長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

偽る心

2020-06-29 03:42:14 | ひつじかい日記(2)
旧約聖書で、涙の預言者と言われたエレミヤは、
「心はよろずのものよりよりも偽るもので、
はなはだしく悪に染まっている」
と言った。
それは、自分に対して虚偽の心を向ける特定の誰かを指して言っているのではない。
自分自身の心もまた、そうなのだ。

夏目漱石もまた、
小説の「こころ」でそれを喚起している。
一人の人を思う思いが、友人をあざむき、
死に至らせ、自分の人生をも蝕む。
このどうしょうもない「こころ」。
全世界の人が、この得体の知れない「こころ」を抱えて生きている。

私自身はどうか?と、言えば、
これが、「私は大丈夫」と、結構楽天的なのだ。
そんな自分を解釈するならば、
「わたしの心に偽りはなく、真実。
けれど、あなたの心は時々偽るね。
でも、私は寛容な人だから、あなたの偽りの心はおおめに見てあげるから」
と、幾分、他者を貶めて、自分自身は良い人に祭り上げているような、、、

それこそ、エレミヤが言っている
「はなはだしく偽っている」心ではなかったか?
と、自問してみる。


ゲハジという男

2020-06-25 03:13:52 | ひつじかい日記(2)
2020年6月25日(木)

旧約聖書には、各時代の中で、神のことばを人々に取り告ぐ「預言者」と言われる人たちがでてくる。
エリシャは起源前850年頃、イスラエルで神の僕として活躍した預言者であった。
当時エリシャは、100名程の弟子を養成している預言者学校を開き、
その学校の校長もしていた。

エリシャの弟子の一人に、ゲハジという男がいた。
ゲハジはエリシャ先生のすぐ側で、直接奇跡的な出来事を体験する機会が多々あり、
弟子とすれば非常に恵まれていた立場にあったにも関わらず、
彼は神に仕える弟子にとって、大きな妨げとなる課題があった。

当時、イスラエル国は近隣諸国と緊張状態になることがあり、
その国の一つにアラム国があった。
そのアラム国軍の大将をしていた人に、ナアマンという人がいて、
特殊な不治の病にかかり、エリシャが彼を癒しに導くことになったのである。
神の人エリシャの導きに従ったナアマンは、奇跡的にエリシャが信じ仕えている神によって病が癒され、
お礼に感謝の気持ちを込めた贈り物をしようとしたが、
イスラエルとアラムの国政状況において、誤解が入ることを避けたエリシャは
キッパリとその贈り物を断った。

それを見ていた弟子のゲハジは、
何を思ったか、
贈り物を断念して、帰ってゆくナアマンを追いかけていって、
「私の主人は少しその贈り物が必要になってきた」などと嘘をついてまで、
高価な晴れ着二着と銀二タラントを受け取って家の中にしまい込んだ、というのだ。

なぜか私は昨日から、このゲハジという一人の男の行動が頭から離れず、
考えこんでしまっている。
まず、
神の僕として訓練を受けている状況の中で、
どうして、そのような晴れ着や大金が必要だったのだろうか。
例えば、その預言者学校の会計を預かっていて、お金が必要だったというならば
(それが良いよいうわけではないが、)少しは理解もできよう。

けれど、家に仕舞い込んだというからには、
ヤハリそれは、
自分の為に使いたかったのだろうし、
あるいは、
晴れ着を着てカッコよく見せたかったのかもしない。
それとも、
お金をもって町で遊びたかったのか?
将来のためにとっておきたかったのか?

また、それは、エリシャのした行為への感謝の贈り物だったにも関わず、
自分のものとしようとしたのならば、
その誘惑に負けて欲をかき、嘘をつき、人のものを横領してまで欲しくなり、道を外れてしまったのか。
では一体、
彼は神の人エリシャの側でいったい何を学ぼうとしていたのだろうか?
物やお金が欲しいならば、
アッサリと預言者の弟子を辞退し、世に出て働けば良いものを・・・

そこで、さらに考えてみるに、
預言者に仕えるメリットの中に、当時とすれば、
世間的に地位が安定していたり、、などと言う世間的に有利な部分もあったかもしれない。
はたまた微妙な部分で、家族の期待もあって、後ろに引くこともできなかったかもしれず、
そう簡単には捨てられなかったかもしれない。
などと、勝手な思いを巡らしてもみたりした。

そして、(マテよ!)
もしかして、この「捨てられない」という部分が、
結構、自らの人生を濁らせ、詰まらせ、逸らせてゆく原因ともされているのかもしれないと思うと、
お金や物と言わず、
私の中にもまた、
天に突き抜けていない何かを、内に潜み隠していないかと、
自らに警告を鳴らしてみる。





午前3時に、、、

2020-06-21 02:50:50 | ひつじかい日記(2)
2020年6月21日(日)

ナント、午前3時少し前。
身体の節々がポリポリと痛い。
近頃の私の眠りサイクルは、早寝早起きが高じて、
9時には床に就くようになってしまっている。
早寝過ぎ、早起き過ぎも、どんなものだろう

眠れない人が増えている中で、
贅沢は言えない。
これはこれで良しとしなければ、、、

   ☽

私の場合、
目覚めた時、一番に思いつくことが、
今日の私の”人生ココ一番”!
今朝は、何と言っても現在リフォーム中の礼拝堂の事。

  💒

私が代表者に告げることが、
見る見るうちに目の前に現実に出来上がっていくのを見るのは、
まるで、天地創造のはじめに、「光あれ」と創造者が言われると
光があった時のようだ!

「ここに棚が欲しい」と言えば、サイズを量り、
玄関の上り口に、材木の切れ端を置いたところ、
そこもサイズを計りで、即対処されているのにも驚いた!
床も「無垢材がイイナ」と言えば、「スギですが、」と言って、
本当に無垢材が入った。
ウッカリしたことは言えない、
代表者は、すぐに予算と全体の雰囲気とを見据えて、
こちらが言ったことを現実にされてゆくのだから。

しかも、あまりにキレイに仕上がっていくので、
内心、財布の中身が少し不安になってきていた。
そこで、室内と外庭を併せた最終見積もりを取ることにした。
玄関でそれを手渡される直前の私は、
まるで、成績表が手渡される時の心境。 
「もしも、払えない額ならば、外庭はキャンセルして次にしよう・・」
と、ヒヤヒヤしながら見積もり書を広げると、
総計すれば、始めの予算額内でおさまっていた。
外庭予算が考えられないほど、安価に見積もられていたからだ。

     ❁

外庭には、こだわりがあった。
ソモソモ、このリフォームの話の出所は、外庭にあったからだ。
「奥まった所にある家の教会では、道行く人が入りにくいではないか?
道路沿いの建物に皆が集う場所(礼拝)の場所を移し、
外庭からして、ウントチャーミングにして、
誰でも入ってみたくなる建物にしよう!」
ここから、このリフォームが始まったからだ。

      👣

まずは、綺麗な駐車場のモデルとなるご近所の庭まで
代表者をお連れし、「あんなふうにならないか」、
「こんなふうでは?」と、教会の夢をアピールした。
代表者の答えは一つ、
「仰ることは、ほとんどその通りにできます。
 お金さえだせば、、ですが、、」
けれど、我が家の財布は底が浅く、、
そこで、私は、外庭を安いレンガで可愛く仕上げることを提案した。
、、、レンガの位置とか、どのようなレンガを使うかとか、、、
と、こ、ろ、が、、、
昨日の代表は、キッパリと言い切った。
「次々と色々と言われるのですが、
わが社の規定どおりさせていただきます」
と。
そして、その時、そこはかとなく、空気が凍っていた。

そんな中で見積もり書を受け取った。
ヤハリ、外庭予算がかなり内装にいっている。
けれど、エクステリアどころか、外塀撤去、コンクリート除去予算にも満たない
費用で、代表は私が言ったことを網羅してくださろうとしていることが、
その見積もりから十分にくみ取ることができた。
「これなら、なんとか支払える」
と、言った呟きが聞こえたかもしれない。

「シュン!!」と、大声で若い人を怒鳴りつけながら、
「なんなら、もっと、上げることもできますヨ~」
と、ボソッと言われたことばが、たしか、聞こえてきた、と、思ったが、、
ニンマリ笑っている空気がその後ろ姿に、そこはかとなく漂っていた。

今週から、いよいよ外庭工事が始まる。
代表は、今、5万円のウッドデッキをこの庭に設置してくださろうとしている。
(この安価なウッドデッキは、)
「5年くらいしかもたないかもしれませんヨ!」と念を押されていたが、、
それでも、ちゃんと、予算内でこちらの言い分を叶えようとして下さっているンだ!

    ❁

午後、ご近所の方が紫陽花を届けに来て下さって、
予算を聞かれて、コレコレしかじかと話したところ、
「安い!!」と驚かれ、「ヤッパリ、日ごろの行いが違うからヨ」
と、言って帰っていかれた。

施行業者の方の為には、みんなで祈ってきていたが、
まさに、神さまの備えられた方たちと、感謝し、
残りの一週間もまた、せっせと心を込めて、
美味しいお茶の用意をさせていただこうと思うのです。















6月は雨後晴れ

2020-06-19 18:07:51 | ひとりごと
2020年6月19日(木)

一昨日から豪雨だった。
今朝、その中で、小鳥の鳴き声を聞いた。
瞬間、「晴れる」と、思ったら、
お昼が近づくにつれて、ドンドンと晴れて、
今は、雨上がりの明るい6月の夕暮れ、、
とても爽やか、
心地よい♥💛
very good!!
I’m fine think you God!


🚙

お買い物帰り、
車の中から、80才くらいカナ~?
沢山の袋物を肩にかけて、川沿いを家路に急いでいるらしき婦人が私の車の側を通り過ぎた。
目は先ほどからジッと川から離さない。
私もよくカモを見ながらこの川辺を歩いているので、
カモを見ていたのかもしれないナ~
と、思って信号待ち時間、なにげなく見ていたら
何を思われたか、
途中で、サッと身を返して、
今来られた通りへ引き引き返された。
そして、今度は橋の上から川を眺めていたのがチョット気になった。

ホンの数分のことだったけど、
一つのことを思い出していた。
私が30代の頃のこと。
予てから乗りたいと思っていた
サンフラワーのフェリーに乗って、
関西から九州に行ったことがある。
勿論、特別室ではなく、大勢で雑魚寝の一般客室。
なんでも体験したがりの私も、知らない人に囲まれての夜は、チョット不安だった。
今からすれば、まだ若かった私は、普通のおばさんっぽい人の側に隠れるように、
一晩を過ごし、いつの間にか側のその方とスッカリ親しくなってしまった。
下船する時、なぜかその方は「これを」と、言って私のポケットに
数千円を入れて立ち去った。

もしかしたら、よほど私がお金に困っているかの様だったのかもしれないし、
あるいは、、一見普通のおばさんっぽく見えたものの、
その時は商い等が成功して、お金持ちになって嬉しかったのかもしれないし、、

そう考えて、
川沿いを袋を背負って道を歩く姿は普通の人っぽくても、
あの袋の中身は、実は、ドッサリ宝物が入っていると思うと、
なんだか、6月の梅雨空の中に、夢で膨らんで風船のようになった私が、
フワ~~っと、
飛んで行ってしまいそうだった。


(#^.^#)


人生の総決算

2020-06-15 03:53:59 | ひとりごと



10年間、礼拝堂兼牧師館の雑居生活だったが、
礼拝堂専用棟が備えられたので、
荷物の整理を始めた。
すると、
あまりにも無用なものが多いことに呆れている。

宝物のように奥深いところに仕舞い込んでいたものは、
使い古したゴミでしかなかったり、
何年も使わないうちに、
色あせて使用不可になっていたり、
・・・

それらを奥深くに仕舞った時には、
いつか使う時もあるだろうからと、
大切にとっておいたに違いない。
けれど、
いつの間にか置いていたことさえ忘れてしまい、
色あせてしまって仕えない。
大切そうなものの中にも、
そうしたものが、あまりに多いのだ。

それら一つ一つを手にして、
残すものと、
新しい礼拝堂専用錬に引っ越すものと、
思い切って処分するものとに分ける。

「中途半端に取り置いていたものたち」を整理しながら
まるで、私の人生の整理をしている様な気持ちになっていく。

奥底に仕舞い込んでいたものが、
明るみに出され、処理されてゆく快さは、
丁度、不可解な私の過去が、
神さまの光の中に差し出され、
不必要な古き自分が一つ一つ処分されてゆくようで、
身体は疲れていながらも、
内側はとても軽やかで心地良い。

そろそろ、
私の人生の総決算もしなければ、、