ぼちぼち 行きましょ!
生涯現役を目指す私のつぶやきをお伝えします。
 



 

今日の新聞第一面に「ら抜き言葉」について載っていました。
「見れた」「出れる」が初の多数派になったと。
悲しいことに私の年代でも「ら抜き」が上回っていました。
年代が下がるにつれ「ら抜き」は「ら入れ?」を圧倒しています。
私とほぼ同年代で、しかもある程度の肩書きのある人の書き言葉に
「ら抜き」が散りばめられているとガッカリします。
「ら抜き」自体 分かっていない国語教師も知っていますので、
もうほとんど諦めてはいるのですが…。

読売の「編集手帳」には文豪と呼ばれる作家でも
その作品の中で使っていたのだと紹介しています。
太宰治「気の毒で見れなかった」
川端康成「離れて見れる」「すぐ食べれる」

SMAPの夜空ノムコウ「何かを信じてこれたかな」。
これが「こられた」では確かに字余り…。
この歌詞にトドメを刺された感があります。

しかし、TVの字幕では、必ず「ら抜き」は訂正して表示されます。
NHKアナウンサー、そして民法のまともな(笑)アナウンサーは最後の砦だと思っています。

せめて小中学校の先生方、ディフェンスに回ってはもらえないでしょうか?

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