ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

祝・コートジボワール共和国独立記念日2015

2015-08-07 07:30:17 | アフリカ情勢
きょうはコートジボワールの55回目の独立記念日にあたる。コートジボワール人友人諸氏に、まずはお祝いを。

(アビジャン・ヤムスクロウ・ハイウェイ)


この国の歩み。ンボテブログでも繰り返し述べてきた。独立ののち、西アフリカの中心として発展した。70年代には「象牙の奇跡」として知られる輝かしい発展を遂げた。

しかし80年代には経済ガバナンスの失敗と成長失速。独立の父、ウフェ・ボワニ大統領が93年に没すると、権力闘争と混乱、内戦の歴史に入っていく。2000年代後半は和解と和平プロセスの10年。しかし2011年の大統領が2人の大統領を生む事態となり、激しい内戦に。

軍事的に事態が収拾を見た2012年5月にワタラ大統領が就任。そしてきょうまで、国民和解と経済V字回復の歩みを辿ってきた。そしていま、10月の大統領選挙を控えている。


コートジボワールはンボテにとって特別の思いがある。コンゴ・キンシャサ、セネガルに続いて、第三の故郷になりつつある。

え?なぜ特別な思いかって?

それは上記の歴史の中で、治安が急激に悪化した2002年~2004年。関係者が全てコートジボワールから撤退したのち、ンボテは現地事務所を閉めにいくミッションを当時請け負った。治安情勢が落ち着かないアビジャン、陽が落ちると闇の中、鵺(ぬえ)の群れが飛び交う不気味な空気だった。撤退の任務、いつか必ず、再びこの鍵を開けに来るぞ、と誓ったのだった。

その後ンボテはコンゴに赴任、そしてあの日から5年の月日が経ち、日本に帰国すると再びこの地域の担当になった。あの誓いを果たす立場に舞い戻った。

その後、和平プロセス、民主的選挙の実施がおぼつかず、再開のめどが立たないコートジボワール。この間もミッションベースでの行き来を繰り返した。しかし事態は最悪のシナリオへ。2012年、選挙結果をめぐり内戦化。コートジボワール、アビジャンは再び戦火の中に。

しかし内戦は2012年4月に軍事的に収束。紛争冷めやらぬ8月、ンボテはアビジヤンに向かった。事務所の鍵を再び開けるために、、、

そんなことで、ンボテはこのブログでもコートジボワールについてたくさんのことを書いてきた。

(一部をご紹介します!)
コートジボワール共和国史
第一話 象牙の奇跡と凋落
第二話 再生への道
第三話 国民和解への道

日経ヴェリタスにインタビューが載りました!~コートジボワールのビジネスチャンス



それからコートジボワールといえば、サッカーの国。去年はW杯初戦でチンチンにやられてしまった。先般の記事でもご紹介したが、ンボテはサッカーワールドカップのコートジボワールでのパブリックビユーイングプロジェクトに関わった。子供達にサッカーの感動を届けたい。そしてサッカーの力を平和のチカラに。そんな思いで集まった、ソニー、JICA両社の有志のチカラで実現されたものだった。

ワールドカップ特別企画!JICA×ソニー・コートジボワール DE パブリックビューイング!

そして決戦の日、青く染まる日本で、なんとコートジボワールを応援するパブリックビユーイングも企画した。
あえてアフリカと一つになるパブリックビューイングin横浜、ご来場ありがとうございました!


そしていま、コートジボワールと日本の友好のために、新しい動きが始動している。ンボテも少しばかりそのメンバーに混ざって、お手伝いをすることになった。何かって?それは9月に予定されるコートジボワール独立記念日レセプションで明らかになる模様。

まもなく迎える大統領選挙。こちらもまた別の機会に書くこととしたい。


(おまけ)
コートジボワールの料理事情
ユルすぎるレストラン(2)~女神ウェイトレス?

(こちらにもご支援を!)
サッカーのチカラを未来のチカラへ~カンボジア・パブリック・ビユーイングプロジェクト


(おわり)

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