長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

すばらしい、5月!

2017-05-26 14:23:50 | ひつじかい日記(2)


2017年5月22日(月)

今日は、久しぶりに書店巡りをした。
入院されている教会員のご家族のためのお見舞い用の本を探すのが一番の目的だったが、
新刊書コーナーを見て回るのもまた楽しい。
今の日本人の思考状況を幾分知ることができるからだ。



星野富弘著「命よりも大切なもの」を手にして、
ココウオークでバスを待った。
木陰の下に座って、ぼんやりバスを待っつのも月曜日ならではのひととき。
溝川①の目的のバスがきたので、
あわてて乗り込もうとすると、
なぜか周りの
人たちが私の方を見て笑っている。
「エっと、何かありましたッケ、」
と、尋ねると、
一人の年配の婦人が手話のようで手振りで話されるのが、今一つ理解できない。
バスは待ってはくれないからか、
その方は、
大急ぎで、
「あのね、この方とあなたはよく似ておられる」
と笑いながら声に出して話された。
声を発せられたことにも驚いたが、
私は、心中「どこが、??」と、思ったが、
失礼になってはいけないので、
「光栄です」とその方に笑いかけると、
私に似ているといわれたその方は、
小声で、「本当に失礼ですよね、あなたはとてもカワイイです」
と、言ってくださった。
(ちなみに、私は、しっかり二重あごのおばあちゃんですが、)
でも、私は、なんだかとてもおかしくて、
そして、なんだか、嬉しかった。
私もこの街の一人なんだ。


🌸

日中、バスに乗ることはあまりないが、
午後3時ごろのバスの中は見渡せば、結構ご高齢の人たちが多かった。
時たま会議のために駅まで乗るが、
あの通勤時間帯とはこんなにも違うものなんだ。

ふと、目の前に座っている人の長方形の楽器ケースの様なものが目にとまった。
書かれている文字から、どうも中国の楽器の様に思えて、
「これは、もしかして、中国の楽器では?」
と、尋ねると、ご高齢のその婦人は、
笑顔で、「そうです。これは「二胡と言うのですよ」
と、言って、ナント、バスの中でケースを開けて見せてくださった。
見せてくださったことにに驚いたが、
「長崎新聞社でレッスンをしているから、あなたも来なさい」
と、言って誘ってくださったことにもビックリしてしまった。

💛

しみじみとバスの中にも、
長崎の文化と長崎に住む人たちの人生が詰まっていると思った。



5月23日(火)

めぐみの庭にカボチャを植えていたら、
なんと、
こんなに、カワイイ実ができているではないか。
嬉しくて、嬉しくて、
顔を合わせると、
誰彼となく、赤ちゃんカボチャを見てもらっている。

一軒向こうの方に話すと、
大変気に入って下さって、
「毎日に見に来よう」と言ってくださった。

良かったね、カボチャくん!

しかし、ホント、かわいいのです。



見えますか?


24日(水)

聖書研究祈り会
午前、ヨハネ21章から、

この箇所は、ペテロの個性が大きく描かれているが、
日本人がイメージしているペテロと、
韓国、中国の人など、それぞれ育った国によって、
ペテロをイメージしている印象は、
同じようでも、幾分違っているかもしれない、
などと、話し合った。

と、言うのは、
めぐみ教会には、
諸国の留学生の方が来られるので、
中日韓と同じような顔をしていても、
その国の文化の中で形成されてきた
性格、個性の違いに最近気づかされてきているからだ。
それからして、
比較的単純率直な大陸的気質でみるペテロ、
たえず、心の奥に秘めたるものを抱き人目を伺いつつ、島国日本で育った私たちから見るペテロでは、
共通した見方もあれば、かならずしもそうでない見方があっても不思議でないのでは、と思ったからだ。

・・・
ま、そんな、わかったような、そうでないような、
とりとめもないことを自由に話すひと時も結構楽しい。
でも、
大切なことは、
そこで、一人一人が何を感じ、
何を受けとめたか、
ですヨネ、


午後、「聖書研究祈り会」

「世と世にあるものを愛してはいけない」
では、
自分にとっての「世」とは?
自分の思いを引き留めて離さない「世」とは?

神さまが示されたならば、
いつでも手放せる心の用意はあるやなしや?
と、考えてみる。

私にとって、
この世は、結構、楽しいが、
もしかして、
神さまは楽しくないことの方を願っておられるトカ??


"(-""-)"



もしかして、
これは、霊性に関すること??

ともあれ、
結果として、
私たちには、
帰るべき、真の故郷が天にあるンダ!



1日飛んで、26日(木)

救われる人に巡り会いたいと、
トラクトを手にして、
時津町のまだ行ったことのない場所(未伝地)を求めて
行きついたところがここです。



こ、こんなきれいなところがあることを知らなかったトハ、

トラクトを渡すと、
1人の方が「読んでみます」
と、言ってくださった。
嬉しかった。
思わず、
「きれいなところですね」
と言うと、
「ぜひ、また来てください」
と、言ってくださった。
7年間トラクトを配って、
初めてのことでした。
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5月のdiary

2017-05-20 12:52:13 | ひつじかい日記(2)

2017年5月14日(日)


教会では、「母の日」の感謝礼拝と愛餐会。
今年は初めて学生青壮年でお食事を準備してくださることになり、
感謝は無限大。
炊き込みご飯に中華総菜風数種、
彼らはいつもこんなに美味しい食事を作っていたんだ!
と、思うと、最近お料理にハマっている自分の腕前は、
たいしたことはないことに気が付いた。

1人の高校生が、お母さんに、
「楽しかった」と、言ったという。
ゲームもスピーチもなく、
ただ食べただけの「母の日」だったけど、
めぐみ教会は、
そこはかとなく、
楽しさが溢れていた。





15日(月)

快晴
ともかく、お掃除、洗濯、その他、朝からかけずりまわっていた。
出かける前には、いつもそう。


16日(火)

九州教区牧師会が
鳥栖曾根崎キリスト教会で行われた。
今回も想像通り、6時前までの延長戦。




帰路、独身女性牧師2人、夕食で二次会。
慰めのひと時。

夜の長崎道をひとっ走りで時津に帰ると、
10時半をまわっていた。



17日(水)

祈祷会は、今日は家庭の事情でいつものメンバーが欠席。
1人で祈る。
11時に切り上げて、種々の買い物に百金へ急ぐ。



夜「聖書研究祈祷会」での質問。
「パウロがダマスコ途上で回心をした時、彼は馬に乗っていたか、歩いていたか?」
私は、「馬から落馬した」と思っていたし、
説教も迷うことなくそのように話していたが、
あわてて、使徒行伝の2か所を開いてみたが、
確かに、馬に乗っていたとは、どこにも書かれていない。
いつどこで、そのような確信を抱いていたのだろう、
と、思うと、おかしくもあり、
はたまた、キチンと聖書を読む必要を覚えた。


18日(木)

家庭礼拝。
車で1時間のところに母子共にクリスチャンの家族があり、
月に1回の割合で行われている。
93歳でこの若さ。


シロツメクサの花輪をプレゼントしました。



19日(金)

燃えるゴミ出しへ行ったところ、
お掃除当番の婦人が、
「繁殖期になるとカラスが来るのよ」
と、手直しをされていた。
そこへ、美しい娘さんが車で通過。
「はやく嫁に行けよ~」と挨拶され。
手直しを手伝っている私に、
「朝小鳥が鳴いているでしょう、繁殖期だからよ。
「私の2人の息子にも、はやくお嫁さんに来てもらいたい」
と、言われた。

🌸

メンテナンスをお願いしていたパソコンが宮崎から届いた。
懐かしい友達に再会した気分になる。
お礼に長崎のもぎ琵琶を送る。
手数料は不要と言われたものの、
時間をとって頂いたことには恐縮。

16日から延べ4日パソコンから離れて、
元の人間の生活を取り戻した気持ちになっていた。
近頃、眼性疲労による肩、頭後部の凝りに最近悩まされている私は、
今後、不必要なパソコン時間を短縮しなkればならないと思う。



20日(土)

結婚式お祝いの返礼をリストブックの中から、
ガーデニングラックを選択していたが、
今日届いた。
仁王門のような困った門構えがある庭先に、
また一つ、
お気に入りの空間ができた。
嬉しいナ~

Mafumiさん
m(__)m


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とりなしの祈り(2)

2017-05-04 13:08:24 | 聖書日課

-身勝手なとりなし-

ロイド・キョーンズ著「いと高き方のもとに」から



とりなしを、個人的な同情心をもって神の前にいき、
私たちの思いどおりのことを神に要求することのように、
考えてはならない。
とりなしは、
私たちの主が、罪を贖ってくださったから可能になったのである。
「わたしたちは、イエスの血によって、
大胆にまことの聖所に入ることができるのです」

執拗に食い下がった祈りは、
とりなしにとって妨げとなる。
それは、自分自身と他人に対する同情心から生れたものだからです。
私たちは、すべてのことを贖罪に基づいて考える必要がないと考える。
このような考えから生れた「むさぼり」が私たちのうちにあるなら、
人のためにとりなすことはできない。

私たちは、人々に対する神の関心と一つになろうとはしない。
そして、神に対していらいらし始める。
このように絶えず自分の考えを押し通そうとするので、
とりなしの祈りは、私たちから生れた
同情心をたたえるようになる。


罪を贖ってくださった主と一つになるということは、
私たちがもっている人間的な同情心が根底から変えられるということである
私たちはこのことに気づかなければならない。
身勝手な祈りは、人々に対する神の関心を、
私たちの人間的な同情心にすり変えてしまう


私の祈りは、
執拗に食い下がっただけの祈りではないだろうか。
あるいは、
神に取って代わった祈りをしてはいないだろうか。
それとも、
神との一致を求めているだろうか。


「こういうわけですから、兄弟たち。
私たちは、イエスの血によって、
大胆にもことの聖所に入ることができるのです。」
   ヘブル10・19
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とりなしの祈り(1)

2017-05-04 12:36:58 | 聖書日課

ー力あるとりなし-

ロイド・ジヨーンズ著「いと高き方のもとに」ーから



神が全く違った方法でその人を引き上げようとしておられる時に
私たちは安っぽい同情をもってとりなしの祈りをする。
ここに問題の原因となるものがある。
私たちが、人々に対する神の関心と一つになることをひかえ、(避けて)
人間的な同情心でとりなす時、
神との生きた関係は失われていく。

そして私たちの同情心や人々に対する評価が全面に押し出る。
(神ではなく、人間的に良い人と思われるように考え、行動しようとする姿勢)
これは、神への不当な干渉にほかならないのではなかろうか。

神に対する完全な確信がなければ、
力あるとりなしをすることはできない。
私たちと神との関係をそこなう最大のものは、
個人的な同情や、偏見である。

神との一致
これがとりなしの鍵である。
私たちが同情心を起こした時に、
私たちの神との一致はなくなる。
自分自身と他人への同情心が、私たちに
「そのようなことは起こってはならない」」
と言わせるからである。
その時にすぐさま、
私たちの神との生きた関係はだめになる。

とりなしの祈りが、
あわれな自分自身に対する祈りに取って代わる時がる。
とりなしをする時、
自分自身のことを、締め出さなければならない。
そして、
人々に対する神の関心と全く一つになるのである




「すべての祈りと願いを用いて、
どんなときにも御霊によって祈りなさい。」
    エペソ6・18



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緑の光の中で

2017-04-28 14:46:56 | ひつじかい日記(2)





2017年4月24日(月)

ゆったりと目を覚ます。
ゆったりと起き上がり、
朝の空気を心ゆくばかり吸い込んで、
ウオーキング。
みことばを頂き、
生ジュースをしぼって、
breakfast!

🌸

めぐみの家のガスの閉栓に来られたガス会社の方に、
洗濯機の蛇口の水漏れを見てもらった。
洗濯機はOK,蛇口とホースに問題があるらしい。

めぐみの家の布団干しとシーツのクリーニング。

電話やラインで留守中の教会の様子が伝わってきた。
何となくいい感じ 💛

留守を守ってくださった、お一人一人に感謝が溢れる。

🌸

教団の2016年度財務報告書提出期限が今日までなので、
急遽、3月会計報告を作成し、
2016年の総決算表を完成させて、
とりあえず、
財務報告書を事務所に送付する。

ヤハリ、教会は会計奉仕者が必要かな?

イオンのATM通帳記入をした後、
かなり遅目のランチをとった。


25日(火)

一日おいて、
K教会にお礼状書き。
ラインでU師に写真を添付してthank you messageを送る。
また、長らく溜めていた数名の方々へのお礼状書きも。


空いている時間は、せっせと庭のお手入れに励む。
ガーデニングはこの時期は手を抜けない。

めぐみの家と教会全館の掃除機掛けをした。
なんだか、スッキリ ^^V
心もからだも!

🌸

お隣のI教会を訪ね、
長崎キリスト教協議会年会費の御立て替え分をお支払いし、
そのまま、
M姉を入所先に訪ねた。
ご親戚のT氏が京都からこられていて、
ご挨拶をして帰った。
M姉はT氏が来られると元気がいい。


・・・

ああ、何を見ても、どこを歩いても、
緑の光がつきまとう。
長崎の4月はいいなあ~


26日(水)

雨模様、、、

今朝も庭を見回っていて、
携帯電話を見るのを忘れてしまっていた。
これは、×印
ナント、
午前も午後も
欠席届けの連絡を頂く。

🌸

午後、予てから気になっていた
買い物リストをてにして、
大型リスカウントショップにでかける。
安いとツイツイ買いだめしてしまうので要注意!!

ラベンダーの苗をまた買ってしまった。
ラベンダーの薄紫と香で包まれていたいナ~

11時就寝前、
Aさんから明日行っても良いか?
との問い合わせがラインで入った。
勿論OK!

熟睡


27日(木)

今日は朝から玉ねぎを煮詰めて、
親子どんぶりを作る。
最近の私のヒットメニューの一品。
何でこんなにおいしいのかわからないけど、
ともかく美味しいと自分では思っている。

Aさんの秋以降の動向を知ることができて感謝。
お土産がまたひとつ増えた。

夜、
昨晩に変わって、「聖書研究祈り会」を行う。
M兄姉が来訪。
前回は「人生のテスト」がテーマだったが、
今日は、「賜物」について色々話し合った。
神から授かった賜物と、
与えられた働き場がピッタリな人は幸せな人生で、
そうでなかった人は幸せではないのだろうか?
などと、一人になっても、
わけのわかったような、
わからないようなことを考えている。

このテーマを結論づけてしまうのは如何なものか?
いろんな人がいて、
いろんな境遇があって、
人生は一つ、二つの線引きで結論づけられるものではないだろう。
と、思えば、
うかつなことを言い過ぎたような気がしてくる。
(反省)

けれども、
神さまが私に望まれていることをしようと志す時、
必要なもの、賜物もまた、
与えられるに違いない。


めぐみ教会が、
ひとりひとりの賜物が活かされ、
聖別された、
奉仕の喜びに溢れますように。

🌸

就寝前にI兄から、「山を越えました」という
嬉しい、祈りの感謝がラインで届いていた。
ホットしてそのまま熟睡に。


28日(金)

朝方、K師夫妻が夢にでてきて目が覚めた。
新な働き場で、困っておられないだろうか?
ユックリと祈りを込めたお手紙など書こうかな、、、
と思う。
K先生新たなご奉仕頑張ってください。
祈っています。

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