ねもじゅんの壁面四分儀座

「雨曝しなら濡れるがいいさ だって、どうせ傘など持って無いんだ」 by イースタンユース 

藤井一興 ピアノリサイタル

2008年12月12日 21時44分55秒 | 現代の音楽
藤井一興ピアノリサイタル
フランス 近代音楽の精華
2008年12月9日19:00~
東京文化会館小ホール


フォーレ
即興曲第1番変ホ長調op.25
即興曲第2番へ短調op.31
即興曲第3番変イ長調op.34
即興曲第4番変ニ長調op.91
即興曲第5番嬰へ短調op.102
デュカス
ラモーの主題による変奏曲、間奏曲、終曲

(休憩)

武満
雨の樹 素描
メシアン
鳥の小スケッチ
神により、すべてはなされた~「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」

アンコール
フォーレ 夜想曲第6番変ニ長調op.63
ドビュッシー 月の光


ただただ圧倒された。ピアニストってこういう人を指すのだと思った。

全曲に渡って譜面を見ながらの演奏。譜めくりもなしで、恐らく自分で切り貼りした楽譜なんだろうな。楽譜をめくるのがめちゃくちゃカッコイイ。

最初のフォーレでは「初見なのでは?」と思わせるほどの気楽さ。彼の目指してるものは、すでに前もって完成された作品を提示するのではなく、いまここで生まれ出てきた音楽を聴かせることにある。不揃いなところもたくさんあったし、文字通りに即興的な処理が目立ったことも確かだと思う。

しかし表面的な美しさを超え、本来作品の持っている生命感のようなものを、うまく出していたと思う。


続いてデュカスの作品。ものすごく難解な作品。現在、藤井以外は演奏できない音楽だと思う。未来を指し示す音楽。身体の芯に響いてくる。考えても考えても理解できない、ただ響きに身を任せるのみ。圧倒された。


休憩をはさんで、武満。
前半以上に響きの量がすごい。ホール全体がガーンと鳴り響き、弦の震える様子まで見えるくらい。
これまた圧倒…ただ、彼は響きに酔うのではなく、音に明確な意味があって、前進する力がある。藤井の武満は他とはまったく違う。


「鳥の小スケッチ」
メシアンもこの頃になるともう以前のような力は見られない。それはいい意味ではなく、もちろん悪い意味で。曲目最後の「眼差し」への前奏曲のよう。


そしてプログラム最後の曲。

藤井はメシアンに就いて相当に勉強したらしいけど、彼のメシアンが素晴らしいのは、メシアンに直接習ったからできるのではなく、彼自身の才能、まさにそのセンスがとてつもなくすごいからなのだと思った。メシアンがいないいま、ようやく藤井自身のメシアンが実現するのだと思う。

ピアノから火柱が立ち、会場はその熱でとろけそうだった。


文化会館の小ホールがこれほど「鳴る」ホールだとは思わなかった。藤井はどんなピアノであっても鳴らせる感覚を持っているのだと思う。タッチの素晴らしさ、敏感な耳を持っている。


彼の演奏はすぐに彼とわかるほどの美しいタッチなのだけど、どこか気分屋で、気紛れなところがあると思う。完璧で近寄りがたい音楽ではなく、いくつか隙間があって、まるで自分が猫のようになって潜り込みたくなるような感じ。



アンコール
夜想曲のしっとりした気分。ピアノがものすごく響いているのに、これ以上ない繊細な音。自由な動き

月の光…
死んで冷たくなったような演奏をする人が多いけれど、藤井はものすごくあたたかい月の光。生命感があって、イキイキしている。こんな月の光は初めて。官能的で、淫靡な世界。