しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

札幌の創成川公園のライラックは多くが終わりです。しかし、遅咲きのものが、今、満開となっています

2020-06-10 20:08:24 | Weblog

 5月から、私を楽しませてくれた、創成川公園のライラック。私は、3日に1回、在宅勤務が有りますので、毎日ではないですが、咲き誇るライラックの中を散策していました。しかし、多くが終焉を迎えました。

 

 


 中には、花が全く無く、葉だけのものも有ります。しかし、遅咲きの種類が有ります。それらのライラックは今が満開で、盛りです。

 トップの写真のチョウセンハシドイの「ミスキム」です。
 下の写真のウィローサエライラックの「メヌエット」です。

 

 同じくウィローサエライラックの「ミスカナダ」です。

 

 そして、「ウスゲシナハシドイ」です。

 


 みんな、見事です。そして、甘い香りを放っています。創成川公園には、30種類のライラックが植えられているそうです。
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札幌の街を東西に分ける創成川。その創成川の元となる大友堀を造った大友亀太郎は、札幌にわずか5年しかいなかったことを知りました

2020-06-08 18:56:23 | Weblog

 札幌の街は創成川で東西に分けられています。東〇丁目、西〇丁目となります。その創成川の元となる大友堀を造ったのが、大友亀太郎です。創成川には、トップの写真の像が、旧高欄とともに設置されています。

 その横に下の碑文が有ります。

 

 大友亀太郎氏は、1834年(天保5年)に今の神奈川県小田原市に生まれたそうです。二宮尊徳に師事し、1858年(安政5年)に蝦夷地に来たそうです。函館奉行所で働き、蝦夷地開発の計画書を函館奉行所に提出します。1866年(慶応2年)に函館奉行所の石狩地方の開拓の命を受け、札幌市東区(旧元村)で、伏籠川から開拓を始めたそうです。そして、大友堀を掘ったそうです。1869年(明治2年)には、開拓使に全てを引き継ぎます。そして、1870年(明治3年)には、札幌を去り、故郷の小田原市に帰ったそうです。

 私は、驚きました。「札幌には、1866年から1870年の5年しかいなかったんだ!でも、歴史に残るすごい仕事をしている!」
 札幌に生まれ住んで、60年を超える私ですが、知りませんでした。まだまだ、知らないことが多いです。
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札幌には、1910年に架設された石橋の「創成橋」が有ります。現在は、新しく造られた部分をサンドイッチする形で復元されています

2020-06-06 15:56:41 | Weblog

 1869年(明治2年)に開拓使判官となった島義男氏は、札幌の街づくりをするに当たり、大友堀の岸を札幌の起点にします。そして、そこに橋が架けられました。しかし、洪水の度に損壊していたようです。1910年(明治43年)に石造のアーチ橋が架けられました。創成橋です。
 橋長は6.9mと短いですが、幅員が13.85mも有りました。かつては、1918年(大正7年)から路面電車もこの橋を渡っていました。堅牢な石橋です。石材は札幌軟石が使われました。また、これまでの石橋と異なり、モルタルやコンクリートが使用されています。
 現在は、アーチの部分は違う石が使われています。札幌軟石は風化しやすいことから、他の石に置き換えたそうです。

 その創成橋は、創成川連続アンダーパス事業でいったん撤去されましたが、2010年(平成22年)に改修復元され、姿を伝えています。

 トップと下の写真です。

 

 


 片側に4つある擬宝珠が高欄に付けられています。江戸時代は、藩主が中納言以上でないと橋に擬宝珠を付けることができなかったそうです。

 


 現在の創成橋は、新しく造られた部分が真ん中にあり、古い部分でサンドイッチにしています。一体になっていないので、舗装に亀裂が入ります。かなり補修しているようです。下の写真です。

 

 

 


 東側の橋詰には、「札幌建設の碑」が有ります。

 

 ここを起点として、碁盤の目のような札幌の街並みが形成されました。そして、創成橋は土木学会の推奨土木遺産に認定されています。そのことを示す表示と「札幌建設の碑」が並んで設置されています。

 

 最後に、「札幌建設の地」碑文と創成橋です。

 
 
 
 
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札幌も緊急事態宣言が解除されました。でも、市外には自粛するよう求められており、2ヶ月ぶりに自家用車を走らせ、旭山記念公園に行ってみました

2020-06-04 21:20:54 | Weblog
 
札幌も、5月25日、新型コロナウィルスに対する緊急事態宣言が解除されました。しかし、札幌市では依然、多くの感染者が発生することから、市外に出ることは、自粛するよう北海道知事(6月18日まで)から求められています。ならば、市内のどこかにと思いました。
 考えてみたら、この2ヶ月の間、私は、全くハンドルを握っていません。そこで、5月30日、自家用車を走らせ、旭山記念公園に行ってみました。

 第二駐車場に車を止めました。

 

 森の中の道に入ります。「ここから、藻岩山にも行けるんだ。」と思ったのが、下の表示です。

 

 森の中の道を進みます。新緑が眩しいです。綺麗な花も咲いています。

 

 


 森の家は休館しています。「結構、人がいるな。みんな考えることはいっしょか。」と感じました。

 


 展望広場に続く道に出ました。

 


 旭山記念公園は札幌市の創建100周年を記念して造営されました。1970年(昭和45年)のことです。この公園は、標高137,5mにあり、札幌市内が一望できます。
 トップの写真のような景観が広がります。

 つつじの赤い色が素敵です。

 



 


 こちらが私の家の方になります。目印は札幌ドームです(歩いて30分ほどです)。

 


 展望広場の別の場所からは、石狩湾を望むこともできます。

 

 


 旭山記念公園からの夜景も綺麗です。札幌は、日本新三大夜景のひとつとなっていますので、美しさは格別です。


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家の近所のお宅では、藤棚の藤が見事な花を咲かせていました。また、私の所属する町内会を去った方のお宅でも、花が綺麗に咲いています

2020-06-02 20:45:22 | Weblog

 私の所属する町内会にあるお宅で、藤棚の花が見事になっていました。トップと下の写真です。

 

 

 


 このお宅では、他にも多くの花が咲いています。

 

 

 


 そして、長年、私の町内会に所属していた方が、施設に転居し、空き家となった家でも、花が綺麗に咲いていました。

 

 私たちの世界は常に変化します。私の住む地域も大きく変化したと実感しています。残念ですが町内会を去っていく方がいます。一方で、新たに来られる方もいます。そして、今年、新型コロナウィルスで生活様式までも大きく変化してしまいました。
 花たちだけが、変わらず私たちを喜ばせてくれます。
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