ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

シャクナゲの花芽

2017-02-20 23:20:47 | Weblog



 2月20日
 
 暖かい雨が降っている。
 朝の気温は10度もあった。まだ冬のさ中なのに。
 庭のシャクナゲの花芽が、明らかに大きくなってきた。(写真上)
 つい10日ほど前には、雪にうなだれていたその葉が(写真下)、今は、より日の光を受けようとして、葉先を持ち上げてきている。




 隣にある、ウメの枝のつぼみも赤みを増してきた。
 周りの草原からは、ホオジロのさえずりが聞こえてくる。
 このホオジロは、10日ほど前の雪が降った後に、もう鳴き始めていた。 
 昨日、一昨日と終日快晴の穏やかな日が続き、春の日差しと空気にあふれていた。

 毎年めぐってくる、春の季節の様子が見えてくるかのような、そんな陽気だった。
 確かにそれは、人の気分を浮き立たせて、戸外に出てくるようにといざなうような暖かさだった。
 冬は、もう終わったのだろうか。

 私の待ち望んでいた、雪氷芸術の冬は、わずか2回の雪山を見ただけで終わってしまったのだろうか。
 それならば、いつもの本州への雪山遠征の旅に出かければいいのだが、泊りがけの旅に出ること自体が、もうすでにおっくうになってきている私には、もうとても、一週間前から天気調べをして行く日を決め、交通機関や宿の手配をするという一連の行動が、もう決めてしまえば絶対にその日に行かなければならないしと、強制される大きな負担に思えてきたのだ。
 それよりは、暖かい日差しあふれるベランダに洗濯物を干した後で、揺り椅子に腰を下ろして本を読んだり、家の近くを散歩していたほうが、ずっと気が楽に思えてきたのだ。山は、家の裏山か、すぐに行ける九重の山に登っていればいい。
 あのボーヴォアールふうに言えば、”こうして年寄りは、周りから年寄りだと見られるだけではなく、それ以上に自分で自分を年寄りにしてしまうのだ”。(彼女が書いた『第二の性、女はこうしてつくられる』(生島遼一訳 新潮文庫)の冒頭の有名な言葉、”人は女に生まれない。女になるのだ。” にたとえて言えば。)
 
 思えば、去年の3月初めに八甲田の樹氷を見に行って(’16.3.14の項参照)以来のこの1年、雪山遠征はもとより、夏山遠征にも行っていないし、驚くことに、そのほとんどが九重の山と周辺の低山に登っただけで、北海道にいた時もわずか一回行っただけで、もっとも、その大雪山緑岳登山の時に、ヒザのじん帯をひどく痛めて、それ以来数時間以上かかる登山には、すっかり臆病になってしまったというのが、もっとも大きな理由なのだが。


 ということで、この冬はそんな乏しい冬山体験しかしていないのだが、それだからこそ、再びここで1週間前のあの九重の雪山歩き(2月14日の項参照)を思い返しては、ラクダやウシが二度噛みを楽しむように、ねちねちと楽しむことにしよう。写真だけは、たっぷりとあるのだから。
 まずは、何と言っても、あの飯田高原(はんだこうげん)の朝の霧氷風景が忘れがたい。(写真下)

 

 そして、さらにクルマで雪道を走り、たどり着いた牧ノ戸峠からの、さあいよいよの登り坂の遊歩道。
 その日陰になった霧氷トンネルを登って行くと、先行者の影が空に縁どられた出口になり、その先に見たものは。




 さらに、青空の下、霧氷の木々に囲まれた尾根道をたどって行くと、その日の目的の山でもある、星生山の西面が近づいてくる。
 その手前に、背景の山を飾り立てるかのように、霧氷の灌木が立ち並んでいる。まるで、雪のサンゴのように。
 



 この光景を、松田聖子の歌う『青い珊瑚礁』(三浦徳子作詞 小田裕一郎作曲)ふうに歌ってみれば。

「ああ 私の雪は 北の風に乗って降るわ
 あの 白い風切って走れ あの山へ」

 といった感じだったのだが、前回書いたように、それから天気はすっかり曇り空になってしまい、何も見えないガスに包まれた山頂だったのだ。
 それでも、こうした何枚かの写真に残されているように、雪山の楽しさを味わうことはできたのだ。
 そして、この8年余りの間だけでも 、去年の八甲田をはじめとして、その前の蔵王、大山(だいせん)、燕(つばくろ)大天井岳(おてんしょうだけ)、八方尾根と唐松岳などと、十分に雪山冬山の素晴らしさを楽しませてもらったのだから、今年だけどこへも行かずに本州の雪山を見られなかったことぐらいで、それほど悔しい思いはしないのだ。
 それは、前回書いたように、自分の心の中での、低い満足点での折り合いをつけることに慣れてきた、年寄りならではのあきらめ方でもあるのだが。
 
 つまり、足りないものはいつも身の回りにある何かで、その満足度は低いかもしれないが、何か他のもので補うことはできるはずだ。
 例えて言えば、周りの環境の色に同化して、片足だけをあげて、ゆらゆら前後しては、ゆっくりと進む、あのカメレオンのように生きていけばいいのだ。
 そうして、ライオンにはライオンの、ヌー(同じサバンナに群れで暮らすウシ科の動物)にはヌーの、そしてヒマラヤのユキヒョウにはユキヒョウの(1月2日の項参照)、アイベックス(ヒマラヤヤギ)にはアイベックスの、さらには津軽海峡のハヤブサにはハヤブサの、ヒヨドリにはヒヨドリの、それぞれの捕食者と獲物としての関係があり、その中で互いに生きていくほかはないのだ。

 私たち人間も、この時代のこの間だけにしか生きていけない、限りある命だから、その短い時間の中で、時代が悪い、環境が悪いとこぼしているよりは、そんな中でも自分の満足できるものを見つけることができれば、それが例え周りからはいかに低く見られようとも、自分の中では十分に満足できるものであったりするものだから、つまり要は、自分の好きなものを見つけることであり、それはただ自分だけの小さな満足でもいいのだから、低い平均点にまで下げればいいだけの話のだ。
 そうすれば、今までよりもずっと広い世界が目の前に開けてきて、いかに人生が喜びの発見に満ちているかがわかるはずなのだ。
 
 そうしたことを、私は、思えば母や祖母や叔父などからいつしか教えてもらっていたのだと、この年になって初めて気づくのだ。 
 それだからこそ、貝原益軒(かいばらえきけん)の『養生訓』を読んでも、ヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉(たの)しみ』を読んでも、あるいはNHK・Eテレの『猫のしっぽ カエルの手』のベニシアさんの暮らしぶりを見ていても、あるいはNHKのドキュメンタリー『足元の小宇宙』で紹介された、あの85歳の絵本作家の甲斐信枝さんの、京都嵯峨野での雑草の花観察の毎日を見ていても、さらには富良野に住む倉本聡さんが書いた『北の国から』のドラマを見ていても、そして、あの黒姫山の山麓の森の再生に力を尽くし、森林サンクチュアリーを開いた、C・W・ニコルさんの生き方を見ていても、何か通じ合えるものがあるような気がするのだ。

 とは言っても、そうして田舎に住んでいる人たちは間違いなく少数派に過ぎず、圧倒的大多数の人々は、高層マンションや戸建ての違いこそあれ、都会生活が好きであり都会に住むことをよしとする人々なのだ。
 つまりどの世界にも、物事を良しとする人々と、悪しきことだと反対する人たちがいるということだ。
 ただ私たち年寄りは、それらの意見が両極端にならないように、それでもお互いがそれなりに自分の生き方なりにやっていけるようにと、適当に塩梅(あんばい)して考えることはできるのだが。

 ここであのゲーテの言葉の中から。

「豊かさは節度の中にだけある。」

(クリストフ・カイザーへの書簡から、1780年1月20日。『ゲーテ格言集』高橋健二訳編 新潮文庫 )

「人間は、その無際限な努力が、自分自身に限界をさだめないうちは、幸福になれない。」

(『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』山崎章甫訳 岩波文庫)
 
 いつもこうした格言や名句をあげるのは、あくまでも対話者のいない自分への戒めの言葉であり、励ましの言葉でもあるからだ。
 
 朝の雨が上がった後、さらに時々、小雨混じりの強い風が吹き荒れて、気温は14度くらいまでしか上がらなかった。
 また、冷たい空気が入り込んでくるとの予想だが、もう九重の山があれほど白くなることはないのかもしれない。
 その代わりに、昔の思い出をと。

 ・・・雪は、ひとしきり降り続きました。
 その夜、私は、ひとりランプのもとで、昔の雪山の物語を織ったのでした。
(立原道造「はじめてのものに」よりの自作の一節)
 

 

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