福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

堂島小橋跡

2013-01-12 | ・福島:風景・建築・史跡
蜆川(曽根崎川)の跡を巡る(1)

「wikipedia:曽根崎川

蜆川はかつて堂島川に沿うように流れていた小さな河川です。
小さいけれど、「曾根崎心中」や「心中天の網島」などに登場、
古典の世界では有名な川です。

北区にある大江橋と水晶橋の間あたりから堂島川から分流し、
堂島大橋の下流でまた合流。
地図を見ると合流地点は上船津橋北詰付近のようです。
蜆川の埋立が完了したのは大正13年。
上船津橋の架橋は昭和11年、当時すでに蜆川は埋め立てられて無くなっています。

「大阪市:橋の紹介 堂島大橋
「大阪市:橋の紹介 船津橋
「大阪市:橋の紹介 上船津橋

蜆川にも橋がかけられていましたが、川の埋立と同時に姿を消しました。

蜆川の一番下流にあった橋は「堂島小橋」。
その名前の通り、堂島大橋を渡ったところにあったと思われます。
近くをうろうろしましたが、石碑などの印はありませんでした。



堂島大橋北詰、下福島公園出入り口付近。
たぶん、この辺にあったのだと思う。
大阪市HPの説明だと、大橋よりも小橋の方が先にあったということだろうか。
確かに手持ちの古地図複製(文久3年、1863年)を見ると
中之島に架けられた橋は玉江橋の下流にある橋は船津橋(舟津橋)だけです。
そして「堂島小橋」(堂嶋小バシ)は存在しています。



写真右手のベージュ色の建物は「メリヤス会館」。

そのお向かいに手島病院があります。
この病院のお隣、今は駐車場になっていますが
昔はここにも格好いい古い建物がありました。
BMWが入居していて、丸窓がアクセントになったモダンなビルだったような…。
(BMWは福島七丁目に移転しました)

メリヤス会館と手島病院の間の道が蜆川跡です。



大正13年「大阪市パノラマ地図」。
まだ蜆川が残っています。

※「福島区の風景・街並み

追記:

「大阪市HP:曽根崎川(そねざきがわ)跡碑

曽根崎川の石碑は北区曽根崎新地にあります。
大阪市のホームページの記載によると、曽根崎川の別名として
梅田川、福島川が上げられてます。
上福島村~下福島村にかけての流域では、福島川と呼ばれていたと思われます。

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