長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

大雨の音がする

2016-06-30 01:24:35 | ひつじかい日記(2)


(長崎外国語大学チャペル会場、ホール講壇)

2016年6月26日(日)

9時半第一礼拝開始前、
ひとりの女学生がそっと礼拝堂に入られる。
「今日は何もなかったので来ました。よかったのでしょうか?」
「良いに決まっていますトモ!!」
続いて、またひとり入ってこられた。
おおいに感謝!!

先週一週間長雨の中で猛練習をしたゴスペルで賛美礼拝をする。
いつもはあまり声を出さない彼らも今日ばかりはきれいな声が礼拝堂に響く。
曲は「今こそキリストの愛に応えて」
一週間でこの曲のコード伴奏をマスターした自分に驚くばかり。
神様のみ業としか思えない。

午後2時、
アロマの会の人が6,7名ほど、めぐみの家を訪れる。
代表のO氏以外は全て初対面の方々だったが、
ナチュラルなアロマの香が漂うような方々ばかりだった。
彼らはここでナチュラルな香を使ったお菓子を作られるのだそうだ。

4時、
いつもの病院礼拝へ。
帰ると冷蔵庫の中に自然アロマ入りの手作りデザートセットが置かれていた。
カップケーキの美味しさは天下一品、極上ものだった^^V


27日(月)雨

G&Gセミナーのチョン・ビルド先生のテープを聞きながら、
めぐみの家のカーテンの補正を行う。
鹿児島めぐみ教会が旧礼拝堂で使っていたものをドッサリ送ってくださったので、
丈を補正して使うことにした。
綺麗なグリーンのカーテンにくるまれて全てのお部屋がきれいになった。

さて、雨の一日、テープを聞きながら、
終極私たち牧師の働きは、牧師が真に献身しているかどうかが問われているように思えた。
メッセージの中で、
「大切なことは、神様が止めなさいと言われたらすぐに手にしたものを下におくかどうかです」
と言うところで、
「全てのことは許されているが、全てのことが益になるわけではない」
というみことばが私の脳裏を駆け巡った。
映画の好きな私に神様が、「今それを手から離しなさい」と言われているように思えて、
今をもって、好きな映画鑑賞を手から放して下に置くことにした。



28日(火)

7時、ギデオンの朝祷会に出席。
カトリック、プロテスタント合流であり、
長崎のキリスト教会の流れをそこに見る思いしきりで、
お祈りしていると言うよりも、お祈りのことばを唱えているように思えて仕方がない。
トモカク、一人孤立は良くないと思い、この長崎の地でできることは何でもしてゆきたいと心がけている。


29日(水)


午前10時少し前、私は外国語大学のチャペルのメッセージの原稿書きに取り組んでいた。
あたりが暗く時計の針が見えにくい。
気が付くと、豪雨。
今日はチャペルの御用の時間の関係で祈り会は10時だったことを思い出し、
豪雨の中でも出席されるだろう一人の姉妹のことが気になり、あわてて階段を駆け下りて、
携帯をしながら車を出す準備をした。
スゴ―――イ雨足。
「あの大雪の時でさえ笑顔で礼拝に来られた方だから連絡がないのは来られるサインに違いない」と思っていると、
「10分くらい遅れます」のメールが入った。
良いタイミングでバス停で姉妹をget!

ともかくスゴイ雨の中で聖書研究祈り会は始められ、
いつ雨が止んだかさえわからないうちに祈祷会も終了。
「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
自分自身で親しく聞いて、この人こそまことの世の救主であることが、わかったからである」(ヨハネ4:42)
このみ言葉に二人の心は留まった。

続いて道の尾軽油で外国語大学へ。
顔見知りの学生が数名遠くから笑顔で、
先日礼拝に出席された学生が講壇真下まで来てくださって挨拶してくださった。
説教題は、「二つの渇き」
ナルニア物語にでてくる次男のエドモンドが雪の女王からもらった、食べるととたんに飢餓感に襲われるというお菓子の話と、
説教前に宗教主任の教授から教わったwelling up を対比させつつ話した。
目の前にいる若い人たちが、本当に大切なことに気が付いて欲しいと願うばかり。

「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう。」
ヨハネ福音書4:13.14

魂の渇きを満たす水がここにあります。







必要は満たされる

2016-06-25 12:04:10 | ひつじかい日記(2)
              




ひつじかい日記


2016年6月20日(月)

7月にヨーロッパからの留学生二人
「めぐみの家」にホームスティ客として受け入れることになった。
まだまだ不揃なため、まずは、備品調達活動が開始。

ブログや教会週報に、冷蔵庫、洗濯機の提供者を募集。
反応なし。いや、一件あった。
それは、インターネットの「あげます、売ります」といったサイトの情報紹介。
ともかく、予備のお金というものがないので、安価に入手できるならばと、身分証明書まで登録をして、
長崎方面の情報を待つも、空振りに。

ところが、15日(水)お祈り会の後、教会役員と連れなって2人でリサイクルショップ廻りをしたところ、
素敵な冷蔵庫とテーブルセットを発見。
占めて22000円。チョットイタカッタかったが、めぐみの家のキッチンにピッタリのシロモノ、
それを見るなり二人の意見は一致して揺れず、買うことになかった。
しかし、送料だけで4000かかるという。
それは痛すぎる。
今月いっぱいまで置かせて頂き、ともかく運んでくださる方を祈って待つことにした。

その日は、洗濯機は80パーセント諦めていた。
しかし、祈りの中では違っていた。
翌日、朝の祈りを終えて、家庭集会に出発しようと玄関を開けると一人の方が立っていた。
そして言われた。
「実は、これからリサイクルショップにガラスの座卓テーブルをもって行こうとしているのだが、
ここで使われないか」、というのだ。

私は座卓テーブル以上に、
リサイクルと言うならば、その車がもし冷蔵庫を立てても入る車ならば、置かせて頂いている冷蔵庫を持って帰って頂きたいと、
オウム返しにお尋ねした。
その方は、大きい方のライトバンならば運べると思うのでお父さんに頼みましょうと快く言われただけでなく、
ステキな和室にピッタリのその座卓テーブルも下さったうえに、
場所ふさがりだった2点の雑貨も引きっとってリサイクルへもって行って下さった。





その方はご近所の方で、クリスチャンではありませんが、
日ごろ非常によく助けて下さる方で、
その方ご自身、「私はもしかすると、神様に呼ばれてきたのかもしれません」と、
冗談交えに話されたが、実際神様が送ってくださったと、確信している。

ナント、翌日、そのご夫婦は、一時間ほど遠くの夫人のご実家まで行って、
洗濯機までもって来てくださったのですから。





その様な中で、
今日の月曜日はさらに、
必要備品を求めて、
迷うことなくリサイクルショップ巡りをした。

21日(火)

長崎地区のギデオン朝祷会へチョット遅れて出席。
カトリック教会の神父様方とも合流。

今日は余念なく、
めぐみの家の整備に集中!!
だんだんと美しく変貌してゆく「めぐみの家」


22日(水)

午前
聖書研究と祈り会

大雨注意報が聞かれる中、
一人の姉妹が出席。
5年たった今頃になって、
神さまが深い愛のみ旨の中でその姉妹の人生を一歩一歩導かれている様を伺うことができて、
深い畏敬の念を抱く。

23日(木)

天候を理由に、
静まりの時、
めぐみの家の整備にも余念なく過ごす。

さらに、現在、ゴスペルのコード伴奏に挑戦中!!

24日(金)

午前、
お礼状などカード書きに専念!

ごご、
遠方訪問。
イエス様と出会ってほしい!!
と願いつつ
往復2時間車を走らす。



聖霊の導きとキリスト者の歩み

2016-06-19 16:17:32 | 説教メモ
「キリストと共に歩む」 ガラテヤ5:16-26

先週はヨハネ福音書3章からニコデモとイエス様の問答を通して、「新生」について語らせて頂きました。
そのメッセージの中で、非常に神の恵みに飢え渇いて礼拝に訪れた一人の若者が「新生」のめぐみに与りました。その方は礼拝出席以前すでに、人間の心の力の限界を感じていました。その方を取り巻く人たちへ失望。そして、誰よりも自分自身に対して絶望的な思いを抱いて礼拝に訪れたのです。

その様な背景については知らないまま、牧師はただ用意された説教を自分の証を交えつつ話しました。内容は、キリストに出会う以前の自分は自分でも良い人だと思い、またそのように振る舞っていたこと。しかし、誰も知らない心の奥深い部分では、他人の不幸に安堵している別の自分がいたことを初めて認めた時のことです。礼拝の中でその姉妹は「自分にも同じものがあると思った。その汚い心を認めた時に心の中に静かな平安が訪れた」と、めぐみを噛みしめる様に話されました。それだけでなく、「多くの人は同様の思いに苦しめられている。このことを教えたい」と、訥々と短いことばで心境を語られたのです。ヨハネ3章に置いても、人が新しく生まれ変わることについて理解できないでいるニコデモにイエス様は、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである。」(ヨハネ3:8)と語られましたが、まさに聖霊のの風はこの姉妹の心の中を吹き抜けたのです。        

昨日再び来会され、「罪に支配されてきた全人類の罪がキリストの十字架の死と共に死に渡されたこと。今抱いておられる心の平安は、罪の木から切断されて、キリストご自身である幹に繋がれたので、キリストご自身からきている聖霊によるもので、新生の結果得ている実に他ならない」とお伝えしました。姉妹もまた、「このような安らかさは、今まで似たようなものはあったかもしれませんが、実際は、初めて体験したものです」とご自分のことばで話されました。

「キリスト者の品格」とは、この出発点を通過した者が、もはや自分の利益の為に生きるのでなく、神の栄光と他者の祝福の為に、自らを投げ出して生きる生き方に他なりません(マルコ12:30,31)。神のみ前に我欲中心だった自らを投げ出した者に神は責任をもって聖霊の導きをお与え下さり、その導きに従ってゆく中に築かれる実「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」、これこそ真のキリスト者の品格に他なりません。
「もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もう」(24)ではありませんか。


新しい命が芽生える時

2016-06-12 15:39:05 | 説教メモ
「新しい命が芽生える時」ヨハネによる福音書3章1-15節          
 
使徒パウロは、「あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新にされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。」(エペソ4:22-23)と言った。また、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」(ロマ3:23)、「罪の支払う報酬は死である」(ロマ6:23)とも言っている。
 
ある時、ユダヤ人の指導者のニコデモはイエス・キリストのもとを訪れた。彼は予てから「神の国」について関心があり、イエスのもとに教えを受けに来た。その時 イエス・キリストは、天における最重要事は、霊的に生れ変わることであると話された。しかし、ニコデモには、この時「新しく生れる」と言う意味がわからない。エペソ書では、生まれ変わる以前の生活を「情欲に迷って滅び行く古き人」と言ているが、ここでの「古き人」は、欲を中心とし、欲に支配されている普通の人間の生き方に他ならない。けれどもニコデモは今自分が置かれている状態、生きている様が肉であることが理解できないので、「新しい霊の世界」についてもまた理解できない。

「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。」(ヨハネ3:6-7)と、更にイエス・キリストは不可解で戸惑うばかりのニコデモに、霊による新生について説明をする。

「風は思いのままに吹く。あなたがたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」(8)
「新生」は、私たちの内にご聖霊が風のように吹き抜ける時、初めて「肉」の性質が露わにされ(真相が暴露され)、その自分の真の姿を認める(悔い改める)ことから始まる。出エジプトしたイスラエルの民が、荒野で青銅の蛇を仰いだ時、毒蛇の毒から解放された如く、イエス・キリストの十字架を仰ぐ時、人は初めて罪から解放される。十字架上で流された御子イエス・キリストのご宝血により、神のみ前に贖罪が完成され、霊の世界で生きる者とされる。


6月のひつじかい日記

2016-06-11 16:16:28 | ひつじかい日記(2)




2016年6月5日(日)


熊本・大分の地震被災者支援のチャリティー・バザーの日を迎えました。


ご近隣の方々の応援もあって、
義援金と合わせて1万円の売り上げでした。
九州キリスト災害支援センターを通して被災者の方々にお届けさせていただきました。

室内に展示されていたものも含めて70パーセントほどが売却できました。
地方の方々が沢山バザーの品物を送ってきて下り感謝でした。

お祈りとご協力に感謝します。




6月6日(月)

今日は久しぶりに疲れを感じて、一日ゆったりと過ごし、回復の時を持ちました。
私の回復の時は、
おやつ造りが良案なのですが、
今日はトマトセリーを作りましたヨ!

それと、現在、
私は韓国ドラマ(時代劇)にハマっているのですが、
「イサン」「トンイ」、
そして、「ホジュン」に行き当たりました。
朝鮮史の実在の人がモデルになっているそうですが、
結構面白いです。

特に「ホジュン」は、
牧師や医師、教師など、特別な使命のある職業についておられる方はおススメです。
御覧になられる時には、タオルとバケツを用意されていても宜しいかと思います。
(クリスチャンスタッフの演出の苦心の跡も多くの場面で拝見できますヨ!)

ナント、
バックの音楽はフルート奏者でも有名なソン・ソルナムさん作だそうです。
ソン・ソルナムさんに関しては、
CGNTVのサイトを開いて下さると、すぐに「岡山ラブ・ソナタ」の動画が動き出し、
ソン・ソルナムさんの作曲した「イサン」や「トンイ」などで流れていた音楽をソンナムさんご自身の演奏で聴くことができます。
ぜひ、訪れてみてくださいネ!


6月7日(火)

今日は、予定していました、
「G&Gセミナー」に出席するため、
お隣のインマヌエル教会のH先生とご一緒に福岡、油山シャローム教会へ行きました。
講師は釜山から来られたチョン・ピルド先生。
毎年開催されているのですが、
毎回そこで聖霊のみ声を聞かせていただいています。
昨年は、「全部を捨てる」ことを、
今年は、「欲に支配されていないか」と、問われました。
教会成長という言葉の奥に潜む、虚栄に属する欲を見せられたような気がいたします。
私たち人間は、どこまで行っても、結局自分の欲のために働いている部分がぬぐいきれていない。
そんな気がいたします。
特に、「欲」は神の働き人には要注意です。

行きかえりの汽車の中でも、
H先生とのお交わりで、大きな恵みを頂いた後の感動で感謝が溢れました。


6月8日(水)

午前、聖書研究祈り会。
先週はヨハネの2章前半、カナの婚宴の箇所で恵まれ、その恵みは日曜礼拝の説教になりました。
今週は、2章後半から、「弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言葉とを信じた」(22)などから
弟子たちはその時ははっきりとわかっていなかった事も多々あるようだが、
後になって、あのことの意味はこういうことだったのだとわかり、新たにキリストを信じている場面があることに気が付かされました。
そのように、現在わからないことも、後になって、「ああこういうことだったのか、」とイエス様の真実さに目が開かれるかもしれません。
誰かの何気ない素朴な質問で、新たに目が開かれ教えられて、
めぐみ教会の聖書研究祈り会はヤッパリ恵まれます。


6月9日(木)


カラリと晴れた梅雨時の一日。
庭の手入れ、他、
雑務で一日追われる。



めぐみの庭は現在花盛り、
今年は三種類のラベンダーが咲きました。
香の良いバラのポプリもまだまだ現役で玄関先に素敵な香を放ってくれています。

午後、
大波止でM姉に会う。
神様の御業が今着実にM姉になされていることに感謝。
現状は厳しいかもしれませんが、
信仰の目で見ると、
姉妹は今輝いて見えます。


6月10日(金)


今日は遠方訪問日。
ただみ言葉だけを持ち運ぶ使者として、
1時間かけて10分のみことばだけを語って帰ってくるのもまた、楽しからずヤ!
みことばに人を救う力があるので、
そこにだけ期待しつつ、「新しい人を着る」ことをお勧めする。

帰路、93歳のMおばあちゃんを訪問。
近頃半分眠っていることが多い。
「年がゆくと、眠ることが仕事です」と言われた人がいるが、
そうなのカナ??
天で待っておられるお嬢様のところに確実に行って頂けますように。

夕方、
以前来られたことのある留学生の人から
「日曜日行って良いですか?」と電話を頂いた。
「これは主がなされていること」と、トッサに思った。


6月11日(土)

今朝嬉しいことが一つ。
朝、花に水をやっていると、
一人の中学生が「こんにちは」と声をかけられました。
密かに祈りの中にある中学生だけに、
天にものぼる嬉しさ^^V
わかっていただけますか?