平安時代の寛弘2年(1005年)、一条天皇の勅命により創建された元神明宮は都営地下鉄大江戸線の赤羽橋駅にほど近い場所に鎮座しています。港区三田の住所です。目の前が坂で境内の左側には東京タワーが見え隠れします。まさに都会的な神社で、「日本一近代的」とも形容されます。
いつものように骨伝導ヘッドセットとともに参拝に向かいました。
渡辺綱の産土神でもあり、多くの武人に崇敬を受けた元神明宮は、江戸に入府した徳川家の命により神宝・御神体が飯倉神明(現在の芝大神宮)に移される際、氏子・崇敬者の熱意により境内に御神体だけは渡せないと隠し留め、昼夜警護して守ったという伝説が残ります。以来、元神明宮と称されるようになったようです。
境内には、安産の神、水の神として崇拝されている水天宮が祀られ、この水天宮は、文政元年(1818年)、隣接する有馬藩邸内に、邸内社として領地の九州久留米水天宮から分祀されましたが、明治元年に有馬邸が青山に移転することになり、この地に御分霊を奉斎致したというものです。
都心の神社ということで、大正の関東大震災や昭和の東京大空襲等、多くの災厄に襲われました。その度に氏子・崇敬者の人々を守ったということで、現在では厄除けの神社として地元だけでなく全国の方々より崇拝されるようになりました。
それ以外にも、穀物の神である宇迦之御魂神(稲荷神社)を奉斎しています。
元神明宮は目の前の坂側からは、天祖神社という文字が見えます。港区三田の閑静な一角に、その文字は荘厳な雰囲気を醸し出し、周辺地域の喧騒をかき消しているようです。
歴史的な風格のある神社ですが、旧御社殿の老朽化に伴い全面的な改築を行い、平成6年に現在の近代的な御社殿が完成しました。平成17年(2005年)には御鎮座壱千年の記念事業を行いました。
喧騒と静寂、歴史と近代化というそれぞれの相反する要素に、骨伝導の最新機器が加わり、参拝に重みが出るようです。
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江戸から続く庶民の信仰に、米軍で採用された骨伝導の威力の対比も、都会の神社巡礼には欠かせないmのとなりました。ここではまさに実感させられます。
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