長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

”The 音楽”

2017-02-20 09:21:00 | 自然、芸術




昔、私が子どもだった頃、
兄がどこからか
「友人から譲り受けた」と言って、
クラリネットを貧しい我が家に持ち込んできた。

キイキイと鳴る音にヘキヘキしながら、
私は、兄はチンドン屋のアルバイトでもするのだろうか?
と思っていた。
その頃の私は、クラリネットと言えば、
商店街の広告を配りながら、
時代劇の衣装をつけて、
吹きつつ、踊りながら数名でチラシを配る人達のことしか
イメ――ジできなかった。


中学生になって友達の一人が、
お琴や、バイオリンや、ピアノを習っていて、
ピアノのレッスンに見学に行ったのがきっかけで、
少し、ピアノを習ったものの、
その先生はなぜか私をその先生の弟子の一人に回してしまった。
後になって、その先生は私の故郷においては、
その地の音楽世界をリードしている著名なお方であることを知ったが、
私のピアノのレッスンは、
次の先生もまた、
私への期待度は薄く、
もともと長続きしない性格だったので、
暫くして止めた。
正直、
ピアノは私には、
弾くことにおいても、聞くことにおいても
無縁の長物、子守歌のような存在だった。
音楽といえば、
学校の授業と、紅白歌合戦以上のものを知らない環境で私は育った。


やがて、私は、その土地の保育所の保育士になり、
8年ほど勤めて、
神戸の神学校へ。
そして、牧師になった。

50代の頃奉仕をしていた教会の先輩の牧師の娘さんが
ヨーロッパ留学を終えて、ピアニストとしてプロ入りすることになった。
はからずもその教会には小さなコンサートホールのような、
多目的ホールもあったことから、
その方のピアノコンサートが年々開かれることになり、
私はピアノの音を耳にすることが多くなった。

鍵盤をたたきつけるかのような豪快な響き、
光が零れ落ちてくるような繊細な自然の生き使いがピアノから流れた。
それが誰の曲であるか、
題さえもわからなかったが、
心が震えた。
特に、心の震源に触れていたのが、
ベートーベンの「月光」であったり、
はたまたショパンの曲であることが
最近になってわかってきたような次第。

6年前に長崎に来た。
したいことが数ある中で、
最初に試みたのが、
福岡で行われた、フジコ・ヘミングのピアノコンサートだった。


ある時カーラジオから、
超未来もののSFが朗読されていた。
その世界に於いて、
人は名前で呼ばれず、ひとりひとりにマイクロチップが埋め込まれ、
番号で呼ばれていた。
音楽など、人の心を潤す芸術的なものは厳しく禁止され、
段々と人間は一部の権力者のロボットと化されていっていた。
そうした世界の中にあっても、
マイクロチップを埋められることから逃れている人もいて、
彼らは表面では、ロボット化されたように振る舞っていたが、
内側はまだまだ人間らしい感性を失っていなかった。
その中の一人の主婦が、
ある日掃除をしながら、
「ああ、コンサートホールでブラームスが聞きたいワ!」
と、心の中で叫ぶのである。

最近の私はトミに、「ああ、美しい音楽が聞きたい!!」と、
心が叫んでいた。
そんな、時、添付させて頂いコンサートがあることを新聞で知った。
けれど、それは土曜日。
土曜日は牧師にとっては、日曜奉仕への特に大切な日。

私は神様に、
「日曜日の備えができれば、行かせください」
と、祈りつつ、一つ一つの備えの奉仕を行っていた。
幸いにも、3時頃、ほぼ日曜への備えの見通しができ、
コンサートの始まりは4時だと思い込んでいた私は、
3時過ぎに車を、会場の26聖人教会方面へ走らせた。
途中で有料駐車場に車を置き、
さらに電車。電車の中では、時間との格闘。
4時10分を超過。
途中入場はお断りだったらどうしよう。
その時には、平に頼み込むほかない、などと思いつつ、
26聖人が殉教のために歩いたはずの西坂の坂を駆け上った。
ハーハ―と息を切らせて玄関を入ると、
「4時開場、4時半開演」あった。
複雑な気持ちを抱えながら、
ともかく、間に合ったのだから良かった、と自分に言い聞かせつつ
まだまだ席があいている中、
後ろの席に腰を下ろした。

丁度、遠藤周作の「沈黙」が映画化され、
キリシタン迫害に大きな関心が高まる中、
その迫害の血の上に立てられた教会で、
「祈りの島」という創作されたばかりの新曲が
バイオリンのソロりストによって、今、まさに披露されようとしていた。
そのバイオリンの音色をあれこれ思い描きつつ、
私の期待も高まっていった。

ところが、期待が高まるのと平行して、
私の脳裏に、
1時間ほど前に家をでたときに、
ストーブの上にやかんをかけたままで、
火を消した記憶がないことが思い浮かばれてきた。
その思いは、始め小さく、漠としたものだったが、
だんだんと大きくなり、それは確かな確信のようになっていった。

演奏中に席をたつことほど失礼なことはない。
やかんの水はあと、1時間もすればなくなるだろう・・・
と、思うと、開演数分を前にして、
その席を退去せざるを得ない。

その時の胸の内を、誰かに話さないではおれない気持ち、
わかっていただけますか。
「神様にみ赦しをいただいた、」と、思ったんだけどナ・・・
と思ったり、
自分の不手際を嘆いたり・・・

今わたしはブログを通して、
世界に向かって、あの時の無念な気持ちを訴えている。
そうしつつも、
その無念さがだんだんと薄れていっていることにも気づいてきている。
それがまた、無念でならない。

・・・それで、ストーブは?って、











春の足音が・・・

2017-02-15 16:05:26 | ひつじかい日記(2)




    🌸


2017年2月11日(土)

さむ~い一日、
粉雪が舞って、ふぶいている。
去年の今日ごろだった、
長崎が大雪に見舞われたのは。

お昼前、数分向こうのイオンでコピーをするために
雪の中歩いていると、
道路の真ん中で、大きな荷物と共に、
2人の若い女の人がたたずんでいる。
「どうされましたか?」と声をかけると、
ナント、
今日から2日間「めぐみの家」で宿泊される
上海と香港から来ている留学生ではないか。
雪の中で、しばし休息しているそうだ。

お部屋はすぐファンヒーターがつくようになっているからと伝え、
イオンでの用事を済ませて戻ってみると、
彼らは、
1Fのストーブのないさむ~い部屋でまあるくなっている。
一週間前に彼らのお部屋もご案内していたのだが・・・
説明の仕方がまずかったのかもしれないと反省もしたが、、、

それだけではない、
食事をすませて、さいごの買い物に出た二人から
ラインが入った。
車で15~20分ほどのところにある
「ドン・キホーテに向かって今歩いている。」
ということだ。

ともかく、
彼らは強靭だ!
日本人の弱体化した体力とはくらべものにならないほど、
スゴイ!


12日(日)

夕方、
以前教会に来ていた留学生の1人からラインが入った。
良い時だったので、夕食に誘ったら快く来てくださった。
やはり、中国からの留学生の方だが、
彼女の親戚がお茶を出荷しているとのことで、
良質の鉄観音とお紅茶が一緒に届いた。

日本さいごのメニューは「おもち」と言う希望もあって、
日本風に、焼きもちにたこ焼き、生ジュースなどを添えた。
(写真は最後の自撮りtime)
留学生の人たちは自撮りが好きそうだ。


13日(月)

ここ数日の寒さと打って変わって、
今日は暖かい。
朝から春の予感に包まれている。

パンケーキで朝食を済ませて、
2人の留学生を駅まで送る。
1人は空港行の🚌。
また、1人は今日中に福岡の宿まで行けば良いとのことだったので、
慰労を兼ねて予定していた食事付き温泉にお誘いした。

話すこともあまりなく、
ジ――とそれぞれでお湯につかり、
30種類からのバイキングメニューを一つ一つたいらげていった。
食べることに没頭し、
のんびりと癒しの時間を楽しんでいると、
彼女はたどたどしい日本語で、
香港での周辺の出来事を話してくださった。

一瞬、
娘と一緒に温泉に来たかのような気持ちになった。
神さまが一人年往く者に、
慰めのひと時を用意してくださったのかもしれない。

帰るなり、
連絡ノートを開いてみると、
「ありがとう」
の字が飛び込んできて、
チョットだけ涙ぐんでしまった。


14日(火)

長崎は今ミカンが美味しい。
あまりおいしいので、
ツイツイ単身宣教に身を投じている同労者に
ミカンを送った。
長崎は関西方面でも+1日かかることがあるので、
東北だといったいいつ着くことやら。

15日(水)

午前祈祷会
聖書箇所はイエス様が、自分を裏ぎろうとしているユダに向かって、
「しようとしていることを、今すぐするがよい」と仰られたヨハネ13章。
「こんなつらい役をなぜ弟子の一人にさせられたのだろう?」
「パリサイ人や律法学者でもよかったのでは、」
という姉妹もいて、「本当にそうだ、」とつくづく思った。
計らずも、「沈黙」の映画がブレイクしていて、
裏切り者キチジローと、転んだパードレーの心境に思い馳せた。
共に、誰も人を裁くことはできないと話し合った。














雪降る朝も

2017-02-10 23:49:13 | ひつじかい日記(2)

     
     👣
       
      👣


2017年2月5日(日)からの一週間

        👣
 
とうとう今日で、3人の留学生を送別。
起きるなり、炊飯器にスイッチ。
M夫妻が届けてくださった、
オーガニックライスを使用。
錦糸卵に二種類の紅ショウガ、フキと菜の花と青葉で春をイメージする。

デザートはM家から
立派なお抹茶とお菓子が用意され、
お寿司以上に華やぎを添えて下さった。

一人一人がお別れのことばを言い合う。
送る側も送られる側も、
ささやかだけど、
心が込められていたと思う。


(携帯を片手に、自撮りモードで「入りましたか、写しますヨ~」の一コマ)

夜、一人になり、
送別会をした後の、
いつもの寂しさが心に忍びよる。
「出会いと別れ、これが人生なんだ」と、
自分に言い聞かす。


2月6日(月)

昨日のお寿司の材料が残っていたので、
急遽思い立って、
再びお寿司づくりをして、
ご近所他、に配った。
「美味しかった」の言葉が反ってきて、
嬉しか。


7日(火)

お寿司効果で、
一家族のお礼訪問客があり、
アメージング!
祈りの中にあった方々だけに、感謝ヒトシオ!!
こういうこともアルンダね、


8日(水)

朝、聖書研究祈り会
ヨハネ13章1-20節から、
ユダの存在について考えるも、
本当のところは、
ユダについての神のみ旨は皆目、理解できない。
理解できないことを、無理やり理解するよりも、
時をおいて、神様が個人的にでも、理解を与えて下さる時を待つ方が、
真の理解を得られるかもしれない。

🌸

夜、聖書研究祈り会
リック・ウオーレンの「人生を導く5つの目的」
第3章から。
小さなテーブルを5人で囲んでいると、
一瞬、闇夜に光が差し込む思いがした。


9日(木)

午後の家庭集会のために、祈りつつ思い巡らしたいると、
「金持ちとラザロ」の箇所を思い出し、
簡略に話せるように準備して出かけると、
大変喜ばれた。
「神さまは金持ちも、貧乏な人も造られた。
どちらにしても、
み旨に沿って、
今生かされている世界で、
沢山もっている人はもっていない人に分け与え、
たとえ、貧しさの中にいる人がいても、
全ては次の世界で総決算の時が待っている。
今見ている世界だけが世界ではない。」
と、語りつつ、
私自身が教えられていた。


(家庭集会を終えて、帰路、出島の「浜勝」で遅めのランチ。お気に入りの窓辺から長崎港を見つつ)



10日(金)

朝、目をさますと、辺りは、予報通りうっすら雪化粧。
近頃ゴミ出しと共に、
側の公園でランニングをしているが、
私がゴミを持って歩くにつれて雪が止んだので、
昨日同様、公園での15分ほどのランニングを終えて、
家に帰るとまた雪が降りだしたンダ。
まるで、天地を造られた神様と、
一瞬、一心同体になったような気がしたヨ。









遠藤周作「沈黙」から

2017-02-03 16:17:44 | 読書


 司祭は足をあげた。
足に鈍い重い痛みを感じた。
それは形だけのことではなかった。
自分は今、自分の生涯で最も美しいと思ってきたもの、
最も聖らかと信じたもの、
最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。
この足の痛み。
その時、踏むがいい銅板のあの人は司祭に向かって言った。
踏むがいい。
お前の足の痛み。
その時、踏むがいいと、銅板のあの人は司祭にむかって言った。
踏むがいい。
お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。
踏むがいい。
私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、
お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
 こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。
鶏が遠くで鳴いていた。

-「沈黙」p268