夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「漢字を忘れた韓国人」との東京新聞の記事に反論する

2011年10月31日 | 言葉
 今朝の東京新聞に論説委員が「私説」と題するコラムで書いている。韓国ではもう漢字は通用しないと。当然である。日本の仮名文字に相当するハングルで表記をすると決めたのだから、漢字は使わない。しかし韓国語の語彙の内の6割余は漢字が基になっているとその記事は言う。つまりは漢字熟語だろう。漢字熟語を漢字を使わなくても正確に理解する事は可能だ。これは日本語での話だが、例えば「武器」「平和」は、「ぶき」「へいわ」と書いても、意味が分かるはずである。なぜなら、ほかに「ぶき」「へいわ」と発音する言葉が無い。しかしそうした根っからの日本語にも思えてしまう漢字熟語ばかりではない。それは韓国語にしても同じではないのか。

 記事では、民族の文字であるハングルで教育するのは、漢字は日本の植民地統治の悪しき名残だとの理屈も付いていると言う。しかしこれは全くの濡れ衣である。漢字は朝鮮文化の基礎なのである。だから日本の植民地統治の名残などではないのだ。中国への依存の名残なのである。たとえ韓国人が日本の植民地統治の名残だと考えているとしても、それをきちんと正しく訂正して記事を書くのが論説委員の役目ではないのか。

 韓国が、これは北朝鮮も同じだが、漢字を廃止してハングルだけで朝鮮語を表そうと考えたのにははっきりとした理由がある。漢字は字音語だけで使われていたからである。と言うのは、朝鮮では漢字を訓読みにする事をしなかった。漢字は中国語の発音そのままに、しかも四声と言うアクセントまでそのままに読まれていたと、ある学者が言っている。
 これは中国とは地続きの朝鮮の防衛策でもある。だから、日本で訓読みが発明されたのは中国からの離脱を意味しているとその学者は言う。漢字の訓読みは世界にも類の無い、奇抜でしかも難しい方法なのである。漢字をすっかり日本語の文字としてしまっている我々には分かりにくいが、英語で考えれば良く分かる。
 sunを英語そのままに「サン」と読み、しかも日本語の「ひ」とも読むのである。「日本=にほん」は漢字熟語である。だから英語にすれば、「under the sun」である。これを「アンダーザサン」と読むのが「にほん」の音読みで、「ひのもと」と読むのが訓読みである。今では「にほん」を漢字熟語だと認識する事はほとんど無いだろうから、「あんだーざさん」と「ひのもと」である。
 「under the sun」だから意味が分かる。もちろん、日頃から「under」が「した・もと」の意味であり、「the sun」が「ひ」の意味である事を、常に英語の綴りを使い、意味を知っていればこそ出来る事である。けれども仮名文字の「あんだーざさん」では意味が分からない。
 日本語は「under the sun」に相当する「日本」の表記を常に使っているから意味が分かるのである。ただ、現在では「ひのもと」の意味だと理解出来る人がどれほど居るかは疑問だが。

 だから朝鮮語が漢字を廃止したのは無謀な事だと思う。それを徹底させるには、同音異義語を無くすしかないだろう。漢字熟語を重要な要素として発達して来た朝鮮語がそれを減らして豊かな朝鮮語を作り上げるのはとても難しい事だと思う。漢字熟語を減らすには、一つだけ漢字熟語にして、残りは朝鮮語で言い替えるようにする事しか無いのではなかろうか。それが果たして出来るかどうか。

 このブログで私の言いたいのは、上記のような事ではなく、論説委員の「日本の植民地統治の悪しき名残だという理屈」について、同委員は明確に反論すべきだろう、なのである。


4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kojitan)
2011-10-31 16:45:22
私の認識では、ハングル文字こそ日本による統治の名残となっています。

ハングルの発明というのはもっと遡れるそうですが、少なくとも日韓併合以前のハングル文字は上流階級だけの文化だったものを、1880年代に日本人が積極的に関与することによって、ハングルが新聞などの活字として使われるようになったようです。

日韓併合や第二次世界大戦を経て、日本語教育が為された時には「漢字教育」もあったでしょうが、中国の文化が漢字文化ヌキでは語れないという夏木さんの説も含めて、そもそもその論説員の謂わんとしていることは、破綻しているようですね。

論説委員の方はありもしない名残が見えるようで、大変な慧眼の持ち主らしいですね。無論、これは嫌味ですよ。
ちょっと誤解があるのでは? (夏木広介)
2011-11-03 11:24:00
 kojitanさんの認識には誤解があると思います。
 ハングルが作られたのは1440年代です。農民が漢字が読めずに訴訟などで不利になるのを時の皇帝が哀れに思い、農民でも読み書きの出来る文字を、と作り出したと、金両基氏の『ハングルの世界』(中公審書)に書かれています。1880年代と言う年代がどこから出て来たのか分かりませんが、1920年代に日本の植民地化政策が進んで、ハングルが抹殺されようとしていた、と同氏は書いています。ハングルを日本が庶民の文字として擁護したのではなさそうです。創氏改名と言って、朝鮮人の名前を日本風に改めさせたのは私も知っています。
 でも、私の考えが通じている事が分かり、嬉しく思っています。

 ハングルは世界にも類の無い最も合理的な文字だとされています。自然発生したのではなく、強固な意志によって作り上げられた訳ですから、そこには言葉に対するそれまでの知識が十分に詰め込まれているのでしょう。日本語の仮名文字とは比べるべくもありません。特に私の感心するのは、日本語のように「大学生」を「だいがくせい」とするのではなく、「だい・がく・せい」とする事が出来る点です。「だ」と「い」を一つの文字にして「だい」と出来るのです。「だいがくせい」なら「台がくせえ」とも読めてしまいますからね。
 これはもちろん、語源が漢字熟語である事を考慮しています。まあ、だから、漢字を全廃しても、これが元々は漢字熟語だったと分かるので、それほどは困らないのでしょう。

 久しぶりにkojitanさんの声が聞こえて来ました。そう言う私も人様のブログをあまり見る余裕がありません。自分のを書くのに必死なのです。

Unknown (kojitan)
2011-11-05 03:07:15
基本的にお考えには全く異論を挟む余地はないのですが、認識についてだけ。

ハングルを開発?した経緯はおそらく夏木さんの仰る通りなのでしょう。しかし、実際にはそうならなかった。夏木さんが参考にした書籍にあるように論じる人もいますが、その逆の立場の論をとなえる人もいます。政治的な歴史判断がいずれにも含まれるところですので、どちらも全てが正しい訳ではないと考えています。

文字を独占する特定階級の人々により、ハングルは使われていなかったと。
それを再発見し、日本のような漢字仮名まじりの文章を考案したのは、福沢諭吉とも言われています。

夏木さんにこの意見を強制するつもりは有りませんが、是非ネット検索するのもいいですし、両者の意見を比較してみてください。

私の記憶にも誤認は多々あるかと思いますが、概要は間違っていないと思っています。

にしても論説委員がいい加減なのは全くの同感です。
福沢諭吉の考案について (夏木広介)
2011-11-05 12:04:25
 確かに文字を独占する知識階級はハングルを使わなかったでしょう。ハングルは庶民のために作られた文字だと考えれば、ハングルの普及は庶民を目覚めさせてしまうから、庶民とは対極的な立場に居る人々は漢字の使用に固執した事でしょう。だからその事と庶民がハングルを使わなかった事とは違うと思います。

 それ(ハングル)を再発見し、日本のような漢字仮名まじりの文章を考案したのは、福沢諭吉とも言われています。

 上記について、私には大きな疑問があります。なぜそのような必要があったのか、と。そしてそれを実行した書物はどこにどのように存在しているのか、と。
 日本語での漢字仮名混じり文は非常に優れた書記法だと私は思っています。中国語である漢字をそのまま中国語で読むのと日本語に訳して読むのとを両立させているなどと、世界中のどこの言語がなし得た事でしょうか。
 日本語でそれが成り立っているのは、漢字の訓読みが広く国民の知識となっているからこそです。それが果たして朝鮮で出来ていたのか。
 福沢諭吉の考え出した漢字とハングルの混ぜ書きが朝鮮での字音語と朝鮮語であるハングルとを使った書記法だとは思えません。日本には現在では字音語のみを漢字表記にして、日本語は平仮名にしよう、との考えが強く、それが文章を読みにくく分かりにくくしているのですが、副沢諭吉の当時にそのような考えは毛頭ありません。いまでは当然に平仮名にしているような日本語の言葉まで漢字になっています。福沢諭吉云々は十分に疑って掛かる必要があります。もちろん、これには朝鮮で漢字を朝鮮語で訓読みをしていた、との事実が前提になる話です。

 wikipediaをざっと読んだだけなのですが、そこに漢字とハングルの混ぜ書きについては出て来ないようです。  
 kojitanさんの論点が、ハングルは使われていなかったのだ、と言う所にあり、それが福沢諭吉に関する話になるのでしょうから、漢字とハングルの混ぜ書きは重要な条件になると思います。
 私も色々と調べてみたいと思っています。