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スターフォックスの一ファンのブログ

カメラの位置を固定する

2016年07月20日 21時50分43秒 | 創作について
 自分の小説の、理想形のひとつなんだけど、『大長編ドラえもん』を読む感覚をそのまんま小説にしたいと思っている。

 絵のない『ドラえもん』。

 絵は無くても、文章を読むことでイメージが惹起され、読む人の脳裏に鮮明に映像が浮かぶように書けばいいんだよ。

 それにはいくつかコツがあると思う。

 その一つが「カメラの位置を固定する」こと。
 「小説の書き方」的な本を読めばたいてい書いてあることですから、私がわざわざ偉そうに講釈しないでもいいんですけどね。

 映像でいうところのカメラ――視点をどこに置くのか。だれの視点で物語が語られるのかを決めて書く、ということ。
 大きくは、一人称にするか、三人称にするか。
 一人称なら、登場人物のだれかの目線で物語を見ることになる。
 三人称なら、「神の視点」と呼ばれる、客観的な視点で語ることになる。

 この視点がごっちゃになっているとすごく読みにくい。
 カメラがぶれまくる映像を見ているのと同じ。
 少年Aに感情移入していると思ったら、いきなり神の視点になったり。どういう位置から物語に入りこんだらいいのかわからなくなる。すると読むのがストレスになり、物語に没入できない……結局、読まれない。

 非常にもったいない。読まれなかったらなんの価値も無いから。

 これ、慣れたらたぶん、意識しなくても出来るようになる。

 手前味噌で恐縮ですけど、スターフォックス ビハインドは、基本的に一人称の視点で書いてます。
 ただし、意図的に三人称視点にした部分があります。

『轟音とともに爆炎の柱が立ち上がり、要塞がくずれ落ちる。
 間一髪、2機のアーウィンが地表に飛び出す。』

 ……ってところ。

 これを読んだ人の頭に、『スターフォックス64』の該当シーンが映像として浮かぶように……と狙って書いたつもり。

 ……浮かびましたかね?

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