日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

戦後日本の平和憲法の第9条に象徴される「平和」を、私たちの目指すべき「理想」としてはならない。さらなる高みに位置する「へいわ」を、目指すべき目標としなければならない!(2)

2021-04-22 | 日記

 

 

戦後日本の平和憲法の第9条に象徴される「平和」を、私たちの目指すべき「理想」としてはならない。さらなる高みに位置する「へいわ」を、目指すべき目標としなければならない!(2)ー「人としての命と暮らしを守る」ために、「日本国」の「日本国民(日本人)」として生きてきた私にできることとは


(最初に一言)

今回は、前回の続きとして、私の考える「へいわ」を述べてみよう。その関連から、そうした「へいわ」をつくり出す関係と、それに対置した私たちの「現実」を、それぞれモデルで示しておきたい。

既に何度も説明しているが、図式の一番外側の記号({ })は、覇権システムを、記号の([ ])は主権国家・国民国家を示している。なお、B、Cにおいては国家の形成と発展は十分ではない植民地や従属地としての時期もあったが、ここではすべて同じ記号で描いていることに留意されたい。なお、詳しくは拙著や拙論、または以前のブログ記事を参照されたい。


1970年代までの私たちが生きてきた「現実」の世界とそれを創り出す関係

{[Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)→Bの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)→Cの経済発展(礼節を知らず)]}

1970年代以前の私たちが目指すべきであった「理想」としての「へいわ」とそれを創り出す関係

Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)→Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)→Cの経済発展(衣食足りて)→Cの民主主義の発展(礼節を知る)


1970年代以降の私たちが生きている「現実」の世界とそれを創り出す関係

{[Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Cの経済発展(衣食足りて・足りず)→Cの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Aの経済発展(衣食足りず)→Aの経済発展(礼節を知らず)]}

1970年代以降の私たちが目指すべき「理想」としての「へいわ」とそれを創り出す関係

Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)→Cの経済発展(衣食足りて)→Cの民主主義の発展(礼節を知る)→Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)

☆ここで注意しておきたいのは、「へいわ」を示す図式は、「イコール」(=)で三者が結び付けられていない関係を、私が描いているところである。

(なお、上述した図式のモデルは、それぞれ逆からも描くことができるのだが、ここではそれらの図式のモデルは省略している。)


ここで、これらの図式をみながら、少し解説をしておきたい。

私たちの従来の「平和」観は、「システム」と切り離された者であり、その意味では、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムといった三つの下位システムから構成される「平和」という見方に立つものではなかった、ということである。

こうした点を前提とした時、私は第9条で語られてきた「平和」を次のように書き換えることを提案したい。なお、今回は、これ以上の話はできないが、従来のように、日本国と日本人を前提とした憲法を想定してはいないことを、あらかじめここで断っておきたい。


私たちの(「理想」とする)「へいわ」とは

(第1項)

私たちは、お互いの自己決定権とその実現を尊重すると同時に、それを保障するための各人相互における「衣食足りて礼節を知る」営為の関係を提供・保障できる環境を創ることを目指さなければならない。そして、ここでいう「環境」を、私たちは「へいわ」な状態として位置づけ、理解する。

(第2項)

私たちは、このへいわと、その実現を危うくするような政治的経済的社会的文化的ないかなる暴力に対しても、果敢に向き合い、日々これを制御することに努めなければならない。

これらの文言は、私よりももっと能力のある人に加筆修正をお願いしたい。ここでの要点は、上で紹介した「へいわ」に導く関係を念頭においてほしいということである。そこでは、「親分ー子分」の暴力とその関係・関連から導かれる差別と排除の関係を前提とした力と力の対立・衝突をその特徴とする覇権システムの中で獲得・実現される自己決定権の存在の余地はないということを、まずは確認してほしいのである。

次に、それを認めた上で、この世に生を受けたものは、何人(なにびと)も、その国籍、人種、性別、宗教等にかかわらず、各人の「衣食足りて礼節を知る」営為とその実現の歩みを、互いに尊重すると同時に、また相互に保障し合わなければならない。

付言すれば、私たちの「共同体」は、その担い手を、日本人だけに限定してはならないということ。すなわち、日本に暮らす人ならば、彼彼女の主体的意思によって、共同体の一員としての資格を有することを認めなければならない。

この二つの点を含む文言が作成されることが、何よりも大切であり、優先されるべきであることを、最後に念を押しておきたい。


(最後に一言)

これからも、私の現実主義的な論の模索と理想主義的な論の模索の二つの流れから、さらなる論の展開を、と考えている。

ここ2,3日は、いろいろなことが頭の中を駆け巡り、できる限り書き留めておきたいとの思いから、書き続けているのだが、後で読み直すと、すべてはもう以前に書いたことばかりだと気がつく。ただ、それはそうとしても、やはり何か伝え方というか話し方に、微妙な変化が生じていることにも気がつくのだ。ほんの少しだけだとしても、私はそれだけでも、うれしくなるのだ。

もうこんな時間となっていた。それでは今日はというつもりがもう今日ではなくなってしまったが、ひとまず、この辺で。

 


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戦後日本の平和憲法の第9条に象徴される「平和」を、私たちの目指すべき「理想」としてはならない。さらなる高みに位置する「へいわ」を、目指すべき目標としなければならない!(1)

2021-04-22 | 日記

戦後日本の平和憲法の第9条に象徴される「平和」を、私たちの目指すべき「理想」としてはならない。さらなる高みに位置する「へいわ」を、目指すべき目標としなければならない!(1)ー「人としての命と暮らしを守る」ために、「日本国」の「日本国民(日本人)」として生きてきた私にできることは


(最初に一言)

前回の話の中で、私は「理想主義」的模索と「現実主義」的模索の二つの次元に関わる話をした。その際、私の説く理想主義と現実主義は、「システム」の中で生きている、つまりは、その歴史的制約を自覚することを前提として、それと向き合い、その問題点を自問自答する中から掴み取ることのできた理想主義であり、現実主義だと論じた。今回は、この点を踏まえながら、以下に論を展開していこう。


その関連から言えば、戦後日本の平和憲法を象徴する第9条の「平和」は、戦後の日本人が目標とした理想・理想主義とはほど遠いものであったことが理解されよう。問題は、そのような理想や理想主義とは、まったなりえなかった代物(しろもの)が、見事にまるで詐欺的シンボルとして、理想を語る私たちの目を曇らせ続けることができたのはどうしてなのか、ということである。

その理由として、何よりも指摘されるべき点は、覇権国である米国の圧倒的軍事力を前提として、占領下の日本と日本人が受け取った受け取らざるを得なかった平和、平和主義であったからである。その意味では、その平和と平和主義とは、覇権国の米国の暴力と何ら矛盾しない、その力に逆らえない、向き合うことのできない理想、理想主義であったと読み取ることができる。

当然ながら、私たちは、このような理想・理想主義とは異なる別の新たな「りそう」・「りそうしゅぎ」を手に入れることを目指さなければならないのだ。そのためには、どうしても、なぜ米国の覇権国が提供した平和の下でしか、私たち戦後の日本と日本人は生きることを許されなかったのかを、問うことが求められよう。

その問いは、いわゆる歴代の覇権国が提供した「パックス」と日本の「平和」との関係を、改めて問い直す作業に、私たちを導くだろう。そこから、覇権システムと日本国という主権国家、国民国家との関係を問うことが避けては通れなくなるに違いない。同時に、そうした日本国と日本国民を担い手とした戦後の日本経済の発展、民主主義の発展の歩みの関係も問い直されなければならなくなる。

それらの点を踏まえるとき、「覇権システム」と向き合い、その抱える問題点を考察することは、結局のところ、そのシステムを前提としてつくり出された世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される「システム」それ自体と向き合い、その抱える問題点を考察する作業に他ならないということに、私たちは気がつくはずである。

私たちは、戦後一貫して、日米安保体制の下、米国の核の傘の下に生き続けてきたのは確かなことであったが、その米国は覇権国として、覇権システムの維持と発展に関わるもう一つの顔を持つ米国であったという現実を、どれほど正確に理解してきたのだろうか。換言すれば、主権国家、国民国家としての米国の背後にある覇権国としての顔と、その米国が頂点に君臨してきた覇権システムの存在に対して、ということだ。

私たちの平和憲法の平和は、そうした覇権システムの歩みには全く関係のないかのような、それに背を向けてきた平和ではなかったろうか。それゆえ、私たちの「親分ー子分」関係に象徴される暴力との向き合い方は、戦争と平和の関係をあたかも水と油の如く位置づけ、理解することを当然とした思考習慣を当然としてきたのではあるまいか。

「私たちは戦後一貫して、自衛隊を外国に派遣することなく、平和を守ってきた」云々の発言は、私たちが覇権システムの中で生きているという現実と向き合おうとしない、まったく理解できていないことを、端的に表すものではあるまいか。それゆえ、その覇権システムを前提として、すなわち「血と汗」を流しながら、私たちの経済発展、民主主義の発展の実現が可能となったという現実にも、おそらくは思いも至らないのではあるまいか。

当然ながら、私の語る「システム」論云々の話も、理解できない、あるいは、その前にそのような話に興味すら感じることができないのではなかろうか。私たちの戦後の理想として掲げた「平和」は、最初から暴力に背を向けたままで、それとは立ち向かわない、換言すれば、そうした力と力のせめぎ合いを前提として繰り広げられた自己決定権の獲得を巡る争奪戦を常とする現実に触れることのできない、平和であり、理想であったのではあるまいか。

私たちの理想とする平和は、私たちが放り込まれている国内・国際環境における現実と向き合わない、内向きの消極的・無関心的なそれであったことから、すこぶるその理想のレベルは低くあり続けてしまったのだ。私たちの生きている現実の舞台が、あまりにも牧歌的な世界としか目に映らない。私が描く、「システム」の残酷きわまるセカイが理解できないのだ。

それは、民主主義の位置づけ方・理解の仕方にも垣間見られる。私たちのような、かつての先進国に暮らす人々が、自らの自由や民主主義、人権、平和を、その掌中にしっかりと掴み取るには、これまで途上国の地位に甘んじてきたそこに暮らす人々の、どれほどの知と犠牲を強いてきたかを想像すればわかるはずだが、残念ながら、このような見方を多くの人たちは共有できないままにいる。

それは取りも直さず、私たちの現実を捉える目がかなり弱い、低い能力であることを意味している。それは同時に、私たちの語る平和の理想のハードルが低いことを意味しているのである。さらに酷な言い方をすれば、私たちは、私たちを取り巻く相手との関係の中で、平和憲法の平和を語ってきたとは、私には思われない。その意味では、ハードルそれさえもなかったのだ。

そしてまた、そのことは、私たちが覇権システムの中で、かなり無防備な思考状態のままに、置かれ続けてきたことを物語っている。それが証拠に、外交・軍事問題は、米国の51番目の州に甘んじながら、政治経済問題に対しては、あたかも主権国家の存在であるかのように振舞っている、その愚かしさを自覚できない、しようともしない。こんなおめでたい日本と日本人であることさえも、気がつかないで、アジアにおいて、世界において、平和がどうの、自然環境がどうのとほざくとしたら、それはよほどの神経を持っているとしか言いようがない。

こうした現実は、私たち日本と日本人が覇権システムで生きることの難しさや厳しさを、そのまま米国に肩代わりさせていたことを示すと同時に、改めて、政治や経済の次元での生存競争が可能となるためには、何よりも、外交・軍事次元の安全保障が必要不可欠であることを、すなわち、覇権システムの中で生き残る・生き延びることがいかに重要となるかを、私たちに教えてくれるのだ。

私たちの理想とする平和は覇権国の米国が提供したそれであったことから、もしその米国の力が衰えてくれば、さらに別の覇権国が台頭した際には、そうした環境の変化・変容に対して、向き合うことが難しくなる平和であり、理想である、と言わざるを得なくなる。さらに、それにもまして問題となるのは、そうした平和を理想として掲げてきたことから、私たちの現実を捉える目があまりにも弱くなっているということなのだ。

たとえば、仮に政権担当者やその取り巻きの御用学者連中が、喧しく現実がどうの、現実主義の立場から、どうのこうのと述べたとしても、彼らが射程として収めている守備範囲は、これまた貧弱過ぎる内容となるのだ。私たちが提供されてきた平和は、覇権国の米国からのそれであったが、同時にまた、現実・現実主義の理解の仕方もその米国のフィルたーをとおしてのそれであったことから、米国を介した世界認識とその理解であったのだ。直接、私たちの目でもって捉えた世界、そして覇権システムではなかったということを、肝に銘じておく必要がある。 


(最後に一言)

ここにきて、私の頭の中が騒がしくなってきた。「芸術は爆発だ」、とは岡本太郎氏の迷言であったが、私も未だになお、ぶつぶつ、ふつふつ、と、頭の中であれこれ考え考える日々が続いている。まだまだ納得のいくようなことは、とても書けそうにはないが、それでも何とか、お迎えが来るときまでにはまとめてみたいものだ。

 


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