只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

次にくるのはつぼみの出る春ですね。

2017-03-24 08:49:33 | 日記

繰り返し述べていますが、外に音があるのでは
ないのですね。

例えば遠くで電車の通る音がすると、電車がみえなくても
多くの方が「あれは電車!」と間髪入れず理解します。

しかし事実は、耳の鼓膜が受信して知能に
瞬間に繋いだだけです。

これも繰り返し述べていますが、外の景色があるのではなく
ただ目に写っているだけですね。

例えばここに二匹の子猫がいるのですが、
それはとても可愛いらしいと思うのです。

しかし事実は、目の機能に写り知能に
瞬間に繋いだだけです。

どれも瞬間に知能に繋ぎますから、それが幻想と
わからないのです。

温泉のお風呂に入ろうとすると、もうもうと
湯気が立っています。それを見た瞬間に
「わっ、これは熱いだろう!」と思うのです。

しかし熱いも冷めてるも頭脳ではわからないのです。

本当にわかる!のは、ここで言っている“実践”しか
ないのです。

お風呂の湯に、ゆっくりと手でも足でも入れて
感知するしかないのです。

それが嘘も誠も“無い”真実ということですね。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


そういう若者が急速に増加してきた以上、早く人としての
 本質内容を明らかにして、将来の健全性を図るための対策が必要です。
 幼い時分より、礼儀正しい生活の中で美しい言葉による、
 美しい概念形成をして、美しい思考回路を発達させれば
 自然に美しい夢を抱くようになるのす。 そのような心を育む会話が
 恒常的に有れば、人として必要な礼節は自ずから身について成長するものです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
早く人としての本質内容を明らかにいくことが
大切と仰っています。

“今”の私(思考)において過去を変えることはできません。

ですからこの“今”をしっかり離さず、人としての
正しい道”を歩いていくことですね。

繰り返し述べていますが、頭の中で勝手に妄想する
「思考癖」が人としての“正しい道”を崩しているのです。

この「思考癖」を生きているうちに、
弱体化して消し去る弛まぬ“只なる実践”の継続です。

やるしかない!”この気魂が“真実”と一体化します。

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