諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

私が想像する「鳴子こけし」の由来。

2015年02月17日 09時58分41秒 | 伝説

最近、「こけし」ブームらしいですね。第二次だか第三次だかの。

何でも30代の女性を中心に「こけし」にハマる人が多く、その女性たちは「こけし女子」、「こけ女(コケジョ)」とか呼ばれているみたいです。「こけし」の由来を知っている私はチョット複雑です。考えちゃいます。

「こけし」と言うと東北六県にそれぞれ名産地がありますが、中でも私が住む宮城県がダントツ一番でしょう、人気の点では。

宮城県の「こけし」の名産地は「作並」、「遠刈田」なんかもそうですが、中でも「鳴子」が有名です。「こけし=鳴子」と言っても良い。日本一のこけしの名産地は鳴子です。

鳴子には鬼首(おにこうべ)と言う地名がり、アテルイがモデルとされている大獄丸の伝説が残っている。瀬織津姫を祀る荒雄川神社もある。これらを考えると蝦夷の拠点だったのは間違いないように思います。

その鳴子の地名の由来は、源頼朝の追っ手から逃れてきた源義経の妻が、出羽で子供を産んだ。そしてこの地まで来て子供を温泉に入れたら、初めて鳴き声をあげた。だから鳴子になった。または潟山が噴火し鳴郷から温泉が吹き出たから鳴子となったとか言われてます。

それならそれで良いのですが、「こけし」の由来を考えると違うのではないかと私は思っています。

こけしの由来は諸説ありますが、先ず「こけし」は東北地方が名産です。

昔は米が経済の基盤でしたが、東北は寒冷地故に冷夏で米が取れず飢饉が頻発していた。皆貧しかった。

故に子供が産まれても労働力とならない女の子は間引きされた。だから「こけし」は女の子であり、仏壇に供える花である菊があしらっている。女の子の好む赤い色合いとなっている。

それに地蔵信仰と道祖神信仰が融合しあの形になった。つまり「こけし=子消し」。「こけし」は名も無く葬られた女の赤ちゃんの位牌の変わりなのだと私は思います。

それを名産として売る。可愛いから買う。それで良いのでしょうかねぇー。私は複雑です。「こけし」には悲しい思いが宿っていますので、短慮なブームは罰当たりな気分になります。悲しくなります。

実は私の家の玄関にも九体の「こけし」が飾られてます。私の親が「こけし」の由来も知らず買い揃えたものです。「こけし」は位牌だとしたら、玄関に飾るってどうなんでしょう。

うちの家族も罰当たりという事です。悲しいですけど。

あっ、肝心な事忘れてました。鳴子の意味ですが、私は間引きされた女の赤ちゃん達の泣き声から来ているのではないかと考えます。闇に葬られた女の赤ちゃん達の悲しみ、そして間引くしかなかった親の悲しみの地、それが鳴子なのではないでしょうか。まっ、あくまでも私の考えですけど。

悲しいかな因果な家系を生きる私は、そんな風に思ってしまうんですよね。

悲しいかな、悲しいかな。

 

ではでは。

 

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まほろば)
2015-10-01 16:33:45
こんにちは。
秩父・仙台まほろばの道を書いてる者です。
読者登録ありがとうございまーす!

こけしは、遠野に行った時に、子を消すことからきていますと、そんな話を五百羅観音の所で話すので、なんか、へこみました。
私は主婦ですが子供がいないので、ある意味、子供いない方が楽かも、なんてその時は思った次第です。
人生、いろいろですね。

へなちょこなブログですが、今後ともよろしくお願いします。
間違えられた事があります。 (綱永井寵生)
2015-10-01 20:18:52
まほろばさんへ

初コメント、有難う御座います。

私がブログを書く前に瀬織津姫の本を書いている方から、「ブログ読んだよ」と言われた事があります。よくよく話を聞いたら、まほろばさんの「秩父・仙台まほろばの道」は私が書いているもと勘違いしたようです。

しかし、まほろばさんが女性とは考えてもいませんでした。しっかりした文章なのでてっきり男性の学者さんなのではと思っていました。

まほろばさんの話は私の興味のある分野とドンピシャで、納得・同調する部分も多く嬉しく思っています。

今後はこちらからもコメントさせてください。宜しく御願い致します。

歴女 (まほろば)
2015-10-01 20:29:08
こちらこそ、瀬織津姫についてはよくわからないのですが、興味がありますので、また拝読させて頂きます。

しかし、ある方からも、おじさんが書いていると思われていたようで、女性らしく書けない悩みがあります…。
またお邪魔します。
さっそくコメント書きました。 (綱永井寵生)
2015-10-01 20:55:41
まほろばさんへ

早速、狼の記事へコメントを書きました。過去の記事にも機会があったらコメントしたいと思います。

宜しく御願いします。
そうなんですかあ。 (りひと)
2017-04-10 11:57:45
地図見てるとかなり気になる地が鳴子です。
今後調べる事になりそうですね。1838
大獄丸の首。 (綱永井寵生)
2017-04-12 11:52:04
りひとさんへ

鳴子は大獄丸の拠点の土地ですからね。
大嶽丸 (りひと)
2017-05-11 14:01:09
そうそう、沖縄行ってうたきにハマり御嶽信仰が気になってまして蔵王権現の御開帳の案内をテレビで観ちゃいました。行った方がいいのか?
そもそも犬かと思いきや奈良の講座で明治までは蔵王権現だと聞いて安心しましたけど開帳となると険しい感じがして。

ミタケと読むとオンタケと読むのとも色々な意味で違うし。ただ音でいくとタケは共通ですね。
大竹丸にしよっかなあ?大武丸より好きかな。
倭王武って竹じゃないのか?

そうそう犬は綱吉さんにお世話になっていてもいまいち好きになれません。犬飼氏は結構好きですけど。江戸の徳川の分岐点も綱吉さんなのでしょうね。お玉さんまたきましたよ、嵯峨野に井戸あるようです。

大嶽丸の地でこけし、お玉さんと竹とミタケ。
あれ〜神功皇后ってお玉気質あるんですけどまさかお供の主人殺され連れて行かれたのかなあ?犬にやられたとか?東北には来ている忍熊王子は消えている。栗原の神社気になってきましたよ。まさか神功皇后の旦那は東北に祀られているあの悪評高い天皇では?

仲哀天皇って安閑天皇辺りかも?

大嶽丸また改めて掘ってみます。8503
大嶽丸。 (綱永井寵生)
2017-05-13 09:34:27
りひとさんへ

大嶽丸は仏教の流れからの名前でしょう。当然、後から付けられた名前だと思います。それと大竹丸との表記も有ります。

不思議な物で私の故郷の福島県でも大嶽丸の伝承が残っていますが、岩手県と違って悲劇の英雄として描かれています。

敗北は[負けたら北に逃げろ」との意味合いも有りますが、どうも徳一法師の仏教が色濃い事か地元出身の英雄とされたと考えられます。

因みに宮城・岩手の大獄丸は悪鬼の部分がやや多く、五体が切断され多くの場所に飛んで言ってます。頭が飛んでいった場所が鳴子です。
大竹丸あり? (りひと)
2017-05-13 13:50:57
いやあ、その地によって評価が違うのはかなり興味ありますね。だって言ってましたもん。講演会でその地の神社とか歴史を変えような意向があった場合はその地の住民動かすって。だとしたらそこのエリアではヒールキャラで移動した地では伝えなければとヒーローとしてこっそりと伝えてるはずですよね。

個人的予想としてはとても大事な方だったんでしょうね、中心人物としての品格もあったはず。
その品格は抹消しても残りそうだから悪評をまく。なのでこの法則では悪評があれば大事なそれなりの地位を持ついい方だったはずですね。人間が関わると人間の意思が行動に見え隠れするものです。なので実際どうなったのか?を深読みすると一瞬で日本人なら理解出来ちゃいそうですね。

でバラバラのエピソードもたいていそこに当たりそうですけど大竹丸もなんですね。将門と似てますね、エピソードを作った方の意思としても将門とくっ付けたいのか将門を意識して書いてしまったのか?なんか興味深いですね。
また掘ってみたい題材ですね。1983 最近ですね。何か法律とか治安維持法とか出来ているのかな?
アラハバキ神社。 (綱永井寵生)
2017-05-13 16:02:22
りひとさんへ

多賀城にアラハバキ神社が鎮座しています。その地に蝦夷兵のテント村が有ったようです。そして多賀城の建物はその蝦夷たちの反乱で燃やされた。

岩手県もそうですが蝦夷の反乱が強かった。その点から大獄丸が悪鬼のように描かれていると思います。

制夷は荒蝦夷と熟蝦夷との戦いでもあります。福島は争いを好まなかった蝦夷の地だったのかも知れません。

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