骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

目赤不動尊を骨で聴く

2012-09-01 12:52:18 | 骨で聴く巡礼旅

 東京の五色不動は、徳川家光が天海僧正の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したという伝説があり、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種六個所の不動尊の総称のことです。各不動尊は、天台宗や真言宗の系統の寺院になっていて、密教寺院としての不動明王という扱いになっています。
 目白と目黒は山手線の駅名になっているため、有名ですが、骨伝導とともに訪れた不動霊場は今まで目青と目黄でした。この夏、炎天下の中、目赤不動尊へと向かいました。骨伝導ヘッドセットと同行です。

 目赤不動尊は文京区本駒込にある南谷寺です。山号は大聖山、院号は東朝院で、正式名称は、大聖山東朝院南谷寺、天台宗の寺院です。

 近くに動坂、または堂坂とも書かれる通りがあり、かつて赤目不動がありました。その動坂上には目赤不動跡と呼ばれる不動堂が存在していたようです。中井英夫の代表作『虚無への供物』では目赤不動の再建予定地として紹介されています。
 しかし南谷寺の不動堂が再建されたとで、旧跡地は五色不動としてのランドマークの役割を終えました。現在は駐車場となっています。

 南谷寺そのものは、元和2年(1616年)に比叡山の南谷にいた万行律師によって開かれた寺院です。ある夜、伊賀国の赤目山に行くよう夢でお告げがあり、赤目山の山頂で祈願していたところ、天から一寸二分ほどの黄金の不動明王像を授かったという言い伝えがあります。これにより、江戸・下駒込の地に庵を結び、不動明王像を安置したということでした。



 寛永5年(1628年)に、徳川家光によりそれまで「赤目不動」と呼ばれていた不動尊を目黒不動・目白不動にちなみ「目赤不動」と呼ぶように言われたといいます。

 現在は本郷通りに面した都会的な寺院で、クルマの往来が激しい通りから天海のレイラインを構成する不動霊場が開けているのが特徴的です。
 特に観光名所になっているわけではなく、境内も決して広いわけではありませんが、地元の人々に愛された寺院といえます。

 都会の喧騒を骨伝導のパワーにより騒音対策が完璧になされ、江戸五色不動の結界により、江戸時代からの守りのパワーも体感します。特許技術が活かされた骨伝導機器と江戸時代から続く不思議なパワーとが一体化するのは、何ともいえず爽快です。

         ⇒ 特許技術・骨伝導製品

 ぜひ一度、骨伝導ヘッドセットともに不動明王のパワーを感じてみてください。


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