只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日は山で弁当です

2015-12-26 09:51:49 | 日記
繰り返しですが、善悪等の相対はいとも簡単にひっくり返えります。

例えば優しい人だと思っていたのに、そんな冷たい人だとは思わなかったと
いうことが少なからずありますね。。
このように、なぜひっくり返えるのでしょうか?

100円玉を例にとりますと表と裏があります。
表だけだと偽ものです、当たり前のことですね。(笑)

「表裏一体」と言われるように、私(思考)はいい面も悪い面もあるのです。
私(思考)は「いいことだけ言う奴だな」とよく言われます。
それは反面に「悪い奴なのに」があるのです。

ですから私(思考)は、半分は「良い人」で
残りの半分は「悪い人」なのです。(笑)
ですから信用しないでくださいと言っているのです。

100円玉も表裏は均等に描いてあります。
裏が少ししか描いてないものは偽ものです。(笑)

あの人は「マザーテレサ」みたいな天使ともいえる方です、
とするとそれは化け物です。(笑)
「マザーテレサ」は天使ではなく人間です。
ですから良い面があり悪い面があるのです。


申し訳ありません、これから山に行くので途中で終わります。


只の道…淡々と歩く2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

有念も無念も徒に精神を疲れさすばかり
そのどちらも好んでも避けてもならない… 前回

  『一なるものを求めるなら
    感覚や思考さえ嫌ってはならない


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
穏やかで、ゆったりとした絶対安心を望むのなら、
好き嫌いがあってはならないのですね。
物事すべてです。

もちろん感覚や思考とて例外ではありません。
例えば“ひとつ”は“無”であり“空”であるからです。
更に“純粋そのもの”と言えます。

その“ひとつ”に感覚や思考を僅かでも入れたら
「相対」になります。
“純粋そのもの”に僅かでも汚れを入れたら
純粋ではなくなりますね。

そのためには弛まぬ“実践”が必要です。


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