4年前から富山の薬屋さんが来ています。
 風邪のひき始めなど医者に行くほどでもないがちょっと心配というときに富山の薬を飲みます。結構効くので便利してます。
 子供のころは、滅多に医者なんか行きません。風邪をひいた、腹が痛い、転んで擦り剥いた、おできができた、何でもかんでも富山の薬で治したものです。
 先日、薬屋さんが来たので「腹痛のときは必ず、『熊の胆(い)』を飲まされた。たいてい治った。」と話したら、「本当は、ほとんど豚か牛の胆だった。」と詐欺商法の種明かしをした。「へー?昔から詐欺商法があったのだ。」と感心してしまった。
 そして「ブロクに書きたいから写真をとらせて。」とお願いしたら、車から一抱えもある荷物を持ってきて「それならこれを撮って!歩いて行商していたころから富山の薬売りが使っていた行李の薬箱で、今では大変珍しいものものです。」と説明した。
 帰るとき、「お孫さんにやってください。」と言ってゴム風船をくれた。子供のころは確か、紙風船だった。
 
 
 

もしもし亀よ、亀さんよ!

2007年03月29日 16時05分23秒 | 近況
 弟の家を尋ねたら、庭のかめ(瓶)に大きなかめ(亀)が3匹いた。
 瓶から出してやると、本物の亀さんを見たことのない孫達は怖がったり、喜んだり。
 かたわらで、家内が亀さんに静かに呼びかけていた。
 「もしもし亀よ、亀さんよ」
 そして、仕事もしないで、家でごろごろしている旦那の愚痴をこぼしていた。

 私の錯覚だったのだろうか??
 

お食事会

2007年03月29日 15時35分29秒 | 近況
 昨日、家内と家内の妹の共通のお友達が、た○○さんのお見舞いに千葉県から来てくれた。久しぶりの再会だったので、お食事会をすることになった。
 家族ぐるみのおつき合いだったので、我々夫婦・おばあさん・長男夫婦と孫達、家内の妹とその長男と次男、お友達を含めて合計10名の集まりになった。
 そのお友達は、旦那さんを亡くしたものの娘さん家族と同居しているそうである。陽気で思いやりある様子は昔と変わっていない。幼い長男達と仲良く遊んでいた可愛い娘さんも今では2人の小学生のお母さんと聞き、感慨深い。
 それぞれの家庭の事情を飲み込み、おもいやりの気持ちを秘めた、温かくて楽しくて、そしておいしかったお食事会であった。
 
 
 

元気で長生きパートⅢ(完全復活)

2007年03月27日 23時35分41秒 | 元気で長生き
 今朝、おばあさんが「この!ちんちんめ。」と怒声を浴びせながらピーちゃんを箸で突っついた。これを見ておばあさんの完全復活を確信した。
 可愛いピーちゃんを、なぜかおばあさんはいつも敵対視する。近づけば必ず手で払いのけるか、箸で突っついていじめる。ところがここ一週間くらいピーちゃんが近づいても黙って見ているだけだった。
 咳も治まったので昨日から、ディに行かせたが完治の確信が持てず、いまひとつ心配だった。しかし、今朝は本来の気の強さと意地の悪さを取り戻し、宿敵ピーちゃんに攻撃を仕掛けのだ。
 もう大丈夫、おばあさん完全復活だ!!

 

思い出アーカイブス(蒸気機関車)

2007年03月26日 00時01分32秒 | 学生時代
 長男夫婦が孫2人を連れて蒸気機関車に乗りに行った。家内が駅まで見送りに行き、私とおばあさんが留守番。
 家内が蒸気機関車の写真を撮ってきた。

 私が育った実家は、両毛線のすぐ脇にありました。
 今は高架線になっていますが、私が子供のころは踏切と踏み切り小屋があり、その小屋には踏み切り番のおじさんが詰めていました。
 汽車が通る時間になると踏み切り番のおじさんが、体重を掛け、全身の力を込めて遮断機を上げたり、下げたりするのです。
 近所の子供は踏み切り小屋によく遊びに行きました。遮断機を上げ下げする以外は暇らしいおじさんは、親切に遊んでくれたものです。私も4,5年生のころ踏み切り小屋に入り浸っていました。
 そんはとき、貨車の入れ替えのため前橋駅と踏み切りの間を行ったり来たりしている機関車が踏み切りにさしかかると、踏み切り番のおじさんが機関車のおじさんに「頼むよ!」と言います。機関車のおじさんは「あいよ!」と言って私を機関車に乗せてくれるのです。石炭くべを手伝う真似事などをした記憶があります。
 今なら絶対できないことです。よき時代だったなーと懐かしく思い出しました。
 
 

新旧交代(部分入れ歯)

2007年03月24日 18時59分08秒 | 近況

 単身赴任時代に作った旧入れ歯です。確か3個目だったと思います。約5年間使いました。

 

 昨日出来上がった新入れ歯です。歯茎がやせてきて痛みが出たので昨年10月歯医者さんに新入れ歯の作成を依頼しました。それから約半年、25回通院してやっと手にすることができました。
 歯周病・歯槽膿漏の治療をしながら昔、虫歯治療でかぶせた冠を6つ外して中を治療したうえ、新しい冠をかぶせました。それから、新しい入れ歯をつくったのだから時間がかかったのも仕方ないことです。これで、死ぬまで大丈夫??
 通院のたびに「磨き方」の注意を受けました。おかげで今では完璧な歯磨きができるようになりました。
 コツは、歯磨き粉を使わないで磨くことです。

思い出アーカイブス(退職記念旅行)

2007年03月23日 00時59分04秒 | 旅行
 昨日娘夫婦が立ち寄り、娘はローマ、婿さんは高知旅行のお土産を持ってきてくれた。婿さんの『かつお』はとてもうまかった。娘の土産は、一昨年夫婦で行ったヨーロッパ(ローマ・ヴェルサイユ・パリ)の退職記念旅行を思い出させた。
 当時、私がヨーロッパ旅行を思いついたのは、行きたかったのが2割、あとの8割は他人の旅行自慢話に対抗するためだった。
 この考え方はおおむね正解だった。他人の旅行自慢話が始まったときは、ヨーロッパ旅行をちょっとによわせる。うざい自慢話の腰を折る絶大な効果があった。
 さて、この旅行の際、パノラマ写真を撮った。合成する方法が分からなかったのでそのままになっていた。「お勉強」して合成に成功した。








元気で長生きパートⅡ(完全復活ならず)

2007年03月22日 22時09分13秒 | 元気で長生き
 おばあさん、熱は下がったが咳が治まらない。肺の奥から絞り出すような咳をする。
 自分では病気なんかにはならないと思っているから、朝自分で起き、身支度をちゃんとしているが、ディは休ませている。一日中テレビの前のおコタツにはいり、ほとんど居眠りをしている。
 定期的に医師の診察を受け薬をもらっている。本日も診察を受けてきた。その結果は、「肺に異常があり、これが基で咳が止まらない。」というもので、肺の病気が治るまでディには行けないと言われた。
「熱がないのだからディに行かせたい、家では何もしないから寝たきりになってしまう恐れがあります。」と医師に訴えると、それでもディにはいかないほうがよいと指導され、更に心臓にも加齢による異常があり、心筋梗塞を引き起こす恐れもある旨を言われた。
 当分の間、自宅療養させる予定です。
 おばあさんは、咳など病気と思っていませんから、養生しようと言う気はまったくありません。もうすこし、娘の言うことを聞いてくれればいいのですが!
 一日もはやく病気を治し、元気で丈夫なおばあさんに復活してもらいたいと願っています。