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28日礼拝メッセージ「祈りはきかれている」

2018-02-02 23:49:40 | 説教メモ

「祈りはきかれている」ルカ11:1-12

 

祈りはキリスト者の生命線。主イエスが教えられた祈りに学ぶ。

.主の祈り(1-4)  ※マタイ6:9-13

「わしたちにも祈ることを教えてください」(1)と進み出た弟子に、まず主イエスが話されたのは、「主の祈り」。それまでは、ユダヤ教での定時の祈り以外は知らない弟子たちだった。

「御名があがめられますように」は、「聖別されること」の意。「御国がきますように」の中に、マタイ6:10b「みこころ・・行われますように」は含まれる/参考2。「御国」は、「神の支配」とも訳す。人間の欲の支配ではなく、神からくる清い愛に「この世」が治められることをキリスト者は祈る。「日ごとの食物の食物を日々(今日も)お与えください」(3,4)と祈ると共に、「明日のことを思い煩うな」(マタイ6:34)とも主イエスは言われた。自己の罪を自覚して真に悔改めた者は、他人の罪を責める心が無くなるのが当然である(4)/参考1

.熱心な祈り (5-10) ※マタイ7:7-11

1.お腹を空かせた友人のために、夜、友を起すほどの失礼さ。神にとっては夜半も日中もなく、何時祈り求めても差支えがない。2.求めるものは三つのパン。欲張って無用のものまでも求むべきではなく、その時々の必要を求める。3.愛の足らざる友人をも動かすほどの切願。まして、愛の神は切なる祈りに動かされないはずはない。4.神は人が欲するより勝るものを与えられる。「主の祈り」もまた、このように、真実に祈る。「求め」「捜せ」「たたけ」は次第に熱心さが増していっている様子。

.最上のものをもって応えられる父なる神(11-13) ※マタイ7:9-11

たとえ、行いの良くない親であっても、子には良いものを与えたいと願う。子の求めに対して、その子を害するものや、蛇やさそりを与えはしない。不完全な悪しき人間の親ですらそうであるなら、完全な愛の神は、必ず「良いもの」(マタ7:11)を与えてくださると確信して、神に求めるべきである。ルカはこの「良い贈り物」は「聖霊」であると記す。魚や卵は人間の肉の生命の必要物であるが、聖霊は霊の命にとってなくてはならないものである。

「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」マタイ6:8

 ※黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝」から私的に要約させて頂きました。

 参考

1.負債(をいめ)は罪と同義に用いられる(ルカ11:4)。神に罪の赦しを乞う場合にまず自己の罪の悔い改めが必要である、すなわち他人の罪を赦さざりし頑なる心を改め、砕けたる心を以ってすべての人の罪を赦して後に神に赦しを乞わなければならぬ。砕けたる悔い改めの心は自己の罪を意識せる心である、自己の罪を意識せる者は自己に対する他人の罪を責める心を失う、この心を以って神の赦しを乞うことがこの祈りの中心である。人間にとって最大の必要は自己の罪が神より赦されることである。(マタイ6:12 註解)

2. 地上に神の御心が行われんことが我らの切なる願いでなければならない。しかるに我らは常に自己の欲求のごとくに成らんことを願う心が切である。かかる心をもってこの祈りを祈るならば虚偽である。神の御心はあるいは我らの欲求に反する場合が多いであろう。かかる場合にもなお御心の成らんことを祈るのがこの祈りの主意である(マタ26:3942)。

 


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