「新しい人」コリント人への第二の手紙5章17節
(口語) 「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」
(NIV) Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation;
the old has gone, the new has come!
Ⅰ)「キリストにあるならば」新しくされる。
「キリストにある」は、「in Christ」(,新共同訳)「キリストと結ばれる人」は「新しく創造された人」。/「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15:5)/「我がまま」だった自分が一度切られて、新たに「イエス・キリスト」の幹に結ばれる。そこから、キリストにある新しい自分が始まる。<参考>ガラテヤ2:19,20 その人は「new creation」された人。創世記1章で神様が人を創造されたように、新創造された人。神様が天地創造された時と同じ様に、人が新しくされることは、神の御業。「すべてこれらのことは、神から出ている。」(18)
Ⅱ)「古きは過ぎ去り」すべてが新しくされる。
蝉の生まれかわる時の様に、古い皮は剥がれ、新しい命が誕生する。ヨハネ3章で、イエス・キリストは訪問者ニコデモに「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(3)と告げられた。/土の中にいた蝉の幼虫にとって必要とされていた土から与えられていたものは無用となり、空中を飛び交う蝉には樹木の樹液が必要になるように、霊なるキリストに接ぎ木され(結ばれた)人にとって、霊なる食物(み言葉の糧、聖霊の乳、礼拝のめぐみ等)こそ必要。注意しなければならないことは、接ぎ木された枝は、しっかりと元木と一つとなるまで、繋がり続け、丁度、安定した家庭生活が、安定した人格を育てるように、日々キリストに繋がって、キリストのめぐみの中で育てられ日々新しくされることこそ重要。(キリスト共に住む生活を固めることの大切さ)
Ⅲ)新しい人の新しい生き方
それは、「和解の務め」(18,19)に生きる「キリストの使者」(20)。使徒パウロは、「最早われ生くるにあらず、キリストが我が内に在りて生くるなり」(ガラテヤ2:20)とも言った。