昔、私が子どもだった頃、
兄がどこからか
「友人から譲り受けた」と言って、
クラリネットを貧しい我が家に持ち込んできた。
キイキイと鳴る音にヘキヘキしながら、
私は、兄はチンドン屋のアルバイトでもするのだろうか?
と思っていた。
その頃の私は、クラリネットと言えば、
商店街の広告を配りながら、
時代劇の衣装をつけて、
吹きつつ、踊りながら数名でチラシを配る人達のことしか
イメ――ジできなかった。
中学生になって友達の一人が、
お琴や、バイオリンや、ピアノを習っていて、
ピアノのレッスンに見学に行ったのがきっかけで、
少し、ピアノを習ったものの、
その先生はなぜか私をその先生の弟子の一人に回してしまった。
後になって、その先生は私の故郷においては、
その地の音楽世界をリードしている著名なお方であることを知ったが、
私のピアノのレッスンは、
次の先生もまた、
私への期待度は薄く、
もともと長続きしない性格だったので、
暫くして止めた。
正直、
ピアノは私には、
弾くことにおいても、聞くことにおいても
無縁の長物、子守歌のような存在だった。
音楽といえば、
学校の授業と、紅白歌合戦以上のものを知らない環境で私は育った。
やがて、私は、その土地の保育所の保育士になり、
8年ほど勤めて、
神戸の神学校へ。
そして、牧師になった。
50代の頃奉仕をしていた教会の先輩の牧師の娘さんが
ヨーロッパ留学を終えて、ピアニストとしてプロ入りすることになった。
はからずもその教会には小さなコンサートホールのような、
多目的ホールもあったことから、
その方のピアノコンサートが年々開かれることになり、
私はピアノの音を耳にすることが多くなった。
鍵盤をたたきつけるかのような豪快な響き、
光が零れ落ちてくるような繊細な自然の生き使いがピアノから流れた。
それが誰の曲であるか、
題さえもわからなかったが、
心が震えた。
特に、心の震源に触れていたのが、
ベートーベンの「月光」であったり、
はたまたショパンの曲であることが
最近になってわかってきたような次第。
6年前に長崎に来た。
したいことが数ある中で、
最初に試みたのが、
福岡で行われた、フジコ・ヘミングのピアノコンサートだった。
ある時カーラジオから、
超未来もののSFが朗読されていた。
その世界に於いて、
人は名前で呼ばれず、ひとりひとりにマイクロチップが埋め込まれ、
番号で呼ばれていた。
音楽など、人の心を潤す芸術的なものは厳しく禁止され、
段々と人間は一部の権力者のロボットと化されていっていた。
そうした世界の中にあっても、
マイクロチップを埋められることから逃れている人もいて、
彼らは表面では、ロボット化されたように振る舞っていたが、
内側はまだまだ人間らしい感性を失っていなかった。
その中の一人の主婦が、
ある日掃除をしながら、
「ああ、コンサートホールでブラームスが聞きたいワ!」
と、心の中で叫ぶのである。
最近の私はトミに、「ああ、美しい音楽が聞きたい!!」と、
心が叫んでいた。
そんな、時、添付させて頂いコンサートがあることを新聞で知った。
けれど、それは土曜日。
土曜日は牧師にとっては、日曜奉仕への特に大切な日。
私は神様に、
「日曜日の備えができれば、行かせください」
と、祈りつつ、一つ一つの備えの奉仕を行っていた。
幸いにも、3時頃、ほぼ日曜への備えの見通しができ、
コンサートの始まりは4時だと思い込んでいた私は、
3時過ぎに車を、会場の26聖人教会方面へ走らせた。
途中で有料駐車場に車を置き、
さらに電車。電車の中では、時間との格闘。
4時10分を超過。
途中入場はお断りだったらどうしよう。
その時には、平に頼み込むほかない、などと思いつつ、
26聖人が殉教のために歩いたはずの西坂の坂を駆け上った。
ハーハ―と息を切らせて玄関を入ると、
「4時開場、4時半開演」あった。
複雑な気持ちを抱えながら、
ともかく、間に合ったのだから良かった、と自分に言い聞かせつつ
まだまだ席があいている中、
後ろの席に腰を下ろした。
丁度、遠藤周作の「沈黙」が映画化され、
キリシタン迫害に大きな関心が高まる中、
その迫害の血の上に立てられた教会で、
「祈りの島」という創作されたばかりの新曲が
バイオリンのソロりストによって、今、まさに披露されようとしていた。
そのバイオリンの音色をあれこれ思い描きつつ、
私の期待も高まっていった。
ところが、期待が高まるのと平行して、
私の脳裏に、
1時間ほど前に家をでたときに、
ストーブの上にやかんをかけたままで、
火を消した記憶がないことが思い浮かばれてきた。
その思いは、始め小さく、漠としたものだったが、
だんだんと大きくなり、それは確かな確信のようになっていった。
演奏中に席をたつことほど失礼なことはない。
やかんの水はあと、1時間もすればなくなるだろう・・・
と、思うと、開演数分を前にして、
その席を退去せざるを得ない。
その時の胸の内を、誰かに話さないではおれない気持ち、
わかっていただけますか。
「神様にみ赦しをいただいた、」と、思ったんだけどナ・・・
と思ったり、
自分の不手際を嘆いたり・・・
今わたしはブログを通して、
世界に向かって、あの時の無念な気持ちを訴えている。
そうしつつも、
その無念さがだんだんと薄れていっていることにも気づいてきている。
それがまた、無念でならない。
・・・それで、ストーブは?って、