勇者様の雑記帳

ゲーム暦40ウン年の勇者様の足跡が書き散らす日記。ゲームや映画、読んだ本などについて、好き勝手に書いています。

BRAMBLE The Mountain King クリア

2023-12-30 08:16:22 | ゲーム・日本橋
XBOXのゲームパスの対象になっている、
「BRAMBLE The Mountain King」をクリア。

散々死にながら、6~7時間で終わったので、
どちらかというと小品にあたる作品だ。

夜中に森に迷い込んだリリモールとオーリの姉弟。
森の奥で姉のリリモールが恐ろしいトロールにさらわれてしまう。
大変だ!リリモールを助けなきゃ!!弟オーリのたった一人の冒険が始まる…
っていうのがストーリーで、リリモールは最初と最後しか登場せず、
オーリの手助けには一切ならないため、基本的にはオーリ1人で頑張るゲームだ。
まぁ、ストーリー上は、赤い帽子を被ったノームとか、謎の少女トゥーバとか、
巨人のレムスとか、謎の爺さんリュクトグッペとか、色々と手助けをしてくれるキャラも出てくるが、
アクションの手助けにはならないので、リリモールが助かるかどうかはプレーヤーの腕次第である。

とにかくオーリはか弱い。年齢で言えば多分7~8歳ぐらいだろうか。
敵から攻撃を食らえば一撃であの世行きだし、跳んだり跳ねたりもまだまだ半人前だ。
そんなオーリなので、プレイ中は死にまくりである。
溺れたり、食べられたり、真っ二つにされたり、ぺっちゃんこになったり、
いやいや、小学校低学年にそんなことすんなよ、的なシーンがてんこ盛りである。
俺様としては中々にハードルの高いアクションだったので、クリアまでに彼を相当死なせてしまった。

世界観は全体的に陰惨だが、ステージごとに様々なギミックが用意されており、
クリアまでの時間の短さもあって飽きずにプレイすることが出来た。
最後はちゃんとハッピーエンドなのも良かったな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビ を観た

2023-12-29 06:03:43 | 映画
最近、3本の映画を観た。
「パーフェクト・デイズ」「そして、バトンは渡された」「処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビ」である。

「パーフェクト・デイズ」はドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダースが監督、役所広司が主演で、
スカイツリーがすぐ近くに見える浅草の古い文化住宅で独り暮らしをする男の毎日を描く、
ほんのり、しんみりのいい映画である。

「そして、バトンは渡された」は永野芽郁が演じる主人公の少女が、
父親を2人、3人と変わりながら、血のつながらない母親に育てられて大きくなっていく話で、
何人もの父親、母親に支えられながら、最後は幸せになっていく、
ほんのり、しんみりのいい話である。

そして、「処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビ」はバカ映画だ。

元々のタイトルは「DEAD SNOW ~RED vs DEAD」だが、
邦題の方が分かりやすくていい。処刑山って、なんて読んだらいいんだろうか、「しょけいやま」か?
キャンプか何かで山に登った男が、登った先でナチゾンビに襲われ、
友達や恋人を皆殺しにされ、自らも片腕を失いながら、ナチスの財宝をゾンビに差し出して一人助かり、
やっと下山したものの気が変わったナチゾンビに襲われて重傷を負い、
病院でナチゾンビの右腕を移植される・・・というのが最初の5分ぐらいで描かれる。
「どうして?」とか「どうやって?」とかは関係なくて、
とにかくそういうところまで無理やり話を持っていって、
数を増やしていくナチゾンビに対抗するために、昔ナチスドイツに皆殺しにされたロシア兵たちを、
ナチゾンビの片腕を移植されたお陰で手に入れた、死者を蘇らせる力でゾンビ化して、
ナチゾンビと決戦を繰り広げるという話である。
あー、あと、アメリカからゾンビハンター3人組(ド素人)も参加してくる。結構役に立っていた。
80年代ぐらいの映画は、とにかくストーリーが荒くて、
詳細は分からないんだけど勢いでどんどん進めていくタイプの映画が多かったように記憶しているが、
これはそれをひたすら突き詰めた映画だ。
筋書きなんてどうでもいいじゃないか、ドーン、バーンで楽しければそれでいいじゃないか。
そうだね、そういう映画が時には必要だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールドゲーマー

2023-12-26 06:45:48 | ゲーム・日本橋
年を取ってくると、一旦始めたゲームをうかつにやめられなくなってくる。
どういうことかというと、
途中で中断するようなことがあった場合、
他のゲームに手を出して、しばらく時間が経つと、
もはやゲームの遊び方が分からなくなっているのである。
話の流れを忘れてしまっているのはもちろんあるのだが、
そもそも「△」や「R1」ボタンが何の役割をしていたのか、
記憶にうっすら残っている操作をするために、何のボタンを押せばいいのか、
ひと月も経つと、もはやサッパリだ

今も、11月上旬まで遊んでいた「天穂のサクナヒメ」を再開しようとしていたのだが、
「壁に鎌を引っかけて上に登る」というのをどうやったら良かったのか、
しばらく試行錯誤させられて、早くもやる気を失いかけている俺様である。

こういう状態なので、一旦始めたゲームはできるだけ続けるようにしている。
やめる時は、多分もう再開することはないなぁと思いながら中断するのだ。
10代~20代は何本掛け持ちしても全然問題がなかったのに、
老化は怖いなぁ、恐ろしいなぁ。若い方は是非記憶力が万全な間に色々チャレンジしてほしい

最近はXBOXで「Tin Hearts」を遊んでいるのだけれども、
途中ステージでバグが出て、先へ進めなくなってしまった。
これも面白いゲームなだけにもったいないところだ。
このまま何日か経つと、きっとお蔵入りしていくんだろうなぁ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい旅チャレンジ2万キロ(バンダイ)

2023-12-24 06:23:43 | ゲーム・日本橋
ゲームといっても、大昔のボードゲームの話なんだが。

今手元に、これまた大昔に発売された、
実業之友社の「国鉄全線大百科」というものがある。


小学校時代に「私鉄全線大百科」と合わせて持っていたもので、
とある頃に急に読み返したくなり、
オークションで手に入れた本だ。
昭和56年に第4刷発行と書かれているが、
買ってもらったのはもう少し早かったような気がする。

当時は、昭和62年の国鉄の全線民営化には至っておらず、
北海道を始めとして、今はもう走っていないローカル線が網の目の様に走っており、
「大百科」の表紙には「全241路線の完全紹介」とある。
今のJR全線の路線数が180ぐらいのようなので、
2~3割が廃止されているということか。

当時、国鉄のキャンペーンで「いい旅チャレンジ2万キロ」というのがあり、
これは、200を超える国鉄の線区を、実際に踏破していくことで、
様々な認定証やら商品やらをいただけるという国鉄の企画で、
当時小学生だった俺様としては指をくわえてみているしかなかったのだが、
実際には同じくらい年代の子どもたちが結構参加したりしていたらしい。

で、この本を最近になって読み返しているうちに思い出したのが、
当時バンダイ社から発売されていたボードゲーム「いい旅チャレンジ20,000km」である。

実際に旅に出かけることができない代わりに、
これをクリスマスに買ってもらい、散々遊んだ記憶がある。
ゲームの仕様は、今となってはあまりよく覚えていないが、
今の「桃太郎電鉄」の原型みたいなものだったんだろう。
踏破チェック用のピンを指すためのボードが紙製で安定が悪く、
誰かの足が当たってピンが散らばりケンカになったり、
プレーヤー用の駒がこれも厚紙で出来ていて、
繰り返し遊んでいるうちにフニャフニャになって、プラスチック製の台座にささらなくなったり、
色々と思い出の残るゲームだ。

で、今になって思い起こすと気になるのが、ゲームの再現度である。
一定の期間内に、全国の路線をどれだけ踏破できるか、というのがこのゲームの目的だが、
そもそもどの程度の路線を網羅していたんだろうか?

こういうのは今はネットに色々と答えが見つかるようになっていて、
どうも50線区程度だったらしい。
241線区のうちの50線区としたら、全体の2割ぐらいか。
このうちのどの程度が今も残っているのかは知らないが、
ひょっとしたら留萌本線あたりは載っていたかもしれない。

いつか電車で日本中を回ってみたいなぁと思いながら、
時間ばかりが経っていく今日この頃だ。
そうこうしている間に、JRの路線はどんどん減ってゆき、
代替機関であるバス路線まで、人の不足化から縮小されていこうとしている。
何かこう、未来の寂しさを予感させるところだ。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ペルソナ5タクティカ」クリア

2023-12-20 05:36:53 | ゲーム・日本橋
アトラスの新作「ペルソナ5タクティカ」をクリア

タイトル通り、ペルソナ5を題材としたタクティカルバトルが楽しめるゲームだ。
一度にステージに参加させることのできるキャラクターは3~4人と少なめであり、
「いや、こんな少人数では面白くないやろ」と思っていたのだが、
実際にはしっかりと作りこまれたゲームになっていた、さすがアトラス。

最近のペルソナシリーズは、
苦手属性の攻撃で弱った敵をタコ殴りにするシステムが導入されていて、
これが1つの売りになっているわけだが、
今回の「タクティカ」にもこれがうまく織り込まれており、
ダウンを取った敵を、味方キャラクター3人の間に結ばれた三角形で取り囲むことで、
その敵を含めた複数の敵に大ダメージを与えるというもので、
これをいかにうまく使いこなすかが、このゲームの肝といってもいい。
ステージは高低差があったり、扉で遮断されていたりと、
味方の動きを阻害するギミックが色々と配置されており、
これらをかわして敵をせん滅した時の爽快感がたまらないのである。

大作に手を出すまで繋ぎのつもりで遊んでみたが、
なかなかどうして、楽しいゲームに仕上がっていた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々に「D-妖殺行」を読み返す

2023-12-13 21:47:24 | 小説
吸血鬼ハンターDシリーズ③ 「D-妖殺行」(菊地秀行著・朝日ソノラマ)


最近、近所の古本屋で、
吸血鬼ハンターDの②~⑤巻を買う機会があり、
まとめて読み返し中だ。
いずれも中学生時代に、貪るように読んだ記憶がある。
俺様、途中で買わなくなってしまったため、
今は一体何巻まで出ているのか分からないのだが、
この「妖殺行」や、4冊目の「死街譚」は本当に面白かった。
後には上下巻やら4分冊やら、話がどんどん長くなっていき、
それにつれてなんとなく面白みが削がれてしまったような気がするのだが、
「妖殺行」はSFホラーとしての面白さがギュッと凝縮されており、
今回もアッという間に読み終わってしまった。

何といっても登場キャラクターのバランスがいい。
主人公である最強のダンピール、吸血鬼ハンターDと、
兄弟5人の凄腕吸血鬼ハンターであるマーカス一家、
追われる立場の吸血鬼であるマイエルリンク男爵と、彼を恋い慕う人間の少女、
更には途中からマイエルリンクに雇われる、バルバロイの里の面々と、
三つ巴、四つ巴の戦いが、実にテンポよく描かれている。

Dのシリーズに登場する貴族は、
大抵は悪者だったり、よく分からなかったりするのだが、
本作のマイエルリンクはちょっと毛色が変わっていて、
読んでいる側も色々なキャラに感情移入してしまう。
まぁ、バルバロイの面々はアレとして。

そういえば、この第3巻って、
映画にもなったんだっけ。
さもありなんなのである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「砂と人類」を読んだ

2023-12-08 05:02:41 | 書籍
砂と人類~いかにして砂が文明を変容させたか~(ヴィンス・バイザー著。草思社文庫)


というわけで、「砂と人類」である。
この本は、皆がどこにでもあると思っている「砂」が、
現代社会にどれほどの影響を及ぼしているのか、
これからどうなっていくのか、をテーマとした本だ。

こういう内容の本は、これまでほとんど目にしたことがなかったので、
かなり興味深く読ませていただいた。

今、周りを見渡すと、
私たちの世界を作り上げている様々な構築物、
住宅、商店、学校、道路、諸々は、
「コンクリート」や「アスファルト」、あるいは「ガラス」によって、その大部分が出来上がっている。
街中だと、それこそ見渡す限りコンクリートに囲まれているといってもいい。

このコンクリートというのは、素晴らしい素材だ。
中に鉄骨を入れて成型することで、
どんな形にも仕上げることが出来るし、安価で、それなりの強度もある。
アスファルトもそうだ。日本中に道路が張り巡らされて、
日夜車や人が往来しているが、
これが成り立つのは、コンクリートやアスファルトの元となる「砂」が、
他の素材と比べて非常に安価に入手できるためだ。

「砂」というのは、それこそどこにでもある。
陸地や海の底、アスファルトを剥がすと、その下には土がある。
いくらでも手に入るし、どんどん使って、どんどん街を作ろう。
・・・というのは、これからも本当に可能なのだろうか?
というのがこの本の投げかけだ。

実は、建築物用のコンクリートに使える砂というのは、
一定の強度を保つため、ある種の形状の砂である必要がある。
サハラ砂漠には大量の砂があるが、アレはコンクリート素材としては不向きで、
実際に使えるのは、川や海の底に溜まっているような、角の取れていない砂に限られる。

世界の文明化が進み、これまで発展途上国とされていた国でも、
どんどん建設が進むようになってきた現在、
素材として使える砂の消費は、すさまじいペースで増えてきており、
もはや地球が雨や風によって作り出す、砂の供給スピードを遥かに上回ってしまっている。
こういうのは、他の資源についても同じことが言えるが、
例えば入手先を太陽光や風にシフトしようとしているエネルギーと違い、
砂は今のところ他に替えが効かない。
というのも、砂以上に安価に、大量に手に入れることのできる素材が、地球上には無いからだ。

ちなみに、砂を含め、人が消費し続けている地球の資源を、
今のレベルで確保し続けるためには、地球がだいたい1個半必要になるらしい。
世界で最ものびのびと暮していそうなアメリカ人と同じレベルで世界中の人が暮らしていこうとすると、
地球4個半ぐらいが相場になる、というのが著者のヴィンス・バイザー氏の意見である。
こういう状況は100年前には意識されなかったし、そうする必要もなかった。
100年後、世界はどう変わっているのだろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多子世帯の大学授業料無償化について

2023-12-07 23:41:50 | 社会
国が、多子世帯支援として、3人以上の子どもを扶養する世帯に対し、
大学の授業料を無償化する施策を発表して、世論が大荒れになっている。

俺様としても、この案についてはかなり批判的に捉えていて、
どうしてこう、今の国の施策は実態と乖離しているのだろうとため息が出そうになる。

ニュースで街の人たちが言っているように、
もはや出生率が2を割り込んでいる状況で、
対象を「3人以上の子どもを扶養」にするのかがそもそもダメだ。
せめて「2人以上」だろうし、
更に言えば、子どもの養育費が負担になって、
1人の子どもを育てることもあきらめがちになっている現状、
第1子から無償化の対象にしなければ、施策の意味合いは薄い。
予算の兼ね合いからこうなるのだろうが、
中途半端に取り組むなら、いっそやらなきゃいいのに、と思ってしまう。

こんなことに予算を費やすなら、
大学生が望んでやまない給付型の奨学金制度に、国として取り組むべきだし、
貧弱極まりない大学の研究費にももっと力を入れて、
高等教育の意味合いを深めてほしい。
あるいは、就職のために「大卒」の肩書を取りに行かざるを得ない、
今の日本社会の採用制度をなんとかできないのだろうか。
大学へ進学することの意味合いが、そもそも薄すぎる。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世にも危険な医療の世界史

2023-12-05 21:46:44 | 書籍
世にも危険な医療の世界史(文春文庫)


主に中世以降の医療の歴史を、
治療法別にまとめた本である。

内科医のリディア・ケインと、フリージャーナリストのネイト・ビーダーセンの共著で、
医者の目線とジャーナリストの目線で、
間違いだらけだった昔の医者の治療法を、
どちらかというとユーモラスに紹介している。

全体で400頁を超えるボリュームで、
元素、植物と土、器具、動物、神秘の5項目に分かれているが、
読めば読むほど、我々は20世紀の後半以降に生まれてよかったなぁという事例がてんこ盛りである。

中世~近世の治療法として有名な治療法に、
いわゆる「瀉血(しゃけつ)」というのがある。
当時は、病魔に侵されると、体内の悪い成分が体液に蓄積すると考えられており、
これを体外に放出することで体調が回復すると考えられていた。
このため、安静にしても、薬草を飲んでも治らないと、
血管を切り拓いて血を抜くのである。
現代の医学では、大人は大体体内に4~5リットルの血が流れていて、
このうち1リットル程が失われると命の危険が生じると言われているが、
昔の人たちは病気を治すために一生懸命血を抜いたのである、こわっ

血を抜いて、それでも治らないとさらに血を抜く、
そりゃもう治るはずの患者も死んでしまう訳で、
ちなみにアメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンも、
風邪をこじらせたあげくに血を2.5~4リットルも抜かれて敢え無く昇天したらしい。
1リットル失うと命の危険があるというのに、これはもうたまらんのである。

18世紀~19世紀にかけて活躍したイギリスの詩人バイロン卿も熱病にかかり、
瀉血なんぞやったら余計に体調が悪くなるわ、と散々嫌がったらしいが、
結局は医者に説得されて血を抜かれ、この人もそれが原因で亡くなっている。

まぁ実際のところ、当時の人々にとってはこれが普通の治療法であって、
俺様たちが今、普通だと思っている治療法も、
将来は実はトンデモないことをしていたと笑われるかもしれないが、
医療はそうやって少しずつ進歩しているのだ。
この本はそれを教えてくれる。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする