直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

直木倶楽部の会報第二号

2008年03月13日 | Weblog
 直木倶楽部の会報の第二号がようやく完成した。今回は「可能性のまち上町台地」の報告と「からほりと落語」の報告を中心に書いている。会員の皆さんには今月中にお届けできるかと思う。それにあわせて直木倶楽部の更新と入会のお願いもする予定である。このブログをご覧の方でまだご入会いただいていない方は是非ともご検討いただきたい。会報だけでも読みたいとおっしゃる方は記念館にお越しいただければお渡のしできるので、受付で会報が欲しい旨伝えていただきたい。

ライバルがいない気楽さと孤独

2008年03月12日 | Weblog
 昨日、社長を大阪綿業会館まで送っていく車中で「君、直木三十五記念館の館長やねんてなあ」と言われる。館長ではなく事務局長であることや、日常業務は委託していることなどを簡単に説明する。「すごいなあ」と言っていただくが話しはここまでで、社長は「寄付したろう」とは言われなかったし、私も気が引けて厚かましくお願いはできなかった。
 先日、オダサク倶楽部の第一回読書会が開かれたので参加した。参加されていた宮川康さんからのメ―ルを読むとなんと厳しく自らを戒めている。オダサク研究は大谷晃一さんをはじめ多くの方がなされていて、宮川さんのホームページを見てもかなり真剣に熱心に研究されている様がよく見て取れる。また氏は初版本の収集や資料の収集にも力を注がれている。
 この世に直木三十五などという時代錯誤で変な作家のことを追いかけている人が織田作之助に比べて圧倒的に少ないことにどこかほっとする。私の稚拙な研究など本格派の方が現れれば木っ端微塵に吹き飛ぶであろう。しかしながら世にそんな酔狂な人はそれ程多くいないのである。オダサク研究の活発さを横目で見ながら直木研究は気楽でいいが切磋琢磨する部分がないのは少し寂しく感じた。

やはり原典に勝るものはない

2008年03月11日 | Weblog
 二十一日会の同人誌であった「大衆文藝」の1巻5月号と6月号を入手した。「去来三代記」を入手して読むことが目的である。「去来三代記」は直木三十五が「大衆文藝」に連載していた作品で、代表作「南国太平記」の元になった作品だといわれている。直木自身が「大衆文藝作法」で「去来三代記」が思いの他うまく書けなかったのであるが題材をこのままにしておくのが惜しくて「南国太平記」に至った書いているのである。
 ところが実際に「大衆文藝」を入手して読んでいると「雑音」という表題のコラム欄で
三代記を真面目に真剣に取り組むとしているがどうも身が入らないと書いている。そしてその理由として映画製作というのもに手を染めると、小説という方法論自体に不自由さと表現の限界や手法としての古さを感じるという内容のことを挙げている。つまりは聯合映画芸術家協会での仕事が「去来三代記」の質を下げてしまう要因であったようだ。編集後記に池内祥三が「直木三十五氏が本号からいよいよ「去来三代記」の連載をはじめたが締め切りが間に合わないといけないからと奈良から急行列車に乗って原稿を持ってきた」とある。いかに映画と創作の間で苦闘していたかが窺える。
 しかしこれも原典の「大衆文藝」を入手したからこそわかることである。いかに原典が大切かということの表れである。

小島政二郎「場末風流」

2008年03月10日 | Weblog
 土曜日に古書会館で月例の即売会があったので久し振りに覗く。顔見知りの店主何人かに会い挨拶を交わす。
 さて肝心の本棚の方にはびっくりするほどのものはなかったが、文庫の棚に小島政二郎の旺文社文庫の作品があった。「円朝」の(上)(下)の揃いと「場末風流」である。「円朝」も買おうかと思ったが、以前に神田で単行本も上下を買っているので思い留まり、「場末風流」を購入する。
 この「場末風流」には直木三十五についての随筆があり、以前から読んでみたいと思い続けていたので念願かなったというわけである。田端の天然自笑軒で行われた芥川の一周忌に直木が現れ、受付をしていた小島が「直木三十五」と記すが、本人は会費が払えずに小島と五分程会話を交わして帰っていくという記述がある。直木らしいとも言える話である。昨年に私が田端を訪れたときにこのことを知っていたら天然自笑軒址を見る感じが変わっていたのにと思う。
 小島の記述によると直木は声が低いようである。これも知らなかった。あと面白いと思ったのは聯合映画芸術家協会の株を小島は直木から貰ったとある。配当など期待もできないが記念に取っておくとある。昭和9年に直木が死んだ際に書いた文章なので、恐らく戦災で焼けて今はないだろうが、小島政二郎さんのご遺族がもしもお持ちであればと思う。

「南国忌」

2008年03月05日 | Weblog
 毎年のことであるが、年に一回の南国忌に運営委員会のメンバーで訪問する。今年は2月24日という祥月命日の日にあたる。
 富岡の町はあんまり変化がない。存続が危ぶまれている直木三十五の終の棲家である橋本さんの御宅もまだ健在である。しかしながら南国忌の会のメンバーの方々のお話ではあjんまり安心はできないようである。横浜市長の中田さんもどこかの知事みたいに文化や芸術に対する理解は低いそうである。
 仮に橋本さん(現在直木の旧邸を所有されている方)が建物を無料で持って行ってもいいよとなったら、これを大阪に移築したらどのくらいの費用になるのだろうか。空堀のどこかに移築して建物を改修して記念館をそちらに移す。2億円くらいはいるだろうか。しかし、物があるのであれば、その程度の金額は集まらないだろうか。取らぬ狸の皮算用だけが頭の中を巡る。