只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

爽やかな日和で気持ちいいです。

2016-10-30 10:49:38 | 日記
乗用タイプの草刈機で活躍して帰ってきました。
お遊び感覚で乗って動かしますから、仕事も楽しいですよ~♪




【只は只、身体は身体、猫は猫ですね。
 そこに何の理由も意味もありません。
 意味付けをするのが私(思考)です。】


繰り返し述べますが 心配、苦悩等を創っているのは
「思考」という「自我」だと「過去の記憶」だと、
はっきり“自覚”して離れていけば心配、苦悩等が消えていきます。

ここで言う、離れていくというのは、自己心を
忘じていくということです。

「自己心」は自分に成りきっている心ですから
「自己中心」とも言えますね。

そして苦悩、心配を無くそうとすると、
必ず無くせない現実に出会います。
それは無くそうとする「自我」であり、「過去の自分」です。

そして自我は、苦悩、心配を無くせない自分を責めたりして、
自分はダメだと自己否定に陥り、「無縄自縛」して苦しむということです。

「無縄自縛」は文字のとおり、無い縄で心を縛ることで
在りえない事ですが悩み苦しむのです。

「過去の自分」は幻想で“今”にいないのです。
“今”は“真実”ですから、思考が入る余地はまったくありません。
ですから「過去の記憶」は幻想だと“自覚”すればいいのです。

そうすれば幻想で苦悩する、不安になる、心配になる
必要はまったくありません。

しかし、それでも「在る」としている人は
「過去の記憶」からまだ脱出してないことです。
まだ“自覚”が足らないということですね。

弛まぬ“只なる実践”を徹底的にやることです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『知性的理性的に判断したように見えて実は底辺に於いて
  これらが意識を動かしているのです。やはり過去世の業障が残っており、
    自己中心の理屈を用意して他と対立するのです。
  それができるからこそ生きる術として戦争も出来るのです。
  本当に「今」に生まれきり、本当に過去の業障を脱しきるしかないのです。
      本当に徹して「只」に至ることです。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“純粋意識”は“一心”であり“無心”です。

過去世の業障は意識を動かし自己中心的になるのです。
それが強大な力を持つ「思考自我」ですから、
1秒後の過去世の業障を落としきり“今”に目覚めるのです。

それには「思考自我」が寄り付けない“只の世界”に、
奥深く入っていくしかありません。

ですから弛まぬ“只なる実践”です。