(長崎外国語大学チャペル会場、ホール講壇)
2016年6月26日(日)
9時半第一礼拝開始前、
ひとりの女学生がそっと礼拝堂に入られる。
「今日は何もなかったので来ました。よかったのでしょうか?」
「良いに決まっていますトモ!!」
続いて、またひとり入ってこられた。
おおいに感謝!!
先週一週間長雨の中で猛練習をしたゴスペルで賛美礼拝をする。
いつもはあまり声を出さない彼らも今日ばかりはきれいな声が礼拝堂に響く。
曲は「今こそキリストの愛に応えて」
一週間でこの曲のコード伴奏をマスターした自分に驚くばかり。
神様のみ業としか思えない。
午後2時、
アロマの会の人が6,7名ほど、めぐみの家を訪れる。
代表のO氏以外は全て初対面の方々だったが、
ナチュラルなアロマの香が漂うような方々ばかりだった。
彼らはここでナチュラルな香を使ったお菓子を作られるのだそうだ。
4時、
いつもの病院礼拝へ。
帰ると冷蔵庫の中に自然アロマ入りの手作りデザートセットが置かれていた。
カップケーキの美味しさは天下一品、極上ものだった^^V
27日(月)雨
G&Gセミナーのチョン・ビルド先生のテープを聞きながら、
めぐみの家のカーテンの補正を行う。
鹿児島めぐみ教会が旧礼拝堂で使っていたものをドッサリ送ってくださったので、
丈を補正して使うことにした。
綺麗なグリーンのカーテンにくるまれて全てのお部屋がきれいになった。
さて、雨の一日、テープを聞きながら、
終極私たち牧師の働きは、牧師が真に献身しているかどうかが問われているように思えた。
メッセージの中で、
「大切なことは、神様が止めなさいと言われたらすぐに手にしたものを下におくかどうかです」
と言うところで、
「全てのことは許されているが、全てのことが益になるわけではない」
というみことばが私の脳裏を駆け巡った。
映画の好きな私に神様が、「今それを手から離しなさい」と言われているように思えて、
今をもって、好きな映画鑑賞を手から放して下に置くことにした。
28日(火)
7時、ギデオンの朝祷会に出席。
カトリック、プロテスタント合流であり、
長崎のキリスト教会の流れをそこに見る思いしきりで、
お祈りしていると言うよりも、お祈りのことばを唱えているように思えて仕方がない。
トモカク、一人孤立は良くないと思い、この長崎の地でできることは何でもしてゆきたいと心がけている。
29日(水)
午前10時少し前、私は外国語大学のチャペルのメッセージの原稿書きに取り組んでいた。
あたりが暗く時計の針が見えにくい。
気が付くと、豪雨。
今日はチャペルの御用の時間の関係で祈り会は10時だったことを思い出し、
豪雨の中でも出席されるだろう一人の姉妹のことが気になり、あわてて階段を駆け下りて、
携帯をしながら車を出す準備をした。
スゴ―――イ雨足。
「あの大雪の時でさえ笑顔で礼拝に来られた方だから連絡がないのは来られるサインに違いない」と思っていると、
「10分くらい遅れます」のメールが入った。
良いタイミングでバス停で姉妹をget!
ともかくスゴイ雨の中で聖書研究祈り会は始められ、
いつ雨が止んだかさえわからないうちに祈祷会も終了。
「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
自分自身で親しく聞いて、この人こそまことの世の救主であることが、わかったからである」(ヨハネ4:42)
このみ言葉に二人の心は留まった。
続いて道の尾軽油で外国語大学へ。
顔見知りの学生が数名遠くから笑顔で、
先日礼拝に出席された学生が講壇真下まで来てくださって挨拶してくださった。
説教題は、「二つの渇き」
ナルニア物語にでてくる次男のエドモンドが雪の女王からもらった、食べるととたんに飢餓感に襲われるというお菓子の話と、
説教前に宗教主任の教授から教わったwelling up を対比させつつ話した。
目の前にいる若い人たちが、本当に大切なことに気が付いて欲しいと願うばかり。
「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう。」
ヨハネ福音書4:13.14
魂の渇きを満たす水がここにあります。