短詩集 「太古という未来」

俳句・短歌・川柳に次ぐ第四の短詩型文学として Maricot Tairaquas

How History is Fabricated

2016-07-31 22:40:59 | 飛び入り

Deanna Spingola - How History is Fabricated
残して取りおいた資料は、ほとんどおき場所も忘れてしまった。溜まってきてはそのままどこかに移動して、紛失してしまう。次々と溜まるので、結果的にそうなってしまう。記事にするには、ある程度の解説、内容の紹介がいるからだ。自分だけが全部読んだり見たり聞いたりしたものは、取り上げたものの、50倍くらいにはなるだろう。途中で必要がないと気づいてそのまま破棄したものも含めれば500倍を軽く超えるだろう。
とにかくまだ手元に残っている資料で、思い入れのあるものを、少しだけでもリンクの貼り付けで残しておこうと思う。
知識は深さもいるが幅の広さもいる。これなどは、日本人の興味の幅の外に出る、だろうという意味で、取りおいていたもののようだ。理解されがたい(興味を全くもたれない)、あるいは誤解されそうだと、判断したものだと思われる。
今回のDeanna Spingolaは、風邪を引いているのか、中年女性の声としても非常に聞きづらい。言ってみれば心地よくない声で、講演者の声としては点数は低い。が、私はこのひとの放送を過去にたくさん聞いて、これは大変面白い、と感じたものは数多くある。内容的に、良く調べていると感心することも多いが、このひとの必死の「しゃべり」が、誠実さと真剣さを感じさせる。つまり心に響く、放送も多い。この放送を彼女の代表作として提示するには、問題がありすぎるが、ここはひとつ、Deanna Spingola自身の紹介という意味で、リンクを貼って、残すことに決めた。記事化したい気持ちもあるが、時間がもはや無いのと、最近は衰弱のためか、からだを横たえて聞くと、すぐに眠り込んでしまう有様なのだ。内容を噛み砕いて紹介する前に、「しんどいからやめよう」とさっさと諦めてしまうことが多い。リンク貼りは、手抜きではあるが、ご了解願いたい。

G. Edward Griffin: How Socialism, Communism, Fascism are All the Same
これも最近取り置きしていたものだが、最近見つけたものなので、すぐにねむってしまいまだ聞いていない。このEdward Griffinは、私のお気に入り講演者のおそらく第2位に位置する人で、過去にも結構たくさん聞いては感心している。歯切れがいい、「しゃべり」がプロで、声も表情もよく、点数も高い超一流の磨かれた講演者だと思われる。たくさん聞いているので、若い時の顔から年老いた顔まで、たくさんたくさん見てきた。Edward Griffinの紹介として、これにリンクを貼って、ひとつ残しておきたい。

ついでながらに言うと、私のお気に入りNo.1講演者は、Antony C. Suttonである。この人の本を全部読み講演を全部聴いたわけではないが、声も良く流れも良く、視聴者に一切負担をかけないような工夫もなされている。内容が深く、聞くことによって多くの知識を授かることができる。メモを取りながら聞けば、大変勉強になったと思われるが、そこまで知恵が回らなかった。そのかわり、素晴らしいと感心した講演は何枚かCD化して残している。いつか、この記事の追記として、Antony C. Suttonの講演をひとつくらいはリンクして、このペイジに残したいと思っている。

追記:2016年4月24日
Wall Street and the rise of Hitler & communism
by Antony C Sutton
このテーマには結局手をつけることができなかった。
アメリカの有力者の多くがロシア革命
(注釈は別にされるが、実は日本も資金援助をしている
やヒトラーの台頭に資金提供(投資)したという話なのだが、
あのCharles Willoughbyもそのなかの一人
ではないかと、私的には想定しているのだけれど
まだまだ資料はどんな意味でも整頓できてはいない。
そんなわけで、これは大いに興味あるテーマなのだが
全く手を付けずじまいに終わってしまった。

追記:2016年4月26日
Tel Quel Japonには
Propaganda>PR :Edward Barneys

という非常に珍しいカテゴリーがあるが
ことのついでにばらしてしまうと
ごく一部とはいえ根源的な情報ソースは
以下の放送である。
Bruxellesが入手した多くの価値ある放送の中でも
圧倒的な特別価値があると思われるので
心ある方への置き土産に置いて行くことにします。
Spin Cycles (six-part series)


Mossack Fonseca

2016-04-14 21:57:42 | 飛び入り

The MF Group:  
Statement Regarding Recent Media Coverage:

・・・・・・・・・・・・

The Panama Papers: How the rich and famous hide their money (part 1) :
The Panama Papers: How the rich and famous hide their money (part 2) :

The Panama Papers: The Secrets Of The Super Rich - Four Corners :

・・・・・・・・・・・・

Li Ka-Shing & Li Ka-Shing :

・・・・・・・・・・・・

日本人は一般的になにがあっても
あきらめるしか対処法はないと思い込んでいるので
むしろ「そんなの当たり前だろうが」と言って
何の憤りも示さない。
憤りは躓いた弱者を集団でバッシングすることに代えて
発散しているふうなところがある。
したがって「そんなのどこがニュースなのかなあー」でお終い。


V.A.アルハンゲリスキー著 瀧澤一郎訳

2016-04-08 10:08:14 | 飛び入り

日本は正々堂々胸を張って次の十カ条を
クレムリン当局に要求すべきだ。
何故こういう発想・着眼がいつまでたっても日本人には出来なのだろうか

一.関東軍は天皇の詔勅と政府の声明に従い自発的に武器をおいた。ロシア国会はこの関東軍を捕虜にした事実を非難する決議を採択し、日本に公式謝罪する。

二.対日戦勝記念日を廃止する。そのような勝利はなかった。あったのはソ連の対日侵略行為のみである。


三.「シベリア抑留白書」を刊行する。


四.暴力的にソ連国内に拉致されたすべての日本軍の兵・士官・将官及び無辜の市民は強制抑留者であること、そこからあらゆる問題が生まれたことを認める。


五.ソ連経済復興における日本人の勤労貢献に関する公式データーを公表し、もと抑留者一人一人に賃金を全額支払い、遺族には五十倍の額を支払う。


六.すべての日本人墓地を復旧、整備し、記念碑、記念塔、死者の名を入れた墓標を建立する。できうる限り正確な死亡者数を出し、日本側に死亡者名簿を渡す。


七.おおむね日本人の手により完工されたタイシェト・ブラーツク間のバイカル・アムール鉄道は、これを日本幹線と改称する。


八.ハバロフスク裁判など類似の日本人に対する裁判は国際法上の見地から不法であり、全被告者の名誉回復を実施する。


九.プリンス・コノエ・フミタカ関連の文書をすべて公開する。元イワノヴォ第四八号ラーゲリの跡地にプリンス・コノエ記念センターを設置する。プリンス・コノエ・フミタカ露日人道基金を創設し、カーゲーベー拷問室におけるコノエの生と死の物語を一巻本として刊行し、これを映画化し、テレビ・ラジオで放送する。プリンスの殺人犯に対する国際法廷を開廷する。


十.しかるべき研究機関にシベリア抑留問題に関する基本文献たるべき研究成果を作成させ、傑出した著作・研究に対し賞金を出す。


///////P.296 & P.297 ↑ & P.302 ↓///////

末尾ではあるが、その原著者と共に訳者が本書を一掬の水と一本の線香に代えて、故国復興の人柱となって極寒のシベリアに逝った同胞(はらから)たちに捧げるのを諒とされたい。
二000年十一月(翻訳者)瀧澤一郎


///////訳者あとがき 冒頭部分抜粋 ↓//////

おどろくべき本である。歴史ミステリーという読みやすいスタイルをとりながら、門外不出のカーゲーベー機密文書がページを繰るごとに現われ、学界の定説すらひっくり返してしまう。

//////お勧め図書タイトル「プリンス近衛殺人事件」//////

参照1: 参照2: 参照3: 参照4:

//////追記:2016年4月10日//////
上にあげたどの参照にも、その他の読後感にも
完全に無視されているが、この本には以下のような記述がある。
何頁とは言わない。読んだところで、
素通りされてしまうように思われる。
興味のある方は目を皿のようにして読書されると良い。
ー1941年11月26日にハル国務長官と○○○○が作成した条件はすでに日本政府にとって受け入れ不可能でありました。その内容は記憶にありませんが、最後通牒的なものでありましたー
この筆者は当然のことながら、H.D.Whiteの正体を知らないわけではない。しかし彼は後ろで糸を引いたのであって、最終仕上げをハル長官と共に共同作業したわけではない。共同作業した人物名は○○○○の部分に書いてあるのだが、誰も注目しない。このような記述は複数回さりげなく登場している。一回のみではない。だから筆者にとっては、当然の知識なのだろう。
以下の参照を熟読・理解・記憶されておられるかたは、さもありなんと
、膝を打たれることだろう。
参照:Tel Quel Japon
日米諒解案 (2) :
この人物の背信・利敵行為はここで↑もすでに暴露されている。

日本の歴史はこのように←何もかも
松岡極悪人説をベイスに克明に整理整頓創作されている。
敗戦後の真実隠蔽史は、敗戦後の日本人がGHQと共に捏造したものなのだ。これを覆し、真実を露にすることは、残念だがもはや不可能と思われる。
せめてV.A.アルハンゲリスキー氏の当時の当たり前の視点(敗戦後の真実隠蔽史を全く必要としない視点)にこの本で触れていただきたい。

 


未読(3) 明治維新という過ち 原田伊織著

2015-10-23 12:17:27 | 飛び入り

明治維新という過ち(改定増補版) 原田伊織著 毎日ワンズ発行
第四章までざっと読み終えたが、持ち時間の関係で、
後半は文字通り(未読)本となる。


明治維新に関しては近年諸説やしっかりした証拠解明が現れているのに、誰一人まともな検証・手術解明をしない。特に武士の子孫たちの無関心ぶりには、絶望に近い失望感を持っていた。だから「明治維新という過ち」、タイトルからしてようやくの期待が持てた。しかも売れ行き良好らしい。筆者の原田伊織氏、まったく久々の力量のある大型新人の登場である。読ませる内容と読ませる情熱を感じた。

◎:P.142「明治維新とは昭和になって、極右勢力によって一般化した言葉であって、幕末の御一新のその時に使われた言葉ではない。
ぱらぱらとめくって、まずこの指摘に注目、期待できそうな本だと感じた。

◎P.136:バリケードに突入する際、彼らの投げつけてくる塩酸ビン、硫酸ビンに言いようの無い恐怖を感じた。
原田氏は私と同世代、当時を良く知っているので、どんな目にあったのか、書かれていないことまで明快に体感できる。「はじめに」のところに「止むに止まれぬ思い」とあるが、その想いには充分共感できる、そしてそういう人の存在と出会うのは、極めて稀なことだ。バリケードに突入、がどれだけ過激なことか、それを一度は行動に移したひとだと、右翼と決め付けられて、かなり痛めつけられたのではないかと。このように70年体験の挿入もあるが、これを抜きにしてはこの本も成立しないかもしれない。

◎長州テロリスト、という過激な言葉が使用され、「吉田松陰という嘘」で、この人の独自の説が展開していく。この辺は斬新で説得力もあるが、私見は差し控える。これで多数の読者を獲得した、という事実は、著者の「読ませる内容と読ませる情熱」に起因する、という感想程度に止めておく。読者各自の読後感に委ねてみたい。

◎無条件に共感を表明できるのは「司馬史観の罪」、特にP.132,彼がノモンハンで行き詰ったところの指摘だ。個人的には彼がノモンハンで何故行き詰ったか、よくわかるのだが、今はもうそれを書く時間が私には無い。「司馬史観の罪」、は一番説得力があり、この本のメインテーマのひとつだと言えよう。無条件に同感である。

 ◎未読としている第5章、二本松・会津の慟哭、は最大の展開部分で、読ませどころである。ここで「未読」の私が口を挟む必要もなかろう。ただこの記事を思い出した。
二本松と聞いて私の頭にひらめくのは、この人の存在である。

朝河貫一とOSSの日本計画
もし今後原田氏が日本の開戦、および敗戦処理に関して考察される際には、この記事と朝河貫一を外さないで頂きたい。この章とこの記事は呼応しない筈はないと、私は思っている。最近ではこの朝河正澄・貫一父子を扱った小説も登場しているようだが、原田氏には考察・検証を重ねた後で、
小説ではない形で独自の見解を切り開いていただきたい。

この本はあとがきも含め第4章以降の後半部から一気に盛り上がるのであるが、そして私は「明治維新」の再考に臨まれた原田氏に最高の賛辞を贈るものだが、
一点、もはやそれまで、とがっかりしたのも事実である。

あとがきを読んでいて、たとえばP.317には「アジア侵略」や「馬鹿げた侵略戦争へと狂騒する」等の言葉に出会った。「こりゃだめだ」と思った。ここに繋がるための「明治維新の過ち」ならば、GHQのWGIPの単なる補強にしかならない。これが「止むに止まれぬ思い」の正体ならば、捏造されたいわゆる昭和史史観に与するだけの、
従来からある薩長新政府史観と何一つ変わらない。
この方は大変日本史好きで、学校の勉強のし過ぎの、
あの時代に限定した瞬間的意味においての、
過激派保守反動に過ぎないのかもしれない。
優れた資質のある方だけに残念である。


・・・・・追記:2015年6月23日・・・・・
明治維新の見直しという意味では
こういう本も見つけた。
新説・明治維新 西鋭夫著
どちらも初めて聞く内容ではないが
本として立ち現われてきた
そういう時代になったということは好ましいことと歓迎したい。
太平洋戦争の解明にも関わってくるからだ。

西鋭夫 思考停止する日本人:

・・・・・追記:2015年7月19日・・・・・


こちらも非常に面白そう。
アマゾンのコメント欄を入れておきます。
日本人が知っておくべき
この国根幹の《重大な歴史》
出口氏には前から興味があった。
この辺りの話も決して初めて聞く内容ではない。


左から王仁三郎、頭山満、内田良平


未読(2) 昭和天皇と田島道治と吉田茂 等

2015-06-05 11:58:41 | 飛び入り

まず、未読の本でなく、昨日読了した本に関して少し引用しておきたい。
「アメリカに行った僚子」 加藤恭子著 (朝日新聞社刊)P.211より
ー外国人留学生を夕食に招待したいと、キャデラックの新車で迎えに来てくれたある婦人は、ハイウェイを郊外の住宅へ向かってとばしながら「カーで走るのは、アメリカへ来てからでしょう?日本では、何に乗っていらしたの。リキシャですか?」と聞いた。無知からきた質問だけだったら、私も腹は立てなかったかもしれない。 (中略) 怒った私の口をついて出た言葉は、以下のものであった。「第二次世界大戦を、どこの国と戦ったとお思いですか。インディアン相手の討伐ではありません。軍艦も、飛行機も、戦車も無くては戦えないのです」-
時は1953,4年の話のようだ。これが昔のまともな日本人なのだと思う。もはや絶滅種に近いのは残念である。卑屈さが無い、謝罪などの洗脳の片鱗も無い、あるのはプライドだ。「あなたのお国と堂々と戦ったのは、どこの国だとお思いですか」という、アメリカを相手に戦った祖国に対するプライドがあるだけだ。最も痛快な応対である。しかも場所はアメリカ、相手はお食事に招待しようというアメリカ婦人である。今の日本人、日本政府、日本の論壇、すべてがどれだけトチ狂っているか、最も良くわかる個所である。引用してみた。

ただこれだけでは、何の理解もしていただけないかもしれない。「今の日本人、日本政府、日本の論壇、すべてがどれだけトチ狂っているか」に強い反発を感じる方のほうが圧倒的に多いだろう。私が今の日本人、日本政府、日本の論壇、というのは、たとえば一例をあげよう。こちらの、この御3人(宮家 邦彦, 辰巳 由紀, 神保 謙)が書かれた 2015.05.15の論文をご覧あれ。以下に問題の部分を抜粋・引用する。
ーAbe delivered a speech at the US Congress on April 29 and the following is what he said and it is crystal clear: “Post war, we started out on our path bearing in mind feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that. I will uphold the views expressed by the previous prime ministers in this regard.” The day before the speech, Abe stated to President Obama as well as to the world, including his fellow conservatives in Japan, that the Abe Administration would not revise the Kono apology on comfort women.
 The fact that Shinzo Abe himself said that is significant. Now that Abe said before the U.S. Congress that he will uphold the previous prime ministers’ statements that Japanese conservative or right wing politicians may no longer be able to effectively challenge the Murayama statement. This could, hopefully and finally, contribute to the making of a minimum national consensus on history issues which is indispensable for Japan (especially for the parliamentarians in the Japanese Diet), in moving forward to start pursuing a real international reconciliation with our Asian neighbors.ー
村山談話・河野談話を継承しないことには外交など出来ない、するべきではないと堂々と述べているスパイでも工作員でもない政治論客たちの一例。プロパガンダにより、プライド喪失国家に成り果てている。上の逸話と対比して読まれたい。
おかしな虫が国民の頭の中に侵入孵化してしまっている。
何かが(捏造が)いつの間にか滑り込んで
対象が(主語も目的語も)すり替えられているのだ。

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さて未読の本を一冊紹介しておこう。(P.191 & P.193)
「昭和天皇と田島道治と吉田茂」 加藤恭子著 人文書館刊
田島道治略年譜、吉田茂とその時代略年譜、
だけでなく充実した註および参考文献一覧がついている。
書物としての完成度が高いので、虫食い頭で読むと、
理解が出来ず、発狂してわめきだすことだろう。

追記:2015年6月6日(土)
ー子供として戦争を生きた私たちの世代には、
大人たちがいてくれた。

あの頃の大人たちには、他には誰もいなかった。
天皇の名の下で始められた戦争で戦死した兵士たち
そして国内で戦い苦しんだ”当時の大人たち”にとって
天皇のこのお言葉は、大きな大きな
慰めとなったに違いない。ー(P.193)

悪用され主語と目的語が両方とも入れ替わって
とんでもない事態が発生した。文言のすり替えである。
すべては消され「過ちを繰り返さない」
の語句だけが切り抜かれ
「過ち」の意味を取り替えてあの大きな石の上に刻まれた。
してやられたのだ

そしてこんな見るも聞くも無残な歴史が捏造され
がん細胞のように今も増殖され続けている。
日本人は左も右も挙って捏造史をこそ
嬉々として抱きしめている。
何故なのだろう。

 


未読(1) 「謝罪詔勅草稿」の発見 等 

2015-06-03 17:02:26 | 飛び入り

昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見 加藤恭子著 文藝春秋社刊
先の加藤康男氏の「昭和天皇七つの謎」は、時間が無いとは言いながら、それでも3回は通して読んでいる。この本は、まだ一度も全編を通して読んでいない。
第九章「発見に至る経緯と田島をめぐる人々」はなかなか読み応えがあり、いい加減に読んではいけないという思いに至った。そういうわけで、これも今のところは時間不足で、安易に手をつけないことに決めた。

このペイジにはこのように時間の不足で、結局は読まないことに決めた、という本のタイトルや著者の名を書き留め、書き加えることにする。さて、どんなタイトルが加わっていくのやら。
すでに読了された方の感想などあれば、コメント欄にその思いを書き込んでいただけたら、とても嬉しい。ベストセラー本は一冊も並ばず、不人気本ばかりが登場する結果になると予測できるので、もし読後感の書き込みなどがあれば、ことのほか喜ぶのだけれども。

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占領期 新聞・雑誌 情報データベース
占領期雑誌記事情報データベース化プロジェクト委員会
(代表:山本武利・早稲田大学政治経済学部教授)

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昭和天皇 七つの謎 加藤康男著

2015-06-03 15:53:51 | 飛び入り

時間の関係で、この本に関しては記事を書けないまま終わるかもしれない。とにかく、書くことを一旦あきらめる。作業がきつくて書けばきっと身体を壊し死んでしまうような結果になりそうな気がするからだ。(参照の日時参照)
せめて他人の書評を紹介しようと思って、さんざん探してみたが、皆さんが遁走された結果だけが見えてきた。いやそもそも理解できなかったのかもしれない。
驚愕の著作!と吃驚されている方も中にはおられたが、それはその人の不勉強に過ぎない。すべてある程度の資料はそろっていて、加藤氏だけがその資料に敢えて手をつけられた、だから7割りがたは内容の事実認定も容易なのである。ただ加藤氏自身自制がきつくて、意外と思われるかもしれないが筆が走っていない。「参考文献」に詳細はお任せ、あとは各自自分で深く追求しろ、自分で考えてみなさい、というメッセージが読み取れないわけでもないが、誰も深い追求も、独自の発見も見出せないし、見出そうともしないだろう。

ー天皇の知らないところで木戸は共産主義者と手を結び近衛を陥れた。
迫り来る共産主義の脅威を述べた近衛上奏文を入手した木戸は、その場で都留に電話をかけて相談し、直ちに梅津参謀総長に連絡したのだ。ー
こういう小説風の描写の個所も所々にみうけられ、その辺りは非常に残念に思う。ある程度の結論を出すには、時には小説家にならざるを得ない気持ちもわからないではないが、それは致命的欠陥となる。描写が小説的、というだけでなく、木戸に関してあまりにも結論ありき、でお話が構成されている点が、
やはりここまでが限界なのかなと思わせる。

木戸と都留とノーマンと近衛のこの辺りのお話は、すでに一部の人には知られたところで、新しい考察でもなんでもない。だからすでに私も「宮中のユダは木戸だ」という何人かと出会っている。木戸と都留の関係から、何でもかんでも木戸をとっちめようとする人は、他にも私の知らないところにも沢山いるだろう。ただこの見解つまり、木戸悪人説には証拠も根拠も希薄で、唯一感情論が先走っているように思える。木戸の置かれた立場を考えると、それはありえない。いずれにせよ、誰か個人が、あるいは少数グループが、天皇陛下やGHQの意に反して、どうこう動けるわけが無い。
もしこの場合、瞬時仮に赤だったとして、木戸には「ご奉公ゆえの赤」という思いがあったのではないか。時代の、場所の空気を読んでもらいたい。
それと、やれ松岡こそが戦争責任者だ、いや近衛が共産主義者だ、木戸がユダだ、田中隆吉が国家最大の裏切り者だ、
いや全責任は東條にある、いや山本五十六だ、瀬島が鍵を握っている、などなどの個人攻撃で歴史を収めようとする考え方には、
それが誰であれ、私は与するつもりはない。
幼稚過ぎる。

ついでに追加すると、(この本はそうではないが)
たとえば軍閥の暴走やユダヤの陰謀で、
歴史を纏めようとするのも、発言者の頭に靄がかかっていて
視界不良、資料未整理の露出でしかない。
聞き手もまた具体的輪郭が一切存在しない
変数のような用語にごまかされて
(仮説のための変数としては使えるが)
ふむふむ、などと「理解したつもり」になってはいけない。

参照:WILL 2014年1月 新年超特大号
参照:WILL 「四方の海」 加藤康男 2月号追記
参照:四方の海 逆ベクトルの意味


Rudyard Kipling in Japan

2015-05-14 22:27:03 | 資料

Rudyard Kipling
Great Lives BBC Radio4:

Kipling, the ‘White Man’s Burden,’ and U.s. Imperialism
白人の責務 -- キップリング
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Rudyard Kipling
Lettres du Japon 1/5 de Rudyard Kipling
Lettres du Japon 2/5 de Rudyard Kipling
Lettres du Japon:
探していたものをようやく見つけた気がする。↓
Kipling in Japan:

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少年キム(ちくま文庫):ラードヤード・キプリング :
The Jungle B00k 1967:子供漫画映画

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ちょっと話は逸れるが↓
一外交官の見た明治維新:

ある英国外交官の明治維新 ミットフォードの回想:


今話題の玩具、こんなので遊びたい!

2015-04-24 21:36:54 | 飛び入り

ニュースネタになって初めて知った。
お手軽な玩具で、ちょっとしたテロまで可能?
それにしても小型機に乗ってる感じがつかめる。
いろんな使い方を楽しめそう、価格もお手ごろ、
DRONE,ブンブンちゃん


Stendhal Le rouge et Le noir

2015-04-12 22:43:30 | 資料


Stendhal Le rouge et Le noir
ecouter et lire  赤と黒


氷像

2015-04-03 13:44:08 | 2N世代


寒空(さむぞら)に雲とたわむる
あえかなる星影の下もと
うらぶるる幼き誠と
空虚なる中風の知恵は
ひたすらに 慰め求め
むなしきに さめざめ流る

肌を射る氷の風は
ザクザクと少女を刻み
一弓(いっきゅう)にそのデスマスク
冬枯れの梢に倒る
倒るおり にぶき音たて
父なるに帰らんとする

北風に奪わる声は
身をよじり号泣すれど
ああ、虚無の木よ 墓石のごと
応ふるは 映えわたる月

骨を折り 地を掘り 埋めて
土を食(は)む 闇の白歯(しらば)よ
わな震ふ 貧しき胸を
抱きまとふ腕も香もなく
耳穴(じけつ)より引きずり求む
神さびし命の声は
絶え絶えに現はれは消え
氷像(ひょうぞう)のひび割れを増す

夢を追い夢に流さる
感覚器とニューロンの糸
占いの破片にすがり
過ぎにしを敢えて堪ふれど
冬晴れの月の光に
時は止み 流れも絶ゆる

夏の日に人魚のごとく
海に舞ひしあの幸せは
今ここに狂魚となりて
泣き叫び物体と化す

ー  Bruxelles 18歳の作品ー
作品タイトル「氷像(ひょうぞう)」   詩集「2N世代」収録
1971年5月 発行  
凶地街社 (志摩欣也代表) 発行 凶地街叢書

///////////////////

先輩のY氏がキタの「JOJO」で「2N世代」を読んでいた。ふと隣を見ると、見知らぬ学生風の男性が、驚いたことにやはり「2N世代」を読んでいたと言う。その話を聞いて出版の持つ意味について考えさせられた。
Netに掲載することも、ある種の出版である。ただしcountが100の日は迷惑メイルも100来る世界だ。そこにいるのは「読む」読者ではなく、ほとんどが波そのもののようなSurfer達だ。波に呑まれて筆が荒れることのないよう、書く側は常に自戒しなければならない。

先に掲載した短詩「色彩空間を飛行する」は、詩集「2N世代」の目次の前に置かれた文字通りの巻頭作品であり、目次には入っていない。
他に短詩作品としては、このblogに次回から掲載予定の「傲慢な儀式」が、詩集「2N世代」に収録されている。

追記:2015年1月24日
上部は2007年11月27日の入稿。
それを今日改めて上にあげる。
昨夜、夜中に突然目覚めて
古い古い47年も前の詩作品の語句が
頭に浮かんできた。
「感想?」
ー「やっぱり冷たく寒いのは嫌だな」とー
人老いて詩精を失う、の巻。

死ぬのは嫌だと、そればかり考えていると
不安と緊張でビクビク、オドオドとしてきて息詰まるばかりだ。
それで目標を変えた。
「寒いこの冬を何とか生きて乗り越えること」に。
楽勝とは行かないまでも勝算ありだ。
何年かぶりにこのBlogを更新する余裕も生まれた。
目標のハードルを思いっきり下げたら
顔を引き攣らせずに微笑むことも出来るようになった。
もうすぐ春の足音が聞けるだろう。


L'histoire de Sayo

2014-12-04 09:14:30 | 作品の紹介

- la BD «L'histoire de sayo : une histoire vraie : le drame des japonais installées en Chine pendant la Deuxième Guerre mondiale» de Giovanni Masi et Yoshiko Watanabe-
さよの物語という漫画らしい。フランスのラジオ番組で知ったが、実物を手に取らないので、紹介まではできない。第二次世界大戦末期に満州で中国人や侵略してきたロシア人に、地獄の目にあう日本人の物語らしい。漫画の世界に詳しくないので、漫画通ならば、海外の漫画もよく知っていらっしゃるかもしれない。絵はイタリア人、原作は日本人のわたなべよしこさん。
フランスの番組はこれ、この番組の最後(46分あたりから)に取り上げられている。
参照:L'histoire de Sayoー1L'histoire de Sayo-2:

どなたか読了されたかたは感想または紹介をお願いします。


Contact Improvisation

2013-07-24 20:10:34 | 言葉と存在ー純粋抽象の極限

「言葉と存在ー純粋抽象の極限ー」を読み返してみた。
存在と言葉との分離、つまり変身論から入り、言葉からの意味の離脱を企て、さらに言葉が言葉のみで、抽象絵画があからさまな対象を捨てたように、自立するために、詩作に於ける純粋抽象を模索している。言語の身体性に言及し、所作としての言語に突き当たり、すべてを捨象し、あげく苦し紛れに唐突に「女子プロレスラーになりたい」などと書いている。極度の感動と極度の無感動を体験した後「藝術とは他者との関わりあい(直接的な)以外の何ものでもない」と思い至り、プロレスラーになるのが一番いいと、途中で横道に逸れているのだ。
ここでふと思い出したのが、Steve PaxtonのContact Improvisationだ。書いている流れとContact Improvisationとの間に発想の強い類似性を見出した。・・・
私のArt Blog: Ceci n'est pas une pipeにSteve Paxtonを最近とり上げたばかりだ。Steve Paxtonのpageにリンクをしておきますので
Contact Improvisationとは何かを、どうぞ御覧下さい。
Ceci n'est pas une pipe :
Steve Paxton & his Contact Improvisation


言葉と存在ー純粋抽象の極限 (電話)

2008-12-20 23:13:49 | 言葉と存在ー純粋抽象の極限

今日見知らぬ方からお電話をいただいた。
ー今、あなたの本を読んで、とっても面白いので電話しましたー
「どの本ですか?」
ー「言葉と存在ー純粋抽象の極限」ですー
「えぇ!それは20年位前に出したものですが、書いたのは(初出は)40年近く前のものですよ。どこで入手したのですか?」
ー京都の洋書専門の古本屋さんですー
「日本語で書いてますよ。それに本と言うより、パンフレットみたいなものですよ」
ーこれ、すごく面白いので私の宝物にしますー
「面白いって?そんな、笑うような本じゃないですよ」
ーいやほんとに面白いー
と言って何度も楽しそうに笑っておられた。

そんなに面白いのかと思って、探してみた。
ようやく思い出したが「言葉と存在ー純粋抽象の極限」は80年代に短詩集「太古という未来」(つまりこのBlogの元)とセットで昔に発表したものを、新に再編集再録再出版したものだった。他のものは思い出しているのに、この文章はすっかり忘れていた。元は昭和45年に「短詩」41号と43号に掲載されたものだ。短詩集「太古という未来」よりもずっと古くて、直接は無関係だが、私が書いたいわゆる短詩論の中のひとつだ。しかし80年代の再出版は短詩集「太古という未来」とセットだったのだ。
そこでこのBlogにも「言葉と存在ー純粋抽象の極限」というカテゴリーをひとつ加えることにした。どちらかと言うと、抽象芸術論で、割合長々と書いているので、打ち込み時間があるかどうかはわからないけれど。


9. 精神分析入門

2008-03-19 10:25:18 | 詩法・ガンゼル状態

-あなたあなたわたしにだけ語りたかった-

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 高い、巨大な樹木、雲にとどくような・立ち並ぶその向こうに裏返った太陽がある。まばらな人影が映像のように動く。ひとつの音を聞こうとする時、いつも決まってそれは「生きよ!」と告げる。私は聞きたかった。「そこには何があるのですか」と。-
 ひとつ大きなくしゃみをして、乱れた髪を整える。色づいたものがチラチラと立ち現れる。ピストルの音が響く。どこかで古典劇のような血が流れ出し、私は苦笑をこらえながら、恐るべき孤独に向かって再び駆け出していた。白みはじめる東空から、朝雨が静かに流れはじめる。

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初出
1973年7月30日発行
「文学塹壕」第3号
編集発行人:君本昌久
タイトル「詩法・ガンゼル状態」
8.精神分析入門

「文学塹壕」第3号に関して
最後の二編は
杉山平一氏の「詩と青春」
君本昌久氏の「蜘蛛の彼方で」-詩と青春-
共に日本詩壇、特に関西詩壇内部における
交遊録として貴重な資料となっている。
杉山平一氏は現在
関西詩人協会の代表をされている。
テーマ曲なのか、パッフェルベルの「カノン」
がお出迎えしてくれるSiteがある。