旧約聖書で、涙の預言者と言われたエレミヤは、
「心はよろずのものよりよりも偽るもので、
はなはだしく悪に染まっている」
と言った。
それは、自分に対して虚偽の心を向ける特定の誰かを指して言っているのではない。
自分自身の心もまた、そうなのだ。
夏目漱石もまた、
小説の「こころ」でそれを喚起している。
一人の人を思う思いが、友人をあざむき、
死に至らせ、自分の人生をも蝕む。
このどうしょうもない「こころ」。
全世界の人が、この得体の知れない「こころ」を抱えて生きている。
私自身はどうか?と、言えば、
これが、「私は大丈夫」と、結構楽天的なのだ。
そんな自分を解釈するならば、
「わたしの心に偽りはなく、真実。
けれど、あなたの心は時々偽るね。
でも、私は寛容な人だから、あなたの偽りの心はおおめに見てあげるから」
と、幾分、他者を貶めて、自分自身は良い人に祭り上げているような、、、
それこそ、エレミヤが言っている
「はなはだしく偽っている」心ではなかったか?
と、自問してみる。
「心はよろずのものよりよりも偽るもので、
はなはだしく悪に染まっている」
と言った。
それは、自分に対して虚偽の心を向ける特定の誰かを指して言っているのではない。
自分自身の心もまた、そうなのだ。
夏目漱石もまた、
小説の「こころ」でそれを喚起している。
一人の人を思う思いが、友人をあざむき、
死に至らせ、自分の人生をも蝕む。
このどうしょうもない「こころ」。
全世界の人が、この得体の知れない「こころ」を抱えて生きている。
私自身はどうか?と、言えば、
これが、「私は大丈夫」と、結構楽天的なのだ。
そんな自分を解釈するならば、
「わたしの心に偽りはなく、真実。
けれど、あなたの心は時々偽るね。
でも、私は寛容な人だから、あなたの偽りの心はおおめに見てあげるから」
と、幾分、他者を貶めて、自分自身は良い人に祭り上げているような、、、
それこそ、エレミヤが言っている
「はなはだしく偽っている」心ではなかったか?
と、自問してみる。