SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

深大寺・元三大師中開帳

2010年01月09日 18時18分15秒 | 日常
もうずいぶん前のことになってしまったが、東京は調布にある深大寺の秘仏・元三大師の御開帳に行ってきた。去年の11月29日のことだ。

元三大師とはその名を良源といい、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる実在の人物だ。平安時代の人で、火災で焼失した堂塔伽藍の多くを復興させた。正月3日に無くなったので、元三大師と呼ばれる。この人は「角(つの)大師」とも呼ばれるが、これは元三大師が2本の角を持った鬼の姿になって疫病神を追い払ったという伝説があることに由来し、その鬼の姿は護符として、今でも関係する寺院で配られている。

その鬼ではない姿の元三大師像がこの寺にあるのだという。



まずは門前で深大寺蕎麦をいただく。



ずらっと行列ができていた。
ちなみに拝観料は取らない。京都や奈良だったら秘仏公開と謳って通常の拝観料以上の料金を取って人を呼ぶものだが、それをしないところが深大寺の偉い所だ。日本仏教のあり方としてはやはりこうでなければ、と思う。



並んでいる間、暇だったので撮った写真。
軽井沢はもう初雪も降ったというのに、こちらは紅葉がまっさかりだった。

この渡り廊下を渡って元三大師像のある大師堂に入る。
祈祷をしてもらう人たちが、像の前の畳に大勢座っている。我々ただの見物人はその外側から像を見る。
撮影は禁止なので写真はないが、鬼の姿ではなく人の姿をしているのだけれど、厳しい顔つきで目が赤くランランと輝き、常人ではない雰囲気を漂わせている。厨子に入った2メートル近い大きな坐像で、離れたところからしか見ることはできなかったが、かなりの迫力があった。
この像の前で祈祷してもらったら確実に御利益がありそうだ。



境内には背中に苔を載せた狛犬に守られた祠が祀られていたり。

そうそう。忘れていけないのはこの寺にある白鳳時代の釈迦如来倚像。
普段は建物の外からしか拝観できないこの像を、この期間は中に入って拝めるようになっていた。金銅でできた像で、椅子に座った姿をする。
http://jindaijigama.com/jindaiji/jindaiji202.html

なお白鳳時代というのは美術史上の年号で飛鳥時代と天平時代の間、7世紀後半のあたりのことをいう。
この古い時代の仏像がなぜこの寺にあるのかは謎らしい。



目玉おやじに見つめられた。



門前には名物、鬼太郎茶屋。
http://www.youkai.co.jp/chaya.html

作者の水木しげるが調布に住むことから、この界隈ではさまざまな妖怪の姿を見ることができるのだ。







twitter始めました

2010年01月09日 11時46分05秒 | 日常
鳩山さんにも先を越されてしまったが。。。
このブログ同様、放置状態に成る可能性も高いが。。。

http://twitter.com/nekoana/

IDを登録せずに時折眺めながら、何が面白いんだろうか、と思っていたが、これは登録した上で見てみないとその良さはわからないと思った。(やはり喰わず嫌いはいかんな)
twitterは自分のつぶやける場としてだけではなく、他のユーザーの発言が読め、そこに別のユーザーが返事を書いて、それがリンクとして他人にも読めるようになっていて、リンクをたどることによって、いろいろな人のつぶやきが読めるというように、そこに広がりを感じられるところが面白いのだ。
たとえば、著書を最近たくさん出したりしている有名人の発言にとある経済学者が返事を書き、その人の別の発言にまた別の経済学者がつながっていて、その発言にうなずかされたりとか。
政権交代で記者クラブ以外の記者にも開放され、今現在行われている大臣の記者会見を実況中継しているフリーのジャーナリストがいて、そこで意外なくらいにフランクなやりとりが行われていることを知ったりとか。(そのやりとりは本当かどうかはわからないが。まあそれはネット全体に言えることだが)
例えて言うなら、横たわる大河の流れを目の前で見ているような感じだ。

発言は140文字に制限されているので、そこから自分が想像し、考える余地が多いように思う。言葉の断片であるがゆえに、かえって新たなアイディアとして自分自身に生かせるものも多そうな気がする。

それと思ったのは、一見して無愛想なインターフェースについてだ。
文章の中に@XXXXとか#YYYYとかRTとか記号がちりばめられている。これが初心者にはとっつきにくいところでもある。
日本人が作ったなら、こういう中途半端なことはしないだろう。アイコンにするとかグラフィック満載のいたれりつくれりな感じにしがちだ。
よく欧米はアルファベットを使うため記号文化だが、日本は漢字を使うためアイコン文化だと言われる。そういう違いをここにも感じさせられる。
その典型的なのは携帯電話だと思う。欧米では文字だけのSMSでも平気で使いこなすが、日本は絵文字が必須だったり、そもそも日本の携帯電話は使いもしないような機能が満載で(それが値段にも反映している)、世界の潮流から離れて独自の進化を歩んできた。もてなしの文化とも関係しているのだと思う。
そういう文化に浸っていたはずの日本人がこのtwitterのインタフェースを平気で使うようになってきたということは、新たなビジネスチャンスがそこにあるとも言えるのかも知れない。


年賀

2010年01月01日 17時11分29秒 | 日常
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

軽井沢は31日と1日は雪になった。



敢えて雨どいをまったく付けなかった我が家の屋根にはハープシコードみたいなつららができていた。



これが、この家で見る初めてのつらら。

群馬・保渡田古墳群

2009年12月30日 21時06分50秒 | 群馬の史跡
最近、奈良の纒向遺跡で卑弥呼の宮殿か?と目される遺構が発掘されたり、桜井の茶臼山古墳で石室を囲む玉垣跡が見つかり、また石室には水銀朱による赤色顔料が塗られていたことが発見されるなど考古学上の大きな発見がここのところ相次いでいる。
できることなら奈良まで行って見てきたいところだが、そうもいかず、騒ぎ出してきた古墳好きの血を鎮めるために、ひとまず近くの古墳に行くことにした。(11月下旬の話)

長野県で大型の前方後円墳といえば、森将軍塚古墳がよく知られている。上信越自動車道を更埴から軽井沢方面に走っているとちょうど正面の山の頂上に復元された古墳が見える。もちろん、古墳の上にも登ることができる。ここは以前、見に行っているので、今回は群馬の古墳を訪ねることにした。埼玉県北部から群馬県にかけてはたくさんの大型古墳がある。
そのなかでも、今年の夏に群馬県立歴史博物館で開催されていた「国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!」を見に行ったときに気になった保渡田古墳群に決定。
軽井沢から国道18号を走って1時間半程度だったか。かみつけの里博物館の案内看板に従って交差点を曲がると巨大な古墳が見えてきた。助手席のツレも思わず歓声を上げる。


葺石も復元された八幡塚古墳は目の覚めるような巨大な前方後円墳だった

ここには2つの古墳が復元されている。二子山古墳と八幡塚古墳だ。このうち八幡塚古墳は表面を覆っていた葺石や周囲を囲むはにわも復元されている。北には榛名山、北東には赤城山、西には妙義山とそして遠く浅間山と単独峰が望める地にある。二重の堀に囲まれるが、その内側に後円部を囲むように4つの島があるという珍しい構造をしている。


上空から見ると4つの島が後円部を取り囲んでいるのがよくわかる




前方部の南側には人物や動物の埴輪が多数並べられていた

どちらも5世紀後半に造られたものだ。古墳時代は中期で、雄略天皇の前後の時代に一致する。ちなみに、この古墳からそう遠くない所にある、さきたま古墳群の稲荷山古墳から出た鉄剣に記される獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)とは雄略天皇のこととされ、こちらもやはり同時代の古墳だ。

八幡塚古墳の後円部はその下に入れるようになっていて、そこには石棺も展示されている。舟形石棺と呼ばれる石棺で、ヤマトの大豪族が使った長持形石棺に次ぐ格式なのだという。


近寄ってみるとちょっとした城郭だ


我らが浅間山も望める(写真中央の白いのが雪を被った浅間山)


円筒埴輪が古墳の周縁に並べられる

ここから1キロほど南東に行った所には上越新幹線建設に伴って発見された三ツ寺I遺跡がある。水濠に囲まれた豪族の居館として発掘当時、話題になった。保渡田古墳群に葬られているのはこの豪族の居館の主だと考えられている。残念ながら三ツ寺I遺跡は発掘後、埋め戻されているが、かみつけの里博物館に発掘されたものや復元模型などが展示されている。

八幡塚古墳からほど近いところには西光寺境内には薬師塚古墳がある。保渡田古墳群の中ではもっとも新しい。境内の小高い丘を登るとそこには出土した石棺が置かれる。この丘の頂上から西を向くとかなり削られているが前方後円墳の前方部がかつて扇型に広がっていた形がおぼろげながら見えてきた。いま立っている丘が後円部だったのだ。きれいに復元された古墳もいいが、こういう崩れかけた土の塊から古墳の形を想像するのも、その古墳が辿った長い年月を感じさせて面白いものだ。その丘の中心には赤い屋根の薬師堂があり、中を覗いてみると扉の閉まった厨子とその両脇にこぶりな十二神将が立っているのが見えた。


薬師塚古墳の後円部から前方部側を見る


二子山古墳は葺石は復元されていないが、かつてのおおまかな形が残された状態で公園のように整備されていた

すぐ隣の農産物販売所でおにぎりを買い、八幡塚古墳を眺めながら昼食として食べ、3つの古墳を巡り、さらにかみつけの里博物館で展示を見た。それほど大きな博物館ではないが、ここでずいぶん長い時間楽ませてもらった。外に出るとすっかり日は傾いていた。


追分コロニー

2009年12月29日 20時52分11秒 | 日常
その町の文化レベルは本屋を見ればわかる、というのが私の持論だ。
かつて鎌倉に毎週のように通って来たころ、それはますます確信を持つようになった。小さくても味わいのある本屋が数件あるし、古本屋も何件かある。やはり作家が多く住んだ鎌倉ならではだなと思ったものだった。
ところが、この自説は軽井沢に来て覆された。軽井沢も多くの文化人がかつて住んでいたし、いまも現役の作家さんが何人か住んでいるはずだ。それなのに本屋は町に1軒しかなく、しかもそのフロアの半分はビデオ屋なのだ。本屋好きとしてはそれが不満だった。
それが2年ほど前に追分に古本屋ができた。
行って見ようと思いながら、ずいぶんと経ってしまったが、観光シーズンも終わった11月の下旬にようやく行くことができた。
いまも古い歴史を感じさせる宿場町の家並みに紛れるようにして建つ古民家風の建物で、店内へは靴を脱いで上がる。
店内は大きな梁をきかせた木造の建物。きれいに整理されているし、清潔感があって静かで落ち着く。軽井沢らしい洒落た感じがいい。
奥には薪ストーブが焚かれ、喫茶コーナーもある。
せっかくなので、ここでコーヒーをいただくことにした。
薪ストーブの暖かさを背中に感じながら、本棚の本を眺め、コーヒーをすする。薪ストーブがあって、本棚いっぱいの本があって、おいしいコーヒーを味わえるなんて、これ以上ない幸せな気持ちになってくる。
そして、棚に並ぶ本は購買欲をそそられるものばかりだった。



買ったのは
・宮本常一/民間暦
・子母澤寛/新選組始末記新選組遺聞新選組物語
・河口慧海/チベット旅行記(一~五)

表紙には丁寧にセロファンがかけられている。そんな細かい配慮もまたうれしい。

そして、川上澄生画のトランプ。川上澄生は棟方志功がこの人の版画を見て、版画家への転向を決意したという人だ。トランプ絵もやってたんだと、思わず買ってしまった。



クラブは日本風、スペードは中国風、ダイヤはアラビア風、ハートは西洋風と描き分けられていて、なかなか面白い。ジョーカーは福助がおじぎをしている。

追分コロニーのおかげで自説を下ろさずに済んだ。すっかり上機嫌になって、こういうことは滅多に言わないのだが「また来ます」とお店の人に言って店をあとにしたのだった。

HP:http://www11.plala.or.jp/colony/


灯火

2009年12月28日 17時23分58秒 | 日常
冬の夜はろうそくの灯が似合うと思う。



右の小さいのはアロマキャンドル。
知人が今年の9月に軽井沢に開いた「森の扉」というショップで買ったものだ。
左の大きいのも一緒に買おうとレジに持っていったら、これは見本品なので売れないという。
結局、こちらは我が家の新築祝いで頂く形になってしまった。(その節はありがとうございました。ちゃんと使わせてもらってます)
このショップではキャンドルの他にイギリスなどのおしゃれな輸入ガーデニングツールなどを扱っている。(9月に伺ったときよりもいまは商品の数もかなり充実している模様)
主力商品は木製コンサバトリー(サンルーム)で、実際に建てられた2つのコンサバトリーを見ることができる。要望に応じて設計してくれる自由設計で、耐震計算により震度6の地震にも耐えられるというしっかりしたものだ。地元軽井沢のベテラン大工さん(イケメンという噂)が建ててくれる。
商品としての木製コンサバトリーというのはありそうであまりない。
実際に見せてもらったが、天井も壁もガラス張りで、室内にいながら180°パノラマの景色を楽しめて、気持ちがいい。実物を見られるので、自分の家に取り付けるときにどういう風になるかがイメージしやすいし、質感も手で触れて確かめられるので、できてから欲しいのはこういうんじゃなかったんだよなあ、ということにはなりにくいと思う。
興味がおありの方はぜひ現地へ。(って、年内の営業は終わってますので、年明けにでも。。)

何だか宣伝みたいだ。。。(って宣伝か。。頼まれたわけではありません)

一輪車

2009年12月12日 12時13分12秒 | 日常
最近の小学生もすなる一輪車とやらを我もやってみんとす。
そういえば、軽井沢では一輪車やってる子供はみないな。。



と、いうわけで通販で買ってみた。
送り状には二才用と書いてある。
二才児でも一輪車に乗れるのか。。。









じゃなくて、買ったのは


これ。




敷地内の薪の運搬に使うのさ。
二才っていうのはサイズに関係するものらしい。

得意料理は焼き芋

2009年12月11日 20時29分13秒 | 日常
今日の軽井沢は本格的な雪になった。



最高気温は1℃程度だったようだ。
そんな寒い日も薪ストーブのおかげでへっちゃらだ。体の芯からじんわりと暖まるこのストーブは、もはやなくてはならない存在となった。

そして、薪ストーブの炉にくべるのは薪だけではない。
薪が熾きになったところに、アルミホイルでくるんだサツマイモを入れてやれば焼き芋のできあがりだ。



割ってみればほら。



ほらほら。



湯気たっぷりのほくほくの焼き芋さ。

頭上の憂鬱

2009年12月10日 20時42分10秒 | 日常


我が家の敷地の入口には高さ3メートルほどのところから枝が直角に伸び、それが入口部分の頭上を覆う形で生えるアカマツが1本ある。あたかも門のようで、形のいいマツなのだ。
しかし、1つ問題がある。その木は立ち枯れているのだ。
手で押しただけで、根元からぐらぐらと揺れる。
それほど高さのない木なので、すぐに倒れるということはなさそうだが、問題はその直角に伸びる枝の部分で、先日、その枝部分に大きな亀裂が入っているのを発見し、背筋が寒くなった。そこは我々ももちろんだが、我が家を訪れる新聞屋や郵便屋、宅配便のような人がその枝の下をくぐって入ってくるのだ。
ちょうど人が出入りしているときに枝が折れて落ちたりしたら大変なことになる。
早く伐らなければ。

チェンソーならこのくらいの枝の太さなら一瞬で切り落とせるはずだが、チェンソーは胸の高さよりも上げてはいけないということが、『伐木造材のチェーンソーワーク』などには書かれている。
ならばと、少し前に買ったばかりの高枝伐りばさみに付属しているのこぎりを取り付け、手動でギコギコとやることにした。枝の根元の直径は20センチほど。途中からは、のこぎり部分を外し、はしご(と言っても室内用のを出してきて)に登って、直接枝を伐った。その方が力が入って作業がはかどるが、腕を上げた状態でのこぎりを引くのは結構つらいものがある。ツレと2人で交代ではじめたが、結構苦戦する。
途中でやめるわけにはいかないので、もう必死の思いだった。枝が地面に落下したのは作業を始めてから1時間ほど経ったあとのこと。
もう先端部分にはまったく水分が供給されていなかったようで、ぱさぱさに乾燥した枝は落下の衝撃でばらばらになった。雪の重みや強風で枝が折れるのも時間の問題だったようだ。

あとはアカマツの本体部分だが、これはプロにやってもらうことにしよう。

このときの写真を撮ったはずだが、みつからない。なので、上の画像は単なるイメージ写真。


雲場池2009/11/3

2009年11月08日 17時26分58秒 | 雲場池
軽井沢に初雪が降った翌日、定点観測的に出かけている雲場池に行ってみた。

まずは入ったところの風景。
紅葉はちょっとおわっちゃったかな、という感じだったが、


奥に進んでみればまだまだ。
隣接する別荘地の敷地も紅葉に染まる。



前夜の雪もまだ少し。



寒いのか、鴨たちも首をすくめてお休み中。


もちろん、元気に泳いでいる鴨もいる。


それにしても鮮やな色です。


水面の紅葉に木漏れ日が差し込む。


穏やかな昼下がりだった。