◆『破天・インド仏教の頂点に立つ日本人 (光文社新書)
』(山際素男)インドの仏教指導者・佐々井秀嶺の半生を描いたこの本、読み始めてたちまち夢中になった。佐々井秀嶺については、山際素男の『不可触民の道―インド民衆のなかへ (知恵の森文庫)
』などに紹介されているのを呼んで、強い関心をもった。同じ著者に『破天』があるのは知っていたが、絶版となっており、なかなか手に入らなかった。それが最近、新書版で復刊されたのだ。読み始めると止められないほどだ。若き日の懊悩と何度かの自殺の試み、その果ての師との出会い、激しい修行、乗鞍山頂での「覚醒」、タイでの修行と失敗、そしてインドへ、と夢中で読みすすむ。ある程度は知っていた経緯だが、若き日の懊悩がこれほど深く、それが故に文字どうり死をも厭わぬ激しい求道に突き進まざるを得なかった様が、強く印象に残る。その激しい求道に刺激される。また、あらためて佐々井秀嶺という人物が、ある必然の流れのなかでインドへ導かれていったのだということが得心できる。おそらくこの本を読んだ誰もがもつだろう強烈な印象は、彼がインド仏教徒とともに、その先頭にたって続けてきたブラーミン社会との闘争の凄まじさだろう。徹底して平和的な闘争だが、彼らにとって常に文字通り命をかけての戦いであったことが分かる。なぜ佐々井秀嶺にこのようなことが可能だったのか。それは、彼が懊悩の果てに「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ」と一度はすべてを打ち捨てたからだろう。すべてを打ち捨ててしまい、あとはもう不可触民仏教徒のため、彼らとともに歩むことを徹底していくだけだった。おそらくその背後には、死んだアンベードカルの導きがあったのだろう。多くの不可触民とともにインド仏教復興への道を歩み始めようとした矢先に死んだアンベードカルにとって、佐々井ほどその志を継ぐにふさわしい人間はいなかったのだ。佐々井は「夢」に現れた竜樹=アンベードカルに導かれるようにして、その後の活動の拠点となったナグプールに一人乗り込む。一度はすべてを打ち捨てているから、その瞑想や断食行も徹底的に凄まじい。ガンディの断食にも似た政治的「効果」をもたらした断食も凄まじいが、人知れず行おうとした瞑想や断食も、読むものに強烈な印象を残す。正直いってこの本を読むまでは、まだ彼のことをよく知らず「ちょっとうさんくさいところもあるかも知れない」ぐらいに思っていたが、読後はそのような印象は全く消えた。確かに「色情因縁の業」の深さゆえの苦悩はとてつもなく大きいが、その絶望の深さが強烈な求道の根元にある。絶望の果てに、一切の私利私欲を打ち捨てた人間の潔さ。その潔さが、インドの地で一億五千万とも言われる仏教徒の絶大な信頼を獲得した理由のひとつであり、多くのインド人を引き付けつつ、仏教復興へと向っていく運動の原動力となっているのだ。
◆アンベードカルの生涯 (光文社新書)
◆
一読、ぐいぐいと引き込まれる。アンベードカルが不可触民の間でもある程度恵まれた家庭に育ったことは知らなかった。それでも以前他で読んだ記憶のある少年時代の差別は、きわめて強い印象を残す。不可触民であるがゆえに共同井戸の水を飲めず、喉の渇きに耐えかねてこっそり飲んでいるところを見つかり、あざだらけになるほど殴られる。学校でも、誰かが水をのどに流しこんでくれるのを待つほかない。教師たちは、穢れをきらい、面と向かって教えることも、質問することも拒否する。彼が黒板に近づくと、他の生徒は弁当が穢れないように他へ移す等々。
アンベードカルは、藩主バローダに見込まれアメリカに留学し、ついでイギリスに留学する。再度留学したときの限られた時間と費用の中での猛勉強の様子。時間と費用を節約するために昼食も抜いて、大英博物館館内の図書館に通い詰める。同胞の不可触民のためにと超人的な克己奮励するその姿。不可触民を「奴隷状態」から解放しようとするその意志の強さと、政治的な実行力。それでも愛する息子を失ったときには、迫害に対してはあれほど忍耐強かった彼が、深い苦悩に沈潜し、ほとんど死んだように眠る日々が続いたという。
第10章「ガンジーとの戦い」とそれに続く章は圧倒的である。アンベードカルは、ガンジーに向かって「私には祖国がありません」という。「‥‥犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるのでしょう。自尊心のある不可触民なら誰一人といてこの国を誇りに思うものはありません。」
その圧倒的なガンジーとの対決場面。これまでのガンジーの印象が一変してしまうようなその一言一言のやりとり。挙げればきりがないが、インド独立運動の影で、不可触民解放のためのこのような必死の努力がなされていたことに強い感銘を受ける。これまで現代インド史を見る眼がいかに浅薄なものだったかを痛感する。
不可触民が政治の場に参加することを願うアンベードカルの要求に対するガンジーの敵意は、インド各地の不可触民に大きな衝撃を与えたという。そのようなガンジーにアンベードカルは仮借のない攻撃を向けた。それは、強固な意志力をもったガンジーに限りない憤怒の念を生じさせ、その怒りを抑制するのにたいへんな努力を要したほどだった。
しかし、1932年のイギリス政府のコミュナル裁定に反対して行われたガンジーの「死に到る断食」は、アンベードカルを譲歩させ、指定カーストの第三勢力が政治の土俵に上がることを防ぐ結果となった。
ここに書かれているのは、あくまでもアンベードカル側からの記述であるから、ガンジーがそのとき置かれた状況を私なりに確認しないと何とも言えない。それにしてもガンジーを単純に「聖者」とみなすのではなく、不可触民の解放運動との関係をもっと調べる必要があることは十分に分かった。
通読してアンベードカルの巨人たるゆえんが、いやというほど分かった。6000万指定カーストは、アメリカの黒人よりも悲惨だった。その「穢れ」によって同じ井戸の水を飲むことも食事をともにすることも、カーストヒンドゥーの影を踏むことさえも禁じられたのだから。黒人は少なくとも白人の召使いではありえた。インドの不可触民は、2500年にわたって、世界のどの被抑圧民民よりも過酷な状況を耐え忍んできた。その2500年の暗黒の扉をこじ開けたのがアンベードカルだった。彼によってはじめて「不可触民の心の中に人間的尊厳の念と、自尊心、不可触民制への激しい憎しみが湧き起こったのだ。」
アンベードカルの『ブッダとそのダンマ』を読むのはもう少しあとになるだろう。「私は何故仏教を選んだのか。それは、他の宗教には見られない三つの原理が一体となって仏教にはあるからである。即ちその三原理とは、理性(迷信や超自然を否定する知性)、慈悲、平等である。これこそ人々がより良き幸せな人生を送るために必要とするものである。」
アンベードカルの理解する仏教は、きわめて知性的であり、それは「単に宗教であるばかりでなく社会的教理」でもある。
アンベードカルは30万の不可触民とともに仏教に改宗したという。そして今インドには1億人の仏教徒がいるという。どのような仏教が1億人の心をつかんだのだろうか。アンベードカルが説いたような理知的な仏教がそのように多くの人をとらえたのだろうか。インドに「再生」した仏教がどのように人々の心をとらえていったのか、きわめて興味のあるところだ。
一読、ぐいぐいと引き込まれる。アンベードカルが不可触民の間でもある程度恵まれた家庭に育ったことは知らなかった。それでも以前他で読んだ記憶のある少年時代の差別は、きわめて強い印象を残す。不可触民であるがゆえに共同井戸の水を飲めず、喉の渇きに耐えかねてこっそり飲んでいるところを見つかり、あざだらけになるほど殴られる。学校でも、誰かが水をのどに流しこんでくれるのを待つほかない。教師たちは、穢れをきらい、面と向かって教えることも、質問することも拒否する。彼が黒板に近づくと、他の生徒は弁当が穢れないように他へ移す等々。
アンベードカルは、藩主バローダに見込まれアメリカに留学し、ついでイギリスに留学する。再度留学したときの限られた時間と費用の中での猛勉強の様子。時間と費用を節約するために昼食も抜いて、大英博物館館内の図書館に通い詰める。同胞の不可触民のためにと超人的な克己奮励するその姿。不可触民を「奴隷状態」から解放しようとするその意志の強さと、政治的な実行力。それでも愛する息子を失ったときには、迫害に対してはあれほど忍耐強かった彼が、深い苦悩に沈潜し、ほとんど死んだように眠る日々が続いたという。
第10章「ガンジーとの戦い」とそれに続く章は圧倒的である。アンベードカルは、ガンジーに向かって「私には祖国がありません」という。「‥‥犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるのでしょう。自尊心のある不可触民なら誰一人といてこの国を誇りに思うものはありません。」
その圧倒的なガンジーとの対決場面。これまでのガンジーの印象が一変してしまうようなその一言一言のやりとり。挙げればきりがないが、インド独立運動の影で、不可触民解放のためのこのような必死の努力がなされていたことに強い感銘を受ける。これまで現代インド史を見る眼がいかに浅薄なものだったかを痛感する。
不可触民が政治の場に参加することを願うアンベードカルの要求に対するガンジーの敵意は、インド各地の不可触民に大きな衝撃を与えたという。そのようなガンジーにアンベードカルは仮借のない攻撃を向けた。それは、強固な意志力をもったガンジーに限りない憤怒の念を生じさせ、その怒りを抑制するのにたいへんな努力を要したほどだった。
しかし、1932年のイギリス政府のコミュナル裁定に反対して行われたガンジーの「死に到る断食」は、アンベードカルを譲歩させ、指定カーストの第三勢力が政治の土俵に上がることを防ぐ結果となった。
ここに書かれているのは、あくまでもアンベードカル側からの記述であるから、ガンジーがそのとき置かれた状況を私なりに確認しないと何とも言えない。それにしてもガンジーを単純に「聖者」とみなすのではなく、不可触民の解放運動との関係をもっと調べる必要があることは十分に分かった。
通読してアンベードカルの巨人たるゆえんが、いやというほど分かった。6000万指定カーストは、アメリカの黒人よりも悲惨だった。その「穢れ」によって同じ井戸の水を飲むことも食事をともにすることも、カーストヒンドゥーの影を踏むことさえも禁じられたのだから。黒人は少なくとも白人の召使いではありえた。インドの不可触民は、2500年にわたって、世界のどの被抑圧民民よりも過酷な状況を耐え忍んできた。その2500年の暗黒の扉をこじ開けたのがアンベードカルだった。彼によってはじめて「不可触民の心の中に人間的尊厳の念と、自尊心、不可触民制への激しい憎しみが湧き起こったのだ。」
アンベードカルの『ブッダとそのダンマ』を読むのはもう少しあとになるだろう。「私は何故仏教を選んだのか。それは、他の宗教には見られない三つの原理が一体となって仏教にはあるからである。即ちその三原理とは、理性(迷信や超自然を否定する知性)、慈悲、平等である。これこそ人々がより良き幸せな人生を送るために必要とするものである。」
アンベードカルの理解する仏教は、きわめて知性的であり、それは「単に宗教であるばかりでなく社会的教理」でもある。
アンベードカルは30万の不可触民とともに仏教に改宗したという。そして今インドには1億人の仏教徒がいるという。どのような仏教が1億人の心をつかんだのだろうか。アンベードカルが説いたような理知的な仏教がそのように多くの人をとらえたのだろうか。インドに「再生」した仏教がどのように人々の心をとらえていったのか、きわめて興味のあるところだ。
◆不可触民と現代インド (光文社新書)
◆
著者が冒頭で語るインドでの体験――同乗する自動車のひき逃げ事件は、著者の衝撃的な「原体験」であり、それ以来、インド不可触民をはじめ最底辺民衆に関心を持つようになったという。
この本からこれまで知らなかった多くの事実を学んだ。インドのカースト制度は有名だが、では現代インドでカーストが現実にどのように働き、政治的、経済的にどのような意味をもっているのかなど、よく見えていなかった。この本では、不可触民の側からカースト制によるインドの支配と被支配の実態が明らかにされる。
ブラーミン、クシャトリア、ヴァイシャの上位三カーストで人口の15パーセント、指定カースト、その他後進階層85パーセントと言われるが、正確な数字は、1930年にイギリスが調査して以来、一度も公表されていないという。しかし実際にこの上位15パーセントが、今も政治権力、官僚制度、マスコミ、経済、議会等々、あらゆる分野で支配的地位にいるのは紛れもない事実だ。
日本の教科書的な記述でははっきりとは書かれないが、インドの不可触民を中心とした人々は近年、次のような歴史認識を持つに至ったという。つまり、ブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャたちは、もともと侵略者であり、先住民を追いやり、カースト制を作り、下層民として押し込めた。下層の人々は、その事実を口にすることすら許されなかった。教科書的な記述でカースト制をアーリア人の侵入との関係の中でとらえるにしても、ここまではっきりと述べた記述には出会ったことはなかった。
山際氏は2002年にインドに取材してこの本を書いている。そのインタビューには、この国になお厳然と残るカーストの実態がかかれている。
ある不可触民出身の政府職員は言う、「私たちがどこかに転勤になると、我々のカーストがいち早く次の職場に伝えられます。新任者のカーストが何であるかによって対応の仕方が決められるからです。その人間によってではなく、所属のカーストによって扱いが決まるからなのです。」
別の不可触民出身の女性は、インドの最近の経済自由化について次のように語る、「貧困層は一層貧しく、金持ちは益々肥え太る政策以外の何ものでもありません。これは個人的成功、失敗のレベルの問題ではないのです。‥‥1990年から始まった、世界銀行、IMF主導の経済改革は、結論的にはダリットという弱者社会に大きな打撃を与えるにすぎません。社会主義的経済を資本主義的私企業形態に変えてゆくことは――銀行その他の政府系企業の私企業への移行――リザーブシステムで保証されていた職能分野の縮小を意味します。」
現代インドについて全く別の視点から語る本をと思って、『インドを知らんで明日の日本を語ったらあかんよ』竹村健一、榊原英資(PHP、2005年)のカーストについて触れた部分を読んでみた。
案の定というべきか、
「‥‥巷間でいわれているほど、カーストが問題になることはないようです。ビジネスのネックにはならないでしょう」(榊原)
「カースト制度がどうのこうのっていう話ではないわでですね。インドというと厳然としたカーストをイメージするのは、情報が古い。新しい情報が入らないと、子供のころから聞いている話で、インド観が固まってしまっているということですね。」(竹村)
「実際に、企業が採用についてカーストを云々することはまったくありません」
おそらく最先端のIT関連企業などでは、業種・職種が伝統的なジャーティにないこともあるのか、上のように言える面もあるのかも知れない。しかし、上のような言い方をしてしまうと、山際氏が報告したような深刻な現実は、まったく視野の外に置かれてしまうのだろう。自分が住む国でも、抑圧された人々の現実をあるがまま見るのはむずかしい。まして外国であればなおさらなだろう。この竹村、榊原の対談も、山際氏によるインタビューもそれぞれの立場から見た現実が語られているので、いちがいにどちらが正しいとは言えないだろう。しかし、少なくとも先の対談で語られているほどことは単純でないことは明らかだ。
ところで、カースト問題を低カースト民が自由に触れることすら許されなかった時代は、アンベードカルによって打ち破られたという。ガンディーに対立してヒンドゥーの差別と闘い,インドに仏教を復興した不可触民出身の政治家であるアンベードカル。同著者の『アンベードカルの生涯』(光文社)も併せて読むべきだろう。
著者が冒頭で語るインドでの体験――同乗する自動車のひき逃げ事件は、著者の衝撃的な「原体験」であり、それ以来、インド不可触民をはじめ最底辺民衆に関心を持つようになったという。
この本からこれまで知らなかった多くの事実を学んだ。インドのカースト制度は有名だが、では現代インドでカーストが現実にどのように働き、政治的、経済的にどのような意味をもっているのかなど、よく見えていなかった。この本では、不可触民の側からカースト制によるインドの支配と被支配の実態が明らかにされる。
ブラーミン、クシャトリア、ヴァイシャの上位三カーストで人口の15パーセント、指定カースト、その他後進階層85パーセントと言われるが、正確な数字は、1930年にイギリスが調査して以来、一度も公表されていないという。しかし実際にこの上位15パーセントが、今も政治権力、官僚制度、マスコミ、経済、議会等々、あらゆる分野で支配的地位にいるのは紛れもない事実だ。
日本の教科書的な記述でははっきりとは書かれないが、インドの不可触民を中心とした人々は近年、次のような歴史認識を持つに至ったという。つまり、ブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャたちは、もともと侵略者であり、先住民を追いやり、カースト制を作り、下層民として押し込めた。下層の人々は、その事実を口にすることすら許されなかった。教科書的な記述でカースト制をアーリア人の侵入との関係の中でとらえるにしても、ここまではっきりと述べた記述には出会ったことはなかった。
山際氏は2002年にインドに取材してこの本を書いている。そのインタビューには、この国になお厳然と残るカーストの実態がかかれている。
ある不可触民出身の政府職員は言う、「私たちがどこかに転勤になると、我々のカーストがいち早く次の職場に伝えられます。新任者のカーストが何であるかによって対応の仕方が決められるからです。その人間によってではなく、所属のカーストによって扱いが決まるからなのです。」
別の不可触民出身の女性は、インドの最近の経済自由化について次のように語る、「貧困層は一層貧しく、金持ちは益々肥え太る政策以外の何ものでもありません。これは個人的成功、失敗のレベルの問題ではないのです。‥‥1990年から始まった、世界銀行、IMF主導の経済改革は、結論的にはダリットという弱者社会に大きな打撃を与えるにすぎません。社会主義的経済を資本主義的私企業形態に変えてゆくことは――銀行その他の政府系企業の私企業への移行――リザーブシステムで保証されていた職能分野の縮小を意味します。」
現代インドについて全く別の視点から語る本をと思って、『インドを知らんで明日の日本を語ったらあかんよ』竹村健一、榊原英資(PHP、2005年)のカーストについて触れた部分を読んでみた。
案の定というべきか、
「‥‥巷間でいわれているほど、カーストが問題になることはないようです。ビジネスのネックにはならないでしょう」(榊原)
「カースト制度がどうのこうのっていう話ではないわでですね。インドというと厳然としたカーストをイメージするのは、情報が古い。新しい情報が入らないと、子供のころから聞いている話で、インド観が固まってしまっているということですね。」(竹村)
「実際に、企業が採用についてカーストを云々することはまったくありません」
おそらく最先端のIT関連企業などでは、業種・職種が伝統的なジャーティにないこともあるのか、上のように言える面もあるのかも知れない。しかし、上のような言い方をしてしまうと、山際氏が報告したような深刻な現実は、まったく視野の外に置かれてしまうのだろう。自分が住む国でも、抑圧された人々の現実をあるがまま見るのはむずかしい。まして外国であればなおさらなだろう。この竹村、榊原の対談も、山際氏によるインタビューもそれぞれの立場から見た現実が語られているので、いちがいにどちらが正しいとは言えないだろう。しかし、少なくとも先の対談で語られているほどことは単純でないことは明らかだ。
ところで、カースト問題を低カースト民が自由に触れることすら許されなかった時代は、アンベードカルによって打ち破られたという。ガンディーに対立してヒンドゥーの差別と闘い,インドに仏教を復興した不可触民出身の政治家であるアンベードカル。同著者の『アンベードカルの生涯』(光文社)も併せて読むべきだろう。
『不可触民の道―インド民衆のなかへ (知恵の森文庫)
』
同著者の『不可触民・もうひとつのインド』は、著者が1977年にインドを再訪したときの見聞をもとに、最初は1981年に三一書房から出版されている。本書は、著者が1980年から81年にインドを訪れたときの体験を元にしている。前著にもまして凄まじい不可触民差別に接して唖然としてしまう。
インドにおけるカースト的な差別と暴力が、どれほどに広く深く社会の底辺に巣食っているのかということが、読めば読むほどに分かってくる。同時に、一部の不可触民が、そのような抑圧から目覚め、組織的な抵抗を試み、大きな変化を巻き起こし始めていることも分かる。とくにアンベードカルが50万不可触民とともに仏教に改宗した都市、ナグプールの仏教徒たちの、驚くべき変化は、その地で活躍する日本僧・佐々井秀嶺の活動とともに印象深く語られている。
この本ではとくに、著者がインドの最底辺の人々と接していくうちに、上層であろうと下層であろうと、インド人のすべてに共通する、ある精神性への気づきを深めていく過程が注目される。著者はいう。インドの悲惨さは民衆の無知に深くかかわる。その考えは変わらない。しかし、そのことと、人々の神への傾倒、深い宗教性、「神信心」とが深く密着し、それが人々の無自覚な状態を支えていると、今までは考えていたという。しかし、著者の考え方は次第に変わっていく。インド民衆の無知と、それゆえの悲惨さ、それと彼らの深い宗教性はまた別のこと、次元のことなった問題なのではないかと。
「インド人は、特に底辺の民衆はある意味で、在るがままに生きている。無知であるとともに、先祖から受け継いできた大きく深い『智慧』をももち、それに支えれられ、辛うじて、ではあっても、それがなくては生きえない逆境を乗りこえてきている。それが人びとの、大きな遺産なのではないか‥‥」、そう著者は感じるようになったという。唯物史観的な考え方をもっていた著者にとっては、これは重大な発見だったのかもしれない。このテーマは、本書で何回か繰り返されるのだが、最終的には、著者が気づきを深めていったという、著者が理解する「インドの精神性」というものに、あまり魅力を感じなかった。この著者の「精神世界」への理解に深さが足りないからかもしれない。
それよりも、本書の最終章では、佐々井秀嶺がインドに行ってから、どのようにしてナグプールに導かれ、どのようでにその地での活動を開始したかが、本人の言葉で詳しく語られている。インドを発とうとした最後の晩に金縛りにあった状態のまま、光り輝く老人から「我は竜樹なり、南天竜宮へ行け」と語りかけられたという話は他でも読んだが、その詳しい状況や前後の経過を知ると、非常に強い印象を受ける。
インドのどん底、その地獄を知っていれば、南天竜宮はナグプールだと判断しただけで、その見知らぬ土地に単身乗り込んでいくことは、生命の危険をも覚悟しなければできることではないという。しかし佐々井師は旅立つ。そこに、本人の意志を超えた強い導きがあっただろうことを改めて感じた。あらためて『破天』を読んで見たいと思った。
同著者の『不可触民・もうひとつのインド』は、著者が1977年にインドを再訪したときの見聞をもとに、最初は1981年に三一書房から出版されている。本書は、著者が1980年から81年にインドを訪れたときの体験を元にしている。前著にもまして凄まじい不可触民差別に接して唖然としてしまう。
インドにおけるカースト的な差別と暴力が、どれほどに広く深く社会の底辺に巣食っているのかということが、読めば読むほどに分かってくる。同時に、一部の不可触民が、そのような抑圧から目覚め、組織的な抵抗を試み、大きな変化を巻き起こし始めていることも分かる。とくにアンベードカルが50万不可触民とともに仏教に改宗した都市、ナグプールの仏教徒たちの、驚くべき変化は、その地で活躍する日本僧・佐々井秀嶺の活動とともに印象深く語られている。
この本ではとくに、著者がインドの最底辺の人々と接していくうちに、上層であろうと下層であろうと、インド人のすべてに共通する、ある精神性への気づきを深めていく過程が注目される。著者はいう。インドの悲惨さは民衆の無知に深くかかわる。その考えは変わらない。しかし、そのことと、人々の神への傾倒、深い宗教性、「神信心」とが深く密着し、それが人々の無自覚な状態を支えていると、今までは考えていたという。しかし、著者の考え方は次第に変わっていく。インド民衆の無知と、それゆえの悲惨さ、それと彼らの深い宗教性はまた別のこと、次元のことなった問題なのではないかと。
「インド人は、特に底辺の民衆はある意味で、在るがままに生きている。無知であるとともに、先祖から受け継いできた大きく深い『智慧』をももち、それに支えれられ、辛うじて、ではあっても、それがなくては生きえない逆境を乗りこえてきている。それが人びとの、大きな遺産なのではないか‥‥」、そう著者は感じるようになったという。唯物史観的な考え方をもっていた著者にとっては、これは重大な発見だったのかもしれない。このテーマは、本書で何回か繰り返されるのだが、最終的には、著者が気づきを深めていったという、著者が理解する「インドの精神性」というものに、あまり魅力を感じなかった。この著者の「精神世界」への理解に深さが足りないからかもしれない。
それよりも、本書の最終章では、佐々井秀嶺がインドに行ってから、どのようにしてナグプールに導かれ、どのようでにその地での活動を開始したかが、本人の言葉で詳しく語られている。インドを発とうとした最後の晩に金縛りにあった状態のまま、光り輝く老人から「我は竜樹なり、南天竜宮へ行け」と語りかけられたという話は他でも読んだが、その詳しい状況や前後の経過を知ると、非常に強い印象を受ける。
インドのどん底、その地獄を知っていれば、南天竜宮はナグプールだと判断しただけで、その見知らぬ土地に単身乗り込んでいくことは、生命の危険をも覚悟しなければできることではないという。しかし佐々井師は旅立つ。そこに、本人の意志を超えた強い導きがあっただろうことを改めて感じた。あらためて『破天』を読んで見たいと思った。
◆不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫)
◆
インド思想史などを読んでいたのでは、絶対に分からない、これほどに圧倒的な差別の現実を今まで知らなかったという驚き。これほどに情報が発信され受信される世界においても、抑圧される人々が発信の手段すら満足にもたなければ、2億の人々の驚くべき現実がかんたんに遮蔽されてしまうという事実への驚き。ひとつの制度の中で甘い生活を許されてしまった人間は、他者をどんなに苦しめようと、その生活を守っていこうとするのが現実なのだということの、大規模なレベルでの確認。
今後私は、不可触民の視点を意識せずにインドの精神世界に接することはできないだろう。インドの不可触民問題は、たんにインド一国における差別問題なのではない。インドにあれほどに連綿と続いた高い精神性の伝統と、その一方でその伝統と一体となったカースト制度。人間を差別し虐げる文化的装置として、これほどに強烈で徹底的なものはない。その矛盾の深さ。
この本を読んでこれほど強く何かを訴えかけられたように感じるのは、この矛盾の深さによって、人間とは何か、人間の歴史と文化とは何かという根源への問いかけを強いられるからだ。ここに人間とその文化の一面が剥き出しにされているのだ。
「自分たちの一番厭な肉体労働、不潔な仕事の一切を、世襲的に背負わせ、土地をあたえず『農奴』としてただ同然に働かせる。女は男のセックスの慰み物として、好きなように扱う。‥‥こういう存在が一億以上もいて、人々に奉仕してくれるのなら、だれだってそういう制度は、あってくれた方がいい、と思うじゃありませんか。」
こうしてしかも、衣食住については一切責任を負わないのだから、奴隷制よりもなお悪いと、不可触民は訴える。制度として保障されさえすれば、人は誰しもこうした文化装置のうえに乗ったっま、差別から眼をそむける可能性がある。現にそのような事実が3000年も続いてきたのだから。
インドの精神性に引かれれば引かれるほど、カースト制の現実にもっともっと眼を向けていきたいと思う。
インド思想史などを読んでいたのでは、絶対に分からない、これほどに圧倒的な差別の現実を今まで知らなかったという驚き。これほどに情報が発信され受信される世界においても、抑圧される人々が発信の手段すら満足にもたなければ、2億の人々の驚くべき現実がかんたんに遮蔽されてしまうという事実への驚き。ひとつの制度の中で甘い生活を許されてしまった人間は、他者をどんなに苦しめようと、その生活を守っていこうとするのが現実なのだということの、大規模なレベルでの確認。
今後私は、不可触民の視点を意識せずにインドの精神世界に接することはできないだろう。インドの不可触民問題は、たんにインド一国における差別問題なのではない。インドにあれほどに連綿と続いた高い精神性の伝統と、その一方でその伝統と一体となったカースト制度。人間を差別し虐げる文化的装置として、これほどに強烈で徹底的なものはない。その矛盾の深さ。
この本を読んでこれほど強く何かを訴えかけられたように感じるのは、この矛盾の深さによって、人間とは何か、人間の歴史と文化とは何かという根源への問いかけを強いられるからだ。ここに人間とその文化の一面が剥き出しにされているのだ。
「自分たちの一番厭な肉体労働、不潔な仕事の一切を、世襲的に背負わせ、土地をあたえず『農奴』としてただ同然に働かせる。女は男のセックスの慰み物として、好きなように扱う。‥‥こういう存在が一億以上もいて、人々に奉仕してくれるのなら、だれだってそういう制度は、あってくれた方がいい、と思うじゃありませんか。」
こうしてしかも、衣食住については一切責任を負わないのだから、奴隷制よりもなお悪いと、不可触民は訴える。制度として保障されさえすれば、人は誰しもこうした文化装置のうえに乗ったっま、差別から眼をそむける可能性がある。現にそのような事実が3000年も続いてきたのだから。
インドの精神性に引かれれば引かれるほど、カースト制の現実にもっともっと眼を向けていきたいと思う。