ななくろん+ちびとまる

我が家で起きた出来事をかわいい動物を中心に書いていきます

みみちゃんへ・・・その1・・もう三年も経ったんだ・・・

2007年09月10日 | Weblog
突然の内容ですが・・・

三年前の今日、
みみちゃんに出会いました

中学生だった娘が
頭がぱっくり割れて
後ろ頭は毛が抜けてはげ、
膿が肩までたれている子猫を拾ってきたのです
始めは驚きました
あまりにもひどい状態でしたし
そのとき犬のろんはいましたが
猫ちゃんを飼う気持ちもなく
ただただ「え~~~」という気持ちだったのです

でも、そのままにしておくわけにもいかず
とりあえずは病院へと
ろんのかかっている獣医さんへ

「飼ってくれたら、治療代お安くしますよ」
なんて先生は笑いながら
頭の膿をしぼりだしながら7針縫いました
「本当は膿が出きってから、縫うほうがいいんですけれど
早く傷を治したほうがいいと思いますので縫いますね」
という説明でした

なにしろ、小さい
二ヶ月くらいかなということ
しかも、お腹は空っぽ
何も食べていない
先生にしたら体力をつけるということを優先させたようでした

みみはその後
もりもりとご飯を食べ
ふっくらして
傷も縫った糸が自然に抜けるくらい回復し
傷の周りのはげちゃったところにも
毛が生えてきれいになってきました

その頃には家族みんな
みみちゃんがかわいくなって
ろんもみみちゃんと遊んでいました
本当にろんがみみをかわいがっていて
傷がひどいときも舐めてあげていました
もっとも、先生には、
ろんが舐めると治りが遅くなると注意をうけていましたが・・・

これからもっとかわいくなるだろうなあと思っていた矢先
みみが突然吐いたという仕事先への娘からの連絡
そして、その日を境にみみの食欲は落ち
衰弱していきました

その間、何度も病院に行きました
夜間、休日、毎日毎日通いました
最後に下された診断は
「中枢神経の障害」
そのときに、もうだめだと思ったんです
末梢神経ならなんとかなるかも
それにたいして、中枢とは一番大事なところだと思ったからです
でも、先生は治りますよと言って
その後は、とにかくお腹に入れなければと
注射器で口に水で溶いた栄養食を流し込む強制給餌をなさいました
私にも家でするようにと一式渡されました
本当に先生は死ぬとは思っていなかったようで
それが私には不思議でした
ただ、最後、「大丈夫ですよ」の先生の言葉が
「頑張りましょう」に変わっていた・・・
内心は危ないなと思われていたのかもしれませんね

これが病院に来る最後じゃないかと思ったその夜
予感は当たり、みみは死んでしまいました
最期は痰がつまったような感じでした
人と同じですね
飲み込む力がなくなってしまうのでしょう

みみが死んで、残ったものは後悔だけ
どうせ助からないのなら
強制給餌などしたくなかった
みみはとてもつらそうだった
静かに逝かせてあげたかった
その思いだけでした

胸をかきむしるぐらいの後悔の塊になってしまった私は
みみの死を防げなかったのか、そればかりを考え始め
膿が出きってから傷をふさげばよかったんじゃないかとか
その毒素が廻って神経が侵されたんじゃないかとか
変なことばかり考えました

そして、泣いてばかりの日々
猫に触れたくて、くろを拾ってきても
1年の月日がたってもそれは変わりませんでしたが
ある日、寒い朝に倒れている子猫を拾ったとき
「みみちゃんが帰ってきてくれた」と感じたのです
それが、ななです
長毛種だから、みみとは違うんだけれど
みみと同じ金色のお目目なんです
だから、私はみみが帰ってきてくれたと思って
その日からは泣いていません

みみちゃんが我が家にいた二週間で与えてくれたもの
最初はそれがわからなかった
こんなに悲しいのなら、会いたくなかったなんて思ってしまったことも・・・
でも、今は、みみは大事な我が家の一員で
みみに会えたから、
くろがいて
なながいるんだと
思っています

そして、治らないのであれば
無理な治療はしないと
してはならないと
そんなふうに考えています







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