直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

大阪市は手ごわい

2006年06月30日 | Weblog
昨日、上町台地マイルドHOPEゾーン協議会について書いたがその続編である。

大阪市はやはり手強い頭脳集団である。この協議会の真の狙いはどこにあるのかという事を再度検証してみる必要があるのではないかと考えた。そもそもこの「マイルド」と云う命名に既に大阪市の意図を汲んで取れる。

これは全く私の私見であり憶測である。
ずばり書く。大阪市住宅局企画部住環境計画課がこの国からの補助金を受けて一番したいことは次の修景事業のための調査ではないか。その隠れ蓑としていかにも市民と連携して住環境のために調査研究をするという形をとりたいがためにやってるのではないか。だから「マイルド」は自分たちの意図を外向けにマイルド化するためということではないか。
250万円の外部コンサルタント会社への委託調査費については1円の選考のための事務経費が計上されていない事情から察するところでもある。

空堀地区のHOPEゾーンの立ち上がりの頃に、大阪市住宅局企画部の平岡部長は設立総会が終わってから、一緒になった居酒屋で「大阪市は場を提供してるのであるから、それを利用して皆さんがやりたいことを実現したらいいではないか。大阪市は利用されることを望んでいるんですよ。」という主旨の事を我々に言っていたことがある。

取って返せば自分たちは事業の実現のために君たちも利用するから君らも我々を利用すればいい。しかしながらそれにはしかるべき手続きが必要であるから君らは精々勉強してこないとそうは問屋は卸さないよと言ったところであるか。

こんな事をブログで書いて自分をどんどん不利な立場においてるのかもしれないが、手強い頭脳集団にたった数人で立ち向かうには仕方のないことかもしれない。

上町台地マイルドHOPEゾーン協議会設立総会

2006年06月29日 | Weblog
昨日、四天王寺本妨で上町台地マイルドHOPEゾーン協議会の設立総会がもたれた。大阪市住宅局が国土交通省の補助金を利用してのソフト系の事業である。我々「直木三十五記念館」も当該地域で活動するまちづくり関係の市民団体として会員になった。

このマイルドHOPEソーンに多くの市民グループが期待するのは何と言っても補助金助成事業である。しかしながら補助金助成の予算は300万円である。1団体あたり50万円を限度とする。つまりは6団体しか年間で助成されない。その審査に60万円の予算を使うという。この件には事前の協議で私が強く文句を言って噛み付いた。結果として当初100万円の予算であった審査会の運営費は60万円になり助成金は300万円になった。

しかしながら、その際大阪市住宅局の担当係長の説明では、補助金助成には多くの市民に知らしめる必要があるので広報とかにはしかるべき予算が必要であるという。しかし昨日設立総会の後に実施された助成の説明会でもらった資料には、7月20日までに事業概要をまとめて応募することとある。何をもって予算をかけて広報するというのか。完全に矛盾である。いやこれはだましに近い。それでは審査に参加する委員の費用というのか。審査委員は住宅局企画部長の平岡氏を除きすべては会員団体の構成員あるいは理事等の役員ではないか。これも矛盾である。

とにかく50万円は咽から手が出るほど欲しい。だから当局に嫌われることを言うよりも50万円を獲得することに注力する方が正しい運営であろう。しかしながら黙っていられない青臭さがなければこんな記念館運営できないのも事実。決して飼いならされた市民団体には成り下がらない。でっかいたんこぶになって目立ってやろうかと思う。

月例の運営会議

2006年06月28日 | Weblog
昨日6月27日は月例の運営会議。相変わらずの問題は財政。今月末には長屋ストックバンクネットワークに立て替えてもらっている空調設備代40万円を返済しないといけないが資金の目処がつかない。運営委員の4名が10万円づつとりあえず用意して支払うことになる。

今後は家賃の値下げを含めての経費の見直しを実施するとともに、サポートのメンバーの拡大を図らなければならない。当面の目標は運営サポート法人会費10口(50万円)を負担してくれる企業四社の獲得である。大阪の文化の衰退、地盤沈下を憂うる企業家はいないものかと。

大阪は自治のまち、町人文化のまちであるのだ。お上に逆らうからには経済的な自立が不可分である。

石井聰亙初期作品上映会「シネマロックデイズ&ナイツIN應典院

2006年06月28日 | Weblog
23日(金)から谷田25日(日)までの三日間、下寺町の應典院で石井聰亙初期作品上映会が実施された。私も実行委員の一人として準備に関わり三日間の上映会も参加した。

私はCプログラムのインタビューを担当した。聞くべきこともあるが、やはりさりげなくとも直木三十五記念館のアピールもあるので、なんとか無理やりにも「聯合映画芸術家協会」を引き合いに出して監督達が映画製作をしていたグループ「狂映舎」の話を引き出すという技をくりだしてもみた。しかしながら基本は私の個人的興味を中心にインタビューをした。

監督はいずれにしても真摯な態度で対応いただき本当に頭の下がる思いであった。かつてヒーローのような存在の監督とこうして一つの舞台に立つこと自体、18歳の頃の私は想像もしなかったことである。

いよいよ「シネマロックデイズ&ナイツIN應典院」

2006年06月21日 | Weblog
23日から25日まで石井總亙監督の初期作品を一挙に上映する。パーティもあり、大学の映画関係者を集めた講義もありの盛りだくさん企画の上に石井さんの初期作品が一挙上映される。
私も実行委員の末席をけがしながら準備に加わっているのであるが、昨日は直前ミーティングであった。A~Eのプログラムのうちの一つCプログラムが私の担当である。
24日(土)16時30分~18時10分で真中で監督とのトークがある。
内容のラフな考え方を提出すると実行委員長の秋田さんから若干の指摘があった。修正した案を本日、監督と秋田さんにメールする。
カフェをやるというのでアナログ盤を数点準備する。爆裂都市のサントラをはじめに泉谷さんの「80のバラッド」やロッカーズ、ルースターズ、スターリン、モッズ、ヒカシュー、少しは雰囲気を出せるかと思う。
しかしながら問題は人が来るかと言う事。告知も弱かったようであるし、前売りの状況も芳しくないようである。
どうかおこしくださればと思う。
お問い合わせ 06-6771-7641 シアトリカル應典院

行政のチカラ 行政のゲンカイ

2006年06月20日 | Weblog
先日の上町台地マイルドHOPEゾーンでのひとこまである。一心寺の高口長老が「まちづくり助成事業」の応募団体の制限事項に「その活動が、政治、宗教、営利を目的とするものでないこと」とある件について指摘をした。

高口長老の意見は上町台地という神社仏閣の集積地で宗教団体を排除するような欠格要項をことさらに示すことには不快感があるというものであった。大阪市住宅局の担当係長は憲法八九条に抵触する可能性があるという。協議会の会長の方から、その点は住宅局の方でよく調べてもらって文言を考えて欲しいとの要望で一応の決着を見かけたのに、蒸し返すように担当係長は「憲法八九条が・・・」と言い出す。

憲法八九条については言いたいことは山ほどある。以前このブログでもコメントに対する答えとして「行政補完計画」と題して書いた憶えがある。以下に再録する。

『私も常々疑問に思う、行政は「小さいな政府」「民間の活力」というがボランティアは行政の補完をする団体ではない。行政はいかに市民と協力して活動をすすめるかの具体的な手法を持ちえていないのが現状である。

日本国憲法第89条を御存知であるか。実に下らない。憲法改正では是非ここは改正されたい。

「公の財産の支出・利用提供の制限」

第八十九条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


こんなひどい事を憲法に書かれていることを皆さんは御存知か。
つまりボランティアに公金は使うな、公的な場所を提供するな、便宜供与するなと謳っている。

これを根拠として行政は知らん振りを決め込んでいるのかもしれない。だとすれば我々の自治を勝ち取るには拒税するしないかと思う。

行政が本当に市民の力を補完勢力に使うのであれば、金のあり方を抜きに考えてはいけない。 』

あまりに腹立たしかったので言わなくてもいいことを発言した。「ちょっと待ってよ。憲法八九条を楯に取るなら、ボランティア活動にもお金は出したら駄目になるんですよ。悪いけどあなた原文読んだことあるの。今その話を出す事ないでしょ。」

大阪市は法律を読み込むことの天才集団である。国税当局ですら煙に巻くような福利厚生を考え付くのであるから、憲法八九条の解釈やクリアーの方法など簡単に思いつくはずである。頭使えよ。前例どおりに適当に対処するなといいたい。


マイルドHOPEゾーン

2006年06月14日 | Weblog
上町台地で活動するグループの集合体としてマイルドHOPEゾーン協議会がスタートする。大阪市建設局がすすめるこの事業に一定の期待と評価はしている。しかしながら問題点も多い。高邁な理想はいいのであるが要は予算というかお金、補助金がどう活動グループに配分されていくのかということ。

どの活動グループも補助金は咽から手が出るほど欲しいとは思うが、薄く広くばら撒けば大したインパクトもなく、何一つ成果が上がらないで終わる可能性は大きい。私欲を捨てて大儀がどこにあるかを見極める必要性を説きたい。今晩は捨て身で会合に参加することにする。

人間の成熟

2006年06月13日 | Weblog
ふと気がつけば直木三十五が死んだ時と同じ年齢に達している。直木を研究しているのでよくわかるのであるが、同じ年齢だといっても明らかに私は幼く未熟である。到底太刀打ちできない大人物であるが、それを差し引いても余りあるほどに私は人間が成熟していない。

人間には寿命というものがある。平均寿命と称するものがある。今は男性で70歳代の後半であるが、大正末期や昭和初期には平均寿命は何歳であったのだろうか。仮に60歳として考えると、寿命が延びればそれだけ人間の成熟も遅れるのではないかと思う。

自分がその年齢になったからではなく明らかに今の社会全体が幼稚になっている気がする。人間が一生になすべき事の絶対量などというものは実はそれほど変わるののではないのではないか。直木三十五の43年間と私の43年間を比べるまでもなくそう感じる今日である。

裾を歩く2

2006年06月12日 | Weblog
「コリアンタウン」は鶴橋の市場とは違い非常に綺麗な商店街である。正直なところこのメインストリートに文学的なかおりは感じとれない。しかしながら日々の人の営みと成功と失敗を想像させるには十分な空気はある。とりあえず平野川を渡り今里筋を臨む。

玄月氏の作品「異物」には今里筋は「市電通り」と称される。ご存知の方も多いと思うが、大阪市内では南北の道路を「筋」東西の道路を「通り」と呼ぶが、これには面白い傾向がある。ミナミの中心部に向うとどの道路も「筋」である。「三津寺筋」、「八幡筋」、「周防町筋」ところがこれが郊外にでる通りになる。市電通り、区役所通りこれらは通称にしても「長居公園西通」は正式な名称である。

話を元に戻して、今里筋をもう一度平野川の方に戻りながら小さな道を選んで歩く。「異物」に書かれている、もう一度この町に戻ってきた子供たちが住む建売住宅がちょっとした空間を埋めている。このあと疎開道路と平野川と今里筋を何度か行き来きしながら徐々に南へと向う。人の営みとその心の深淵を反映するような町並をみながら歩く。東部市場に着いた頃にはもう日は西へ傾きかけていた。

裾を歩く

2006年06月09日 | Weblog
ゴールデンウィークに今私達が上町台地の裾と称しているまちを歩いた。
何の目的もなく(これは言葉として矛盾しているのであるが、特定の目的の場所もなく、会うべき人もなくという意味である。)半日ぶらぶらとそぞろ歩きをした。

細工谷を下る。この辺りは道路の拡張でまったく昔の面影などを感じるところが極端に消滅している。玉造筋を越えて左に折れて鶴橋の市場の中を歩く。そこかしこに闇市の姿を思わせる迷路の中は勝手知ったるよその家である。においのバームクーヘンをやり過ごして疎開道路へと出る。

疎開道路を今度は南へと歩く。ここもバブルの影響を少なからず被っている場所である。民族系同胞系の信用組合の潰れたあとがちらほらと見える。ほどなく御幸の森神社に差し掛かる。雑然とした町並みの中に静寂を感じさせる。ここから東に向かい所謂「コリアンタウン」を目指す。