只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

いつも“今”ですね。

2016-10-31 10:24:04 | 日記

【つらいは辛いです。苦しいは苦しいですね。
 辛いときに意味付けするから辛いのです。
 苦しいも思考が働くからです。】


思考しなければ…、無意識であれば…、
只であれば生きている、死んでいるはありません。

思考があるから…、意識があるから…、只にいないから
生きているとわかるのです。

そして苦悩等も創作できるのです。もちろん楽しさも味わえるのです。
この様な仕組みになっているのですから、
深刻に考えないことですね。(笑)

“只なる実践”は真実への道で、
私(思考)は只の道とも言っています。

これから述べることは信じないで、ご自身で
体得する以外、他に有りません。

自分の中の頭脳が創り出すものを、
事実としているのが幻想世界です。

自分が死んでいることは
私(思考)にはまったくわかりません。

そして死ぬことは怖いと私(思考)は言っているのですね。
これは自分の中の頭脳が創り出したものに怯えているのです。

猫や犬が死ぬことに、怯えているところを
見たことありませんし、生きていることは楽しいと
していることもありません。(笑)

ですから生死無く只、生きているのですね。
総合的に観ると、地球上のすべての生物が
生死無く只、生きていることになります。

唯一、人間が頭脳を与えられて苦楽を知り、
それを超越して“空”であり“無”であり
“神仏”そのものであることを体得するようになっているのですね。

ですから体得できるまで思考癖を
ひたすら落とすのみです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『本当に徹するには、自己を忘じ切らねばなりません。
   即今底の参究を怠らぬことです。善悪を超えたとき、
    真に善悪を用い尽くすことが出来るのです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
本当に実感できるには私(思考)を忘れきることと
言われています。

ですから私(思考)の入る余地のない“今、只”の
“実践”をやり続けるのです。

そうすることによって私(思考)を超越でき、
善悪の無い“真の善”が現れるのです。

ぜひともそこまで辿り着き、お気楽な“絶対安心”の
境地でお過ごし下さい。