骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

福辻式「小顔頭蓋骨矯正」を骨で聴く

2016-09-15 14:56:20 | 骨で聴くビジネス

あの 200万部の大ヒット著書 「骨盤枕ダイエット」 の提唱者で、日本の名医50選にも選ばれたアスカ鍼灸治療院院長・福辻 鋭記 先生監修・指導による 「小顔頭蓋骨矯正」 シリーズDVD が話題です。

発売以来、エステサロンだけでなく整骨院・鍼灸院などの有資格者にも画期的で実践的と評判になったDVDです。

福辻先生の長年の臨床経験から、その場で結果の出る手技として数多くの施術院やサロンで好評なのも納得の内容です。

 

小顔を導きたい!

美しいフェイスラインを取り戻したい!

二重アゴを改善したい!

ホウレイ線を薄くしたい!

シワやシミを解消したい!

吹き出物を取り除きたい!

美白したい!

頭痛・頭重をスッキリしたい!

目の疲れを解消したい!

 

顔や頭に関する悩みやトラブルに対し、的確なテクニックを紹介しているのもこの福辻式「小顔頭蓋骨矯正」メソッドの特長です。

 

「小顔頭蓋骨矯正」DVDは2巻構成です。

 

PartⅠ  「小顔&頭蓋骨矯正」メソッド

PartⅡ  「表情筋矯正&リンパケア」メソッド

 

しかもこのDVDの企画・プロデュースは、20年近く癒しと美の業界に携わるアスカクリニカルサロン院長・ 小野里 勉 先生が担当しているのです。

業務用のため、一般の人には向いていません。

施術のプロの人向けです。

 

もし、施術に関連する仕事をされているのなら、今すぐチェックしましょう!

しかも現在、キャンペーン中で、驚きの割引価格も提示されています。

 

今すぐ確認!

 

なぜか今回は、このDVDを耳だけでなく骨でも聴きました。勉強するには耳からの入る音声だけでなく、骨から、骨伝導を使うのも有効です。

 


玉光神社を骨で聴く

2016-09-08 11:42:11 | 骨で聴く巡礼旅
東京の三鷹市で、井の頭公園に隣接して鎮座する玉光神社は、日本の伝統的神道の神社ではありません。
1952年に宗教法人玉光神社となった新しい神社です。

教祖は本山キヌエで、香川県小豆島に玉光大神が降臨したことにより、1934年に香川県小豆島に玉光神社を創設したのが始まりです。現在の三鷹市に設立したのは1949年で、その後に宗教法人化されたという歴史があります。



玉光神社の初代宮司で、名誉宮司にもなったのが、本山博です。
日本の超心理学者、心理学者、宗教家、哲学者としても活動し、著書「超感覚的なものとその世界」はユネスコ哲学部門優良図書に推薦されてます。




また、本山博の発明したAMIと経絡・気の流れについての研究は、西洋医学と東洋医学とを結ぶもので、それぞれを補完しあう心身医学の理論と予防医学に欠かせない機器として、世界の医学会の注目を集めているといわれています。



現在は玉光神社関連の施設は小豆島の御本宮だけでなく、神奈川県小田原市には根府川修練道場もあります。
また、宗教心理学研究所と付属鍼灸院も玉光神社が鎮座する場所にあります。

宇宙創造の神を祀るパワースポットとして、知る人ぞ知る場所のようですが、井の頭公園を散策していても目立つ場所ではありません。敏感な人であれば、あるいは公園散策中に横を通りかかったときに何かを感じるのかもしれません。

そんな知る人ぞ知る玉光神社を米軍採用・特許技術の骨伝導機器で、耳だけでなく骨でも聴きました。

永福稲荷神社を骨で聴く

2016-09-05 12:20:20 | 骨で聴く巡礼旅
杉並区の永福稲荷神社は旧永福寺村の鎮守で、『新編武蔵風土記稿』では多摩郡永福寺村の条に稲荷社(永福寺境内)とあります。
現在は、甲州街道から井の頭通りに向かって北上する通り沿いに鎮座していますが、江戸時代には曹洞宗永福寺境内にあったようです。

永福寺こそは、ここの地名の由来となった寺院で、以前に骨伝導ヘッドセットとともに訪れたことがあります。
また、京王井の頭線の駅も取り上げてきました。

 → 万歳山永福寺を骨で聴く
 → 永福町駅を骨で聴く




社伝によると、享禄3年(1530年)に永福寺の開山・秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として、伊勢外宮より豊受大神を勧請創建したのが始まりといわれています。
寛永16年(1639年)の検地の際には、永福寺村持ちの鎮守になったといわれます。



明治維新後は永福寺から分離し、現在のような一社を成すようになりました。

境内末社には、天王社・白山神社(合殿)、白鳥神社(一殿)があり、明治40年には北野神社も合祀されるようになりました。



永福町駅からまっすぐ伸びる道路沿いにあるせいか、荘厳な雰囲気はありません。
その分、村の鎮守だった雰囲気が今に残ります。

クルマの通行量も多い場所です。
そのため、ここでは骨伝導ヘッドセットHG42-TBTが活躍しそうです。少し大げさな感じがするでしょうが、米軍採用・特許技術を応用した製品なので、やはり「本物」が似合う場所ではないでしょうか。

 → 骨伝導ヘッドセットHG42-TBT

この骨伝導の特許を保有するメーカーは、永福稲荷神社から神田川に沿っ北東に向かった場所にあります。

小網神社を骨で聴く

2016-08-05 12:25:06 | 骨で聴く巡礼旅
強運厄除と金運向上に絶大な効果を誇るといわれる都内有数のパワースポット・小網神社へ、米軍採用・特許技術の骨伝導製品とともに参拝にいきました。

知名度は高いものの、東京の日本橋オフィス街の裏手にある小さな神社です。都会らしい街並みではありますが、場所柄からか下町風情も残る風情が交錯した空間といえます。
そんな小さな神社が有名になったせいか、ビジネスマンから若い女性まで平日でも多くの人が参拝に来ています。



小網神社の歴史は長く、約1,000年近い昔まで遡れます。
武蔵国豊島郡入江に万福庵という観世音と弁財天とを安置する庵が最初だといわれます。

文正元年(1466年)に周辺で悪疫が流行しました。
この大変なときに、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れたといいます。
数日間をこの庵で過ごし、ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ったそうです。

網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することが告げられました。
翌朝、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げました。

そこで翁を小網稲荷大明神と称え、ここで万福庵から神社を創建しりことになり、日夜祈願を続けたそうです。
すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。



太田道灌もこの御神徳を聞き、この神社を詣でていたといわれます。
さらに土地を寄附し、小網山稲荷院万福寿寺と名づけたと伝えられています。

慶長年間(1596~1615年)は、この神社にちなんで小網町という地名になりました。
明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離しました。
これでせ小網稲荷神社となり、戦後の宗教法人化に伴い小網神社となりました。



現在の小網神社で知られるは境内にある銭洗いです。
水瓶の斜め上から亀の像が見守っています。

そんな小網神社を骨で聴きます。
金運アップのパワースポットと米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットとの融合です。

米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ

下黒田諏訪神社・黒田人形浄瑠璃伝承館を骨で聴く

2016-08-02 13:10:12 | 骨で聴く巡礼旅
国選択無形民俗文化財になっている黒田人形浄瑠璃。
全国的に有名なわけではありませんが、黒田人形は歴史のある貴重なものです。

元禄年間(1688~1703年)に正命庵の僧侶・正覚真海が村人に人形を教えたのが始まりいわれ、寛政年間(1789~1800年)に、淡路の吉田重三郎が下黒田(現在の飯田市上郷)に定住し、人形を教えるようになりました。
天保3年(1832年)には、大坂から桐竹門三郎、吉田亀造が来て人形を教えました。
それだけ人形熱が高まったことで、天保11年(1840年)に旧舞台から四間に八間総二階の舞台「下黒田の舞台」(昭和49年重要有形民俗文化財指定)を再建しました。

人形浄瑠璃の専用舞台です。
しかも日本最大で最古と三拍子が揃うと評されている舞台です。



境内にこの舞台を持つ神社が下黒田諏訪神社です。

長野県飯田市は位置的に京都と江戸の間であり、東西のそれぞれの文化が複雑に定着してきた歴史があります。
おそらく黒田人形浄瑠璃もそんな土地ならではの独自の発展をしてきたのかもしれません。

境内にはさらに、黒田人形浄瑠璃伝承館もあります。



伝統人形浄瑠璃の雰囲気や周辺の環境に配慮しているせいか、無機質な建物ではなく、国産木材を使用した和風の木造建築となっているので、神社との調和が感じられます。

さて、下黒田諏訪神社ですが、石段を登り、鳥居を過ぎると左に直角に曲がって次の鳥居になります。
参道が90度曲がっているのは、地形的な問題ではない感じがします。
もしかしたら地元の大怨霊も祀られているのでは、と想像してしまいます。



二番目の鳥居からは真っすぐに参道が続きます。
社殿の手前右手に人形舞台があります。
1840年に建てられたものです。テコの原理を利用した構造で、舞台正面に柱がありません。

神社の社殿は、まず拝殿があり、その奥に覆屋に囲まれた内部に本殿があります。
この社殿もなかなかの雰囲気を出しています。



この神社に人が集まり、喧騒が静まり、人形浄瑠璃が始まる、そんな光景が繰り返し行われてきた諏訪神社は、真夏の午後、セミの鳴き声だけに包まれていました。

骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導音声増幅器と、赤外線送信ユニットを組み合わせれば、コンサート会場で難聴者に音楽鑑賞を可能にしたシステムで、この人形浄瑠璃を堪能したいものです。

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赤坂氷川神社を骨で聴く

2016-07-29 11:42:37 | 骨で聴く巡礼旅
東京の赤坂にありながら、都会の喧騒とは無縁の聖域に鎮座する氷川神社。
縁結びにご利益のあるパワースポットとして有名ですが、赤坂にある異空間というだけでも価値がありそうです。



かなり古い神社で、天暦5年(951年)に武州豊島郡人次ヶ原(現在の赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られたのは最初だといわれます。
江戸時代には、徳川8代将軍・徳川吉宗公が享保元年(1716年)に将軍職を継ぐことになり、享保14年(1729年)に老中・岡崎城主水野忠之に命じ、現在地に社殿を造営したといわれます。
翌年、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、将軍・吉宗も直々に参拝に訪れたという記録があります。



さらに、現社の場所は忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の夫人・瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡でもあります。
大石内蔵助が討ち入り前に訪れ、別れを告げたといわれていわれている場所です。

境内は広く、樹木に囲まれていて、かなり荘厳な雰囲気があります。



社殿は東京都の有形文化財に指定されています。
また、麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭がこの赤坂氷川神社といわれます。



赤坂にいることを忘れさせてくれる神社なので、日常の中のすぐ隣にある異世界です。
耳だけでなく骨からも周囲の音声を脳に伝えつつ、パワースポットを堪能するのがお勧めです。

骨で聴く世界へ

人形町・末廣神社を骨で聴く

2016-07-28 20:01:51 | 骨で聴く巡礼旅
日本橋七福神の神社の一つで、多聞天の異名を持つ毘沙門天を祀るのが末廣神社です。
この日本橋七福神は、それほど広いエリアにあるわけではなく、全部徒歩で回っても2時間くらいのコースといえます。
東京の中心部でありながら、江戸下町の伝統が残るエリアにあるので、巡礼旅としては穴場かもしれません。

さて、末廣神社ですが、人形町の街中にあるせいか、決して大きいわけではありません。
飲食店も多くあるエリアです。




江戸時代の初期に吉原(当所は葦原と称したようです)は、この地にありました。
この当時(元和3年~明暦3年)に、地主神、産土神として信仰されていたといいます。
明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されてきました。



社号の起源は、延宝3年に社殿修復をした際、年経た中啓(末廣扇)が発見されたことで、氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものといわれます。

勝運を授け、災難をよける神様として知られ、今でも地元の人に親しまれています。

小さな神社ですが、雑踏を抜けた先に何気なく鎮座しているような雰囲気で、しかも勝運に恵まれる神ですから人形町に訪れた先にはぜひ立ち寄ることをお勧めします。

人形町なので、都内でも独特の雰囲気のある街です。
周囲の音声を耳だけでなく骨でも聴きます。米軍採用・特許技術という世界最先端技術と江戸の伝統の残る人形町のコントラストもお勧めといえます。

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北与野・神明神社を骨で聴く

2016-07-25 11:14:11 | 骨で聴く巡礼旅
JR埼京線の北与野駅は高架駅なので、見下ろすような位置に神明神社が鎮座しています。
都市部の小さな神社ですが、立派に上落合鎮守神明宮という歴史を持っています。

上落合という土地は、江戸期を通じて氷川神社社領であったようです。
南東部に東縁高沼用水、西部に高沼排水(通称・霧敷川)が流れる大宮台地の一部にある場所で、現在の風景からはあまり想像できませんが、氷川神社から続く神域の一部を担っていたのかもしれません。

武蔵一宮・氷川神社を骨で聴く



創建年代は不詳で、口碑によると伊勢参宮を行った村人が御師より御祓大麻を受け、これを当地に祀ったことによると伝えられています。

天保7年(1836年)の「上落合村絵図」には、この場所に「神明宮」と記録されているので、その時代には地元に親しまれていたと思われます。
また、「風土記稿」には、「村民の持」とあります。
氷川神社社領であったことから別当寺は存在せずに、上落合村の人々が管理する社で、村の鎮守だったことが分かります。

もともと社殿は、茅葺き屋根の入母屋造りでしたが、現在は昭和58年(1983年)に鉄筋コンクリート作りの社殿に改築されています。都会の神社らしい姿ともいえますが、本拝殿は銅板葺きの神明造りです。

北与野駅の近いせいか、鉄道の音が聞こえます。
都内近郊でよく聞く電車の音とともに、埼京線は新幹線とも並走しているので、リズミカルな新幹線の通顔音も入ってきます。
境内から骨で聴きます。
耳だけでなく、骨から脳へと現代的な音を聞き、かつての鎮守の姿を想像します。
これも骨伝導で体感する巡礼方式といえるかもしれません。

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御花畑(芝桜)駅を骨で聴く

2016-07-21 11:52:28 | 骨で聴く巡礼旅
駅舎が国登録有形文化財になっている秩父鉄道の御花畑駅は、2009年から副駅名が「芝桜駅」になりました。

もともとは1面1線の駅で、改札を抜けた先にあるホームに上下線の電車が発着するだけの駅でした。ところが1989年に西武鉄道の乗り入れが開始されるようになり、2面2線の駅になりました。
対面型の2面2線駅構造になったとはいえ、従来からあった改札先の1番線は秩父線の線内列車専用で、向かい側の2番線は西武線直通列車だけが使用するという変わった使い方になっています。
西武線専用ホームの2番線へは跨線橋で連絡していますが、西武線の電車が発着するとき以外は2番線には立ち入り出来ません。

なぜなら2番線を出た先の連絡線は、西武秩父駅の先で西武線の線路とつながっているからです。
西武線直通電車で、長瀞駅発着の場合、西武秩父駅には停車せず、その代わりにこの御花畑駅が西武秩父駅の代用にもなっています。

逆方向の三峰口駅発着の場合は、御花畑駅には停車せず、西武秩父駅に停車するようになっています。
駅の位置と連絡線の関係を見れば、実に効率的といえますが、初めての人には何だか不思議な感じを抱くかもしれません。

これも西武秩父駅との距離が近接していながら、同一の駅ではなく、一般道を経由しての相互の乗り換え駅ということが関係しています。

秩父市の中心駅としては秩父駅が挙げられますが、この御花畑駅も都市の中心部に近くに位置し、乗降客は秩父駅より多いのが実情です。
周囲は住宅街で、中小商店なども多くあります。駅名の「御花畑」や副駅名の「芝桜」をイメージする要素はありません。
芝桜の丘で知られる羊山公園へは、徒歩20分程度の距離になります。

都内から西武線で秩父観光をする場合、この御花畑駅は利用する頻度が高いといえますが、駅そのものは小さく、かなり地味といえるかもしれません。
それでも秩父観音霊場の巡礼者や観光客も多く利用する駅で、電車の運転間隔もありますので、電車の到着時には雑踏を形成し、喧騒に包まれることもあります。

そんなときは巡礼の安全性確保とともに、骨伝導の利用がお勧めです。
耳を塞がす、骨で聴く、あるいは骨で話すという米軍採用・特許技術の骨伝導製品です。

米軍採用・特許技術の骨伝導製品へ

秩父の旅の入口「御花畑駅」に、世界最先端の技術を誇る骨伝導ヘッドセット、骨伝導イヤホンマイクが似合います。

松風山陽向寺を骨で聴く

2016-07-20 12:06:10 | 骨で聴く巡礼旅
秩父市荒川白久にある松風山陽向寺は曹洞宗の寺院です。

山里にある寺院で、現代の日本人にはのどかな原風景に似た光景です。




十三堂は別名・閻魔堂で、閻魔像などが13体、安置されています。




特段、観光名所でもなく、地元の人しか訪れない寺院ですが、時にはこんな雰囲気の境内に足を踏み入れるのも良いものです。
ついでに周囲の音声を骨で聴きます。

耳だけでなく、骨からも伝わる音声は、やはりのどかなものです。
のどかな風景に、米軍の爆音でも通信を可能にした骨伝導技術、この対比も興味深いものです。

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