骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

尾張・三河霊場を骨で聴く

2009-08-11 16:44:31 | 骨で聴く巡礼旅

 夏本番、しかし台風に地震と、まるで終末を思わせるような出来事が続いています。地球温暖化だけでない天変地異は、何を意味するのでしょうか?
 骨伝導機器とともに、巡礼の旅に出かけましょう。

 本尊巡礼と聖跡巡礼の交わり

 西国観音巡礼や四国遍路を模した「うつし(写し・移し)巡礼」が最も盛んな地域といえば、何を置いても愛知県です。地方巡礼は日本全国にありますが、おそらく現在の愛知県、かつての尾張・三河ほど盛況を帯びた場所はないでしょう。それほどまでに巡礼地が多く、本家本元以上に郷土の誇る聖地となっているのです。

 一種のコピーである「うつし巡礼」が開創されるには、それぞれの理由があります。
 大きな理由として代替行為が挙げられます。地理的条件や経済、あるいは健康上の理由など、物理的な移動が困難である代替として、地元に同等の功徳の得られる霊場を創設するのです。

 また、巡礼地の各札所の「お砂」などを一ヵ所に集め、ミニチュア化した霊場を擬似的に創る場合もあります。高校球児たちが甲子園の土を持ち帰り、自分たちの練習グラウンドに撒く行為に似ています。
 また、オリジナル巡礼の予行演習的な意味合いで創立されることもあるようです。

 どのような理由であれ、開創された霊場はそこから独自の歴史を持つことになります。オリジナルとは別の時間を手に入れるものの、霊験も功徳も巡礼者に平等に与えられるのです。

 では今度は、別の角度からもこの地の巡礼を見ていきましょう。まず「本尊巡礼」と「聖跡巡礼」に分けて考えてみる必要がありそうです。
 本尊巡礼とは、特定の新仏を奉納する場所への巡礼です。霊験あらたかな観世音菩薩を巡る観音巡礼や、不動巡礼、七福神巡礼などもこれに属します。

 これに対し、聖跡巡礼とは聖者の辿った道程に沿い、聖者縁の寺院や場所を詣でることが目的になります。日本ではあまり一般的ではなく、海外ではイエスや釈迦の足跡を辿る巡礼などが代表です。
 四国八十八ヵ所は、聖跡巡礼の要素を持ちながら、実は各札所の大師堂を巡礼する本尊巡礼でもあります。「うつし」の段階では、完全な本尊巡礼になります。
 ところが、四国と同様に弘法大師の足跡を辿る要素を持つのが、この地域の巡礼地なのです。知多半島から三河、尾張一帯には弘法大師伝説が溢れ、本尊巡礼と合わせて霊場が創設されています。

 知多半島の知多四国霊場は、小豆島、篠栗と並んで日本三大新四国霊場になっています。

 この地では集団巡礼も多く、四国同様の接待の風習もあります。地元民のための霊場が、独立して全国の巡礼者を受け入れるようになり、発展し、現代まで根付いているのです。
万博で賑わった愛知県ですが、喧騒が通り過ぎた時期にこそ、巡礼の旅に出るのもいいかもしれません。

 思い立ったが吉日です。これを契機として、この地域の霊場がますます栄えることを祈念しつつ、読書の方に入門案内になればと考えています。


 知多四国八十八ヶ所霊場

 弘仁五年(八一四)、三河から舟で知多半島を南下した弘法大師は、現在の南知多町大井聖崎に上陸し、護摩修法されたあと、陸路で北上したといわれます。
 伝説では、弘法大師は知多半島の風景が四国に似ていることに驚いたといいます。
 古歌にはこう詠われています。

   西浦や 東浦あり 日間賀島 
       篠島かけて 四国なるらむ


 知多四国霊場の発願は、文化六年(1809)、妙楽寺の住職・亮山阿闍梨によります。大師の夢告によるといわれています。亮山上人は大師の夢告ののち、四国霊場に出発し、三回巡ったといいます。この時に二人の同志を得たことから、三人により十六年かけて霊場を開創したのです。
 知多半島には、大師の霊跡が数多く残っています。これは霊場の寺院が真言宗だけでなく、曹洞宗、西山浄土宗、天台宗、臨済宗、時宗と、超宗派で成り立っているのも、それだけ弘法大師の聖地である由縁なのかもしれません。


 四国直傳弘法八十八ヵ所霊場

 同じ知多半島で、大正十四年に開設されたのが、四国直伝弘法霊場です。
 やはり四国に似た風光明媚で温暖な地だということから、当時の四国八十八ヵ所霊場会長(善通寺誕生院貫主)より「四国直伝証」を拝受したことにより、「四国直傳」としての霊場が開設されました。
 その後「大師尊像」の寄進や、多くの篤志の方々の力添えにより「直伝弘法さん」と親しまれるようになりました。
 霊場会も「四国直傳弘法大師 尾張八十八ヶ所霊場会」と名称も新たにし、平成17年に開創八十周年を迎えました。
 特徴的なのは、宗祖・弘法大師の真言宗寺院が一つもない点でしょう。曹洞宗、浄土宗、天台宗、臨済宗、黄檗宗で霊場を構成しています。
知多半島を時計回りに一周するのは、知多四国八十八ヶ所と同じです。


 三河新四国霊場

 知多半島の付け根のすぐ隣にあるのが知立市です。ここから三河新四国霊場はスタートします。
 豊田、岡崎方面へと進み、最後は碧南市までの八十八ヵ所を巡ります。まさに三河を横断する霊場になります。
 開創霊場、いわば第零番札所に相当するのが弘法山遍照院で、「見返り弘法大師」の像で有名です。


 三河三弘法霊場

 弘法大師空海が関東地方への巡錫を終えた帰路、この地方に立ち寄ったことが根幹になっています。霊験あらたかな像を刻み、開眼供養、安置された三つの寺院が、三河三弘法です。
 第一番の弘法山遍照院は三河新四国霊場の開創霊場、第二番の大仙山西福寺は「見送弘法大師」として有名で、三河新四国では第二番になります。
 第三番の天目山密蔵院も三河新四国の第三番です。「流涕弘法大師」として知られます。


 名古屋二十一大師霊場

 ほぼ名古屋を一周するようにして、二十一の弘法大師縁の札所を巡る霊場です。歴史は古いわけではありませんが、市街地の霊場ということで、気軽さと現代の修行場としての意味がありそうです。
 結願の第二十一番・八事山興正寺は、尾張高野山ともいわれます。四国霊場のあとの高野山参拝と同様、知多霊場のあとは尾張高野山が重要な聖地として位置づけられています。


 名古屋三弘法霊場

 昭和二年、四国霊場遍路の一人が訪れ、弘法大師の三大誓願「一.厄除け 二.開運 三.道びき」が三ヶ寺の本願と相応じたことから、開創されたといいます。
 従って三弘法はそのまま、第一番が厄除大師、第二番・開運大師、第三番・道びき大師となっています。


 そして何より、骨で聴くこと……

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 巡礼の旅は骨で聴きます。
                                                           


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