戦後日本の平和憲法の第9条に象徴される「平和」を、私たちの目指すべき「理想」としてはならない。さらなる高みに位置する「へいわ」を、目指すべき目標としなければならない!(2)
戦後日本の平和憲法の第9条に象徴される「平和」を、私たちの目指すべき「理想」としてはならない。さらなる高みに位置する「へいわ」を、目指すべき目標としなければならない!(2)ー「人としての命と暮らしを守る」ために、「日本国」の「日本国民(日本人)」として生きてきた私にできることとは
(最初に一言)
今回は、前回の続きとして、私の考える「へいわ」を述べてみよう。その関連から、そうした「へいわ」をつくり出す関係と、それに対置した私たちの「現実」を、それぞれモデルで示しておきたい。
既に何度も説明しているが、図式の一番外側の記号({ })は、覇権システムを、記号の([ ])は主権国家・国民国家を示している。なお、B、Cにおいては国家の形成と発展は十分ではない植民地や従属地としての時期もあったが、ここではすべて同じ記号で描いていることに留意されたい。なお、詳しくは拙著や拙論、または以前のブログ記事を参照されたい。
1970年代までの私たちが生きてきた「現実」の世界とそれを創り出す関係
{[Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)→Bの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)→Cの経済発展(礼節を知らず)]}
1970年代以前の私たちが目指すべきであった「理想」としての「へいわ」とそれを創り出す関係
Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)→Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)→Cの経済発展(衣食足りて)→Cの民主主義の発展(礼節を知る)
1970年代以降の私たちが生きている「現実」の世界とそれを創り出す関係
{[Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Cの経済発展(衣食足りて・足りず)→Cの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Aの経済発展(衣食足りず)→Aの経済発展(礼節を知らず)]}
1970年代以降の私たちが目指すべき「理想」としての「へいわ」とそれを創り出す関係
Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)→Cの経済発展(衣食足りて)→Cの民主主義の発展(礼節を知る)→Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)
☆ここで注意しておきたいのは、「へいわ」を示す図式は、「イコール」(=)で三者が結び付けられていない関係を、私が描いているところである。
(なお、上述した図式のモデルは、それぞれ逆からも描くことができるのだが、ここではそれらの図式のモデルは省略している。)
ここで、これらの図式をみながら、少し解説をしておきたい。
私たちの従来の「平和」観は、「システム」と切り離された者であり、その意味では、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムといった三つの下位システムから構成される「平和」という見方に立つものではなかった、ということである。
こうした点を前提とした時、私は第9条で語られてきた「平和」を次のように書き換えることを提案したい。なお、今回は、これ以上の話はできないが、従来のように、日本国と日本人を前提とした憲法を想定してはいないことを、あらかじめここで断っておきたい。
私たちの(「理想」とする)「へいわ」とは
(第1項)
私たちは、お互いの自己決定権とその実現を尊重すると同時に、それを保障するための各人相互における「衣食足りて礼節を知る」営為の関係を提供・保障できる環境を創ることを目指さなければならない。そして、ここでいう「環境」を、私たちは「へいわ」な状態として位置づけ、理解する。
(第2項)
私たちは、このへいわと、その実現を危うくするような政治的経済的社会的文化的ないかなる暴力に対しても、果敢に向き合い、日々これを制御することに努めなければならない。
これらの文言は、私よりももっと能力のある人に加筆修正をお願いしたい。ここでの要点は、上で紹介した「へいわ」に導く関係を念頭においてほしいということである。そこでは、「親分ー子分」の暴力とその関係・関連から導かれる差別と排除の関係を前提とした力と力の対立・衝突をその特徴とする覇権システムの中で獲得・実現される自己決定権の存在の余地はないということを、まずは確認してほしいのである。
次に、それを認めた上で、この世に生を受けたものは、何人(なにびと)も、その国籍、人種、性別、宗教等にかかわらず、各人の「衣食足りて礼節を知る」営為とその実現の歩みを、互いに尊重すると同時に、また相互に保障し合わなければならない。
付言すれば、私たちの「共同体」は、その担い手を、日本人だけに限定してはならないということ。すなわち、日本に暮らす人ならば、彼彼女の主体的意思によって、共同体の一員としての資格を有することを認めなければならない。
この二つの点を含む文言が作成されることが、何よりも大切であり、優先されるべきであることを、最後に念を押しておきたい。
(最後に一言)
これからも、私の現実主義的な論の模索と理想主義的な論の模索の二つの流れから、さらなる論の展開を、と考えている。
ここ2,3日は、いろいろなことが頭の中を駆け巡り、できる限り書き留めておきたいとの思いから、書き続けているのだが、後で読み直すと、すべてはもう以前に書いたことばかりだと気がつく。ただ、それはそうとしても、やはり何か伝え方というか話し方に、微妙な変化が生じていることにも気がつくのだ。ほんの少しだけだとしても、私はそれだけでも、うれしくなるのだ。
もうこんな時間となっていた。それでは今日はというつもりがもう今日ではなくなってしまったが、ひとまず、この辺で。