福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

浄祐寺

2013-01-23 | ・北区堂島・堂島浜ほか:風景・建築・史跡
梅田橋の近くに「浄祐寺」というお寺があります。



このあたり、周囲はぎっしりと建物が建てこんでいます。
お寺だけが取り残されたよう。
都会のお寺さんはビル風に建替えている所も多いのですが
こちらは昔ながらの古風なお寺と言う感じ、少し鄙びた風情もあります。
(大都会のお寺なのに)

文楽プログラム(2012年9月公演)添付の地図にもその名があります。



他の古地図をいろいろ見たところ、「浄福寺」と書かれていることもあります。
たぶん誤植でしょうね。
古地図っておおらかに出来ていて、地名や寺社名の誤記はけっこうあるみたい。
船場や島之内のような都心部ならある程度正確だと思いますが
曽根崎や福島みたいな郊外は発行前にちゃんと確認せずに、
以前の出版物を見てテキトーに書いてしまっていることもあるんじゃないだろうか。

門の隣に看板が出ていました。



「当寺境内
赤穂浪士 矢頭長助の墓 矢頭右衛七の墓
歌舞伎恋の緘〆 五大力の墓」

こんな所に赤穂浪士のお墓が!
赤穂浪士のお墓って東京の泉岳寺じゃないの?

「wikipedia:矢頭長助」(矢頭教兼の父親)
「wikipedia:矢頭教兼」(通称は右衛門七)
「大阪市HP:浄祐(じょうゆう)寺

父親である長助は赤穂城開城後、大阪に転居したが、討入り前に死去。
ここ浄祐寺に葬られた。
息子である右衛門七がその遺志をついで討入りに参加。
矢頭家は困窮していたため、討入りに参加するための交通費が無く、
里人に借金、そのお金は後日大石内蔵助が返済。
(長助と右衛門七は蜆売りをしていたそうですが、蜆川でシジミ採りしてたんですかね)
討入りの話を聞いた里人が後日、長助のお墓の隣に右衛門七のお墓を作った…のだそうです。
おそらくお骨の入った本物のお墓ではなく、記念碑的な感じじゃないでしょうか。

私は見ていませんが、昨年末NHKの番組で取り上げられています。

「NHK 歴史秘話ヒストリア:せつなき10代 熱き忠臣蔵~赤穂浪士 若者たちの決断~

「赤穂観光協会:矢頭右衛門七教兼

右衛門七はかなりの美少年だったそうです(享年18歳)。
親孝行や家族愛にまつわるお話が残されており
忠臣蔵のエピソードのひとつとして矢頭家の物語は有名みたい。

1955年に右衛門七を題材にした映画がつくられています。
タイトルは「元禄美少年記」、主演は中村嘉葎雄。

昭和39年には舟木一夫が「右衛門七討入り」なる曲をリリース。
舟木一夫はこの時期の大河ドラマで右衛門七を演じていました。
昭和57年年の「峠の群像」の時は野村義男でした。
これはうっすら覚えています。
当時は「たのきんトリオ」の一人で人気絶頂のアイドルでしたから
美少年役が回ってきたんだろうなぁ。
個人的にはヨッチャンのどこが美少年なんかよく分かりませんが…
なお中村勘三郎さん主演の「元禄繚乱」(平成11年)の時は今井翼くん。

そしてもう一つ、「五大力の墓」とは?

歌舞伎の「五大力恋緘」に登場する殺人事件の被害者のお墓があるのだそうです。

「コトバンク:五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)
「wikipedia:盟三五大切(かみかけて さんご たいせつ)

文楽では「国言詢音頭」「置土産今織上布」。
曽根崎新地で起こった大量殺人事件(実話)を題材にしたちょっと怖いお話のようです。
武士に惨殺された遊女菊野をはじめとする5人のお墓があるのです。

鶴屋南北の「盟三五大切」は「五大力恋緘」の書き換えで、江戸が舞台。
「東海道四谷怪談」の後日譚という設定だそうです。

「wikipedia:四谷怪談

「四谷怪談」は「忠臣蔵」の外伝です。
「東海道四谷怪談」「仮名手本忠臣蔵」の佐藤与茂七は矢頭右衛門七がモデル。
その人のお墓が同じく忠臣蔵の外伝として書かれた「盟三五大切」の登場人物と同じお寺にあるなんて。
物語の世界でも実際の世界でもつながっているんですね、ちょっと不思議な感じ。

「浄祐寺」
住所:大阪市北区堂島3丁目3-5

※「北区の風景・街並み

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※追記 2014.07

下記ページに浄祐寺のご住職さんのお話が掲載されています。

「#曽根崎心中:天満屋そして梅田橋の面影を探し求めて

『浄祐寺の和尚さんが教えてくれた堂島新地と蜆川の面影』というサブタイトルの章です。
堂島新地はその昔、わりとリーズナブルな値段で遊べる遊所だったそうです。

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