0ZAWA天狗党番外編←クリック):真夏の桜田門其の3
真夏の桜田門3
さてさて、外国人が明治維新を見る時、2重基準で歴史評価をして平気な平成日本人を発見する。
即ち、尊皇攘夷を叫んで京都街内でテロ行動を続けたサムライ達を「志士」と呼んで支持喝采する
一方で、徳川家祖法に背いてまでも「開国」策を採る徳川幕閣を積極的に評価しない態度である。
加えて、彼ら志士達が思想転向した後であっても、旧「開国派」への私怨とも言うべき暴虐さの足跡を
見ぬフリの態度である。
(座長故郷の福島県、その旧会津藩の領民は昭和初期まで教科書で「朝敵」扱いされ、
今度は福島原発の核汚染で無策放置されるのだ。)
(A)もし、平成団塊シミン達が、尊皇攘夷を叫ぶテロサムライ達を支持喝采するならば、
太平洋WARで「鬼畜米英の尊皇攘夷」を叫ばせて一般人を吶喊トッカン突撃させた
「軍人」達も支持喝采すべきではないか!
そして、その後に開国へと思想転向した志士達まで高評価するならば、以前から開国を主張
してきた旧徳川幕閣をより積極的に再評価せねばならないのだ。
世界常識から見れば、敵である徳川家粗法の鎖国政策をマニュフェストにする革命勢力が変であり、
それを簡単に放棄・転向して平気な革命勢力も変である。
(現在の革新勢力のマニュフェストも同じ道を辿るのだろうか?)
(B)加瀬英明氏のWEB←クリック)によれば、尊皇攘夷の先鋒であった水戸藩主の徳川斉昭公は
「・・開闢以来之国恥・・槍劒アラバ、戦艦銃砲モ終ニ恐ルルニ足ラズ」と精神論的献策をしたが、
80年後の太平洋WARになっても、(驚くことに)第一総軍参謀長の須藤栄之助中将は、
「九十九里浜防衛師団に小銃が十人に一挺、第三十六軍では「槍(やり)一五〇〇本を装備ナリ」と
報告して攘夷突撃させようとしたのだ。
(戦後の革新勢力も同じ平和憲法的精神主義で世界に対応するのだろうか?)
(C)そんな水戸斉昭式精神主義に対抗する井伊直弼大老は、江戸城溜詰大名9家の賛同、
在府諸大名の大多数の容認、幕臣達の意見、等を得て条約調印したのだが、
その意見書第2項目では、「外国船による江戸廻米船の封鎖の恐れ」を述べて、天災不作の
地方窮乏農村から大江戸に集中し、我慢生活する庶民の食生活を重視しているのだ。
(即ち、為政者の責務として、大塩平八郎の騒乱再発で国内から崩壊する事を恐れた。)
(D)米を経済の主軸とする江戸時代に、その輸送廻米船を絶対確保する井伊直弼大老の政策を
平成ユットリ現代とを比べると、
エネルギーを経済発展の主軸とする現代において、その主たる供給源の原発を廃止しー
ホソボソ不安定な自然エネルギーに依存しようとする管直人(前ブログでは、KANN直亮←クリック)
政策は、日本国民に大きな混乱・困難を与えるだろう。
アレアレ! ここで緊急ニュースです。
ナント、あのWATABE源蔵シミン主党代議士が桜田門外で
「KANN直亮退陣要求のハンガーストライキ」を始めたのです。
このニュースは、次回ブログで、WATABE源蔵代議士へのインタビューを加えてブログ報告します!
まさに「真夏の桜田門外の変」であります!!!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/51/471f72749ba7fc1d430121f582285b59.jpg)
さてさて、外国人が明治維新を見る時、2重基準で歴史評価をして平気な平成日本人を発見する。
即ち、尊皇攘夷を叫んで京都街内でテロ行動を続けたサムライ達を「志士」と呼んで支持喝采する
一方で、徳川家祖法に背いてまでも「開国」策を採る徳川幕閣を積極的に評価しない態度である。
加えて、彼ら志士達が思想転向した後であっても、旧「開国派」への私怨とも言うべき暴虐さの足跡を
見ぬフリの態度である。
(座長故郷の福島県、その旧会津藩の領民は昭和初期まで教科書で「朝敵」扱いされ、
今度は福島原発の核汚染で無策放置されるのだ。)
(A)もし、平成団塊シミン達が、尊皇攘夷を叫ぶテロサムライ達を支持喝采するならば、
太平洋WARで「鬼畜米英の尊皇攘夷」を叫ばせて一般人を吶喊トッカン突撃させた
「軍人」達も支持喝采すべきではないか!
そして、その後に開国へと思想転向した志士達まで高評価するならば、以前から開国を主張
してきた旧徳川幕閣をより積極的に再評価せねばならないのだ。
世界常識から見れば、敵である徳川家粗法の鎖国政策をマニュフェストにする革命勢力が変であり、
それを簡単に放棄・転向して平気な革命勢力も変である。
(現在の革新勢力のマニュフェストも同じ道を辿るのだろうか?)
(B)加瀬英明氏のWEB←クリック)によれば、尊皇攘夷の先鋒であった水戸藩主の徳川斉昭公は
「・・開闢以来之国恥・・槍劒アラバ、戦艦銃砲モ終ニ恐ルルニ足ラズ」と精神論的献策をしたが、
80年後の太平洋WARになっても、(驚くことに)第一総軍参謀長の須藤栄之助中将は、
「九十九里浜防衛師団に小銃が十人に一挺、第三十六軍では「槍(やり)一五〇〇本を装備ナリ」と
報告して攘夷突撃させようとしたのだ。
(戦後の革新勢力も同じ平和憲法的精神主義で世界に対応するのだろうか?)
(C)そんな水戸斉昭式精神主義に対抗する井伊直弼大老は、江戸城溜詰大名9家の賛同、
在府諸大名の大多数の容認、幕臣達の意見、等を得て条約調印したのだが、
その意見書第2項目では、「外国船による江戸廻米船の封鎖の恐れ」を述べて、天災不作の
地方窮乏農村から大江戸に集中し、我慢生活する庶民の食生活を重視しているのだ。
(即ち、為政者の責務として、大塩平八郎の騒乱再発で国内から崩壊する事を恐れた。)
(D)米を経済の主軸とする江戸時代に、その輸送廻米船を絶対確保する井伊直弼大老の政策を
平成ユットリ現代とを比べると、
エネルギーを経済発展の主軸とする現代において、その主たる供給源の原発を廃止しー
ホソボソ不安定な自然エネルギーに依存しようとする管直人(前ブログでは、KANN直亮←クリック)
政策は、日本国民に大きな混乱・困難を与えるだろう。
アレアレ! ここで緊急ニュースです。
ナント、あのWATABE源蔵シミン主党代議士が桜田門外で
「KANN直亮退陣要求のハンガーストライキ」を始めたのです。
このニュースは、次回ブログで、WATABE源蔵代議士へのインタビューを加えてブログ報告します!
まさに「真夏の桜田門外の変」であります!!!!