富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「聖家族のエジプト避難」 マタイによる福音書2章13~23節

2016-12-31 23:48:15 | キリスト教

  2017年1月1日 新年のご挨拶を申しあげます。                    「あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」(イザヤ60:1) 富谷教会 &茶席松風亭入口 

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

  日本キリスト教 富 谷 教 会     週    報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、     キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

降誕節第2主日 元旦礼拝   2017年1月1日(日) 午後5時~5時50分

       礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 368(新しい年を迎えて)

交読詩編   70(神よ、速やかにわたしを救い出し)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)マタイによる福音書2章13~23節(新p.3)

説  教   「聖家族のエジプト避難」 辺見宗邦牧師

祈 祷                

讃美歌   268(朝日は昇りて)

聖餐式

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

            次週礼拝 1月8日(日) 午後5時~5時50分

            聖書  マタイによる福音書3章13~17節

            説教  「イエスの洗礼」 

            讃美歌(21)368 528 24 交読詩編2篇

   本日の聖書

 13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、 15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 16さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 17こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 18「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」

 19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、 20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。 22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、 23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

  本日の説教

 日本の商店では、12月25日のクリスマスが終わると、クリスマスの飾りつけは片付け、歳末売り出し、お正月に向けて店頭を飾ります。しかし欧米では、クリスマスの日から数えて12日後にくる1月6日の公現日まで、クリスマスの祝いは続きます。

 クリスマスの最後に来るのが、教会歴で公現日と呼ばれる祝日です。公現日は、栄光祭(エピファニー[輝き出るの意味])とも呼ばれています。キリストの出現により、神の栄光が世界に現されたことを祝う日です。この日は、東方の占星術の学者たちがキリストを礼拝した日としても祝います。

 マタイ福音書の2章の前半には、東方のペルシャから来たと思われる占星術の学者たちは、強く輝き出した明るい星に導かれ、エルサレムに来て言いました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と言ったのです。これを聞いて、ヘロデ王はもしかすると自分の地位がおびやかされるのではないかと不安を抱きました。王はメシアが「ユダヤのベツレヘム」で生まれることを預言書にあることを調べさせ、占星術の学者たちに教え、見つかった知らせてくれと頼み、ベツレヘムへ送り出しました。ヘロデ王はメシアとして生まれた幼子いる場所を突き止め、暗殺しようと企んだのです。学者たちは、再び東方で見た星に導かれ、幼子いる場所にたどり着き、幼子を拝み、宝の箱を開けて贈り物を献(ささ)げました。

 今日の聖書の個所は、東方から来た占星術の学者たちが、ヘロデのところへ帰るなと夢でお告げがあったので、別の道を通って自分の国へ帰って行った後の話です。

 学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れ、「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と告げました。

   ヨセフは、起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいました。これは主なる神が預言者を通して言われた、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」(ホセア書11:1)と言う預言が実現するためであった、とマタイは記しています。

 聖家族は何故エジプトに行き、また戻られたのか。直接的には、ヘロデ王の手から逃れるためでした。しかし、それだけではありませんでした。これには「新しい出エジプト」という意味があったのです。それを示しているのが15節の言葉です。「ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」とあります。これはホセア書11章1節の引用です。つまり、預言者によって預言されていた新しい出エジプトが、イエス様によった為されるということなのです。モーセによって、奴隷の家から救い出されて神の民として歩み出したイスラエルです。神様の救いの御業、救いの出来事としての出エジプト。その神様の救いの御業が、今、イエス様によって全く新しいあり方で為されるということです。つまり、罪と死の奴隷であるすべての民を、イエス様が救われる。罪の赦しを与え、永遠の命を与えるという神様の救いの御業がイエス様によって為されるということです。

  エジプトの首都カイロの発祥の地、オールド・カイロにあるコプト教の聖セルジウス教会の地下にある洞窟が聖家族(イエス、マリア、ヨセフ)が避難した時に過ごした場所とされています。

  5世紀にその洞窟の上に教会が建てられ、何度も焼失しました。現在の聖セルジウス教会の建物は12世紀のものです。コプトの伝承によると、ヘロデの殺戮を避けてエジプトに避難した聖家族は、ヘロデが亡くなる紀元前4年まで、三年間エジプトに住んでいた、伝えています。この伝承に従えば、イエスの誕生はヘロデがなくなる三年前の紀元前7年という事になります。

 さて、一方のヘロデ王ですが、占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒りました。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させました。それはヘロデ王がイエス様を殺そうとしたからです。ヘロデ王は、自分こそがユダヤの王なのであって、自分に代わってユダヤ人の王となる者が生まれたということを断じて許すことが出来なかったのです。

 幼児殺害という残虐な事件ですが、聖書の記録以外に、このことを記した記録はありません。だが、イドマヤ出身のヘロデ王は、ローマの力を借りて、イスラエル王朝(ハスモン家)倒し、王になりました。正統性を主張するためにハスモン一族のマリアンメと結婚するが、ユダヤ人(ハスモン王朝)の血を継ぐ二人の息子、アリストブロスとアレクサンドロスを処刑した時期とベツレヘムの幼児殺害事件が重なっています。こうして、「預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した」とマタイは記します。神が警告されていたことが、罪深い人間の手によってその通りにおこなわれてしまったとのです。

  実現したエレミヤのことばは、エレミヤ記31章15節に記されています。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」

  ここでラケルの嘆きが歌われているのですが、ラケルというのはヤコブの妻です。「ラマ」は、エルサレムの北約8キロにある町で、伝説によれば、ここにラケルの墓がありました(サムエル記上10:2)。ラケルとレアから、正確には二人と二人の召使いから、12人の男の子が生まれ、それがイスラエルの十二部族となりました。つまり、ラケルはイスラエルの民の母なのです。そのイスラエルの母であるラケルが、息子がいなくなったと嘆く。それは、バビロン捕囚の故です。紀元前587年に南ユダ王国はバビロンによって滅びます。多くのユダの若者が死んでいった。あるいはバビロンに連れて行かれた。そのことを民族の母であるラケルの嘆きとして歌っているのです。

 しかし、この言葉はエレミヤ書においてこう続くのです。31章16~17節「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」つまり、このラケルの嘆きは嘆きのままで終わらない。涙がぬぐわれ、苦しみは報いられる。息子たちが帰って来る。未来には希望がある。このように、慰めと救いが約束されいるのです。マタイは、ラマの悲しみを、メシア待望の希望の中に置いているのです。

 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言いました。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来ました。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れました。

  ヘロデ王(在位:紀元前39年~4年)は紀元前4年に死んでいます。69歳で死んだとされています。ヘロデの死後、ローマ皇帝はパレスチナ全体を三つに分割して、ヘロデの三人の息子たちに分割統治させました。アルケラオにはユダヤ・イドマヤ・サマリヤを与えたが、その地位は王ではなく、領主としました。

  ユダヤの領主となったアルケラオは暴君で、残酷な統治をしたため、在位10年にしてガリアに追放されます。ヘロデ大王の孫にあたるアグリッパ一世がユダヤだけでなくヘロデ王時代の支配地を任され、統治します。アグリッパ一世の死後は、ユダヤはローマ総督の直轄下になりました。

   ヨセフ一家はイスラエルに戻ろうとしたのですが、夢でお告げがあり、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住みました。マタイは、「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった」、と記しています。

 イエスはエジプトからナザレに戻りましたが、それも神の御心であったと告げているのです。イザヤ書11章1~2節「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」との預言です。つまり、「ナザレの人と呼ばれる」とは、「若枝と呼ばれる」ということを指していると考えられるのですイザヤ書11章1節に記されているメシアについての「エッサイの若枝」の「若枝」と、「ナザレ」が同じ語根です。

 また、イエスはユダヤ人たちから「ナザレ人」と呼ばれました。この表現は、単にナザレの出身者と言う意味だけでなく、「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハネ1:46)と言う軽蔑の意味が込められていました。イザヤ書53章に見られるように預言者たちは、人々に侮られる苦難の主の僕(しもべ)メシアを預言しました。マタイは、イエスがナザレに住まわれた事実の中に、預言者たちの「僕(しもべ)としてのメシア」の成就を見たものとも思われます。

 虐殺を避け、難民として避難したマリアとイエス、この母子を守るため、ヨセフは神の御声に従って、きわめて重要は働きをして支えました。この聖家族がヘロデ王の殺戮から逃れるためにエジプトに避難したことは、内戦の殺戮を避けて避難しているシリアやアフリカからの難民を思わせられます。主イエスはこれらの難民と共にいます方でもあるのです。

 主イエスは、実に暗い闇の世界に誕生しました。まことの光であるイエス様は、闇の中に来られたのです。その闇は、人間の罪が作り出す闇です。この闇は、今もこの世界を覆っています。私共もこの闇の中で嘆き、不安と恐れに支配されそうになってしまいます。「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ」(マタイ4:16)とイザヤが預言したように、主イエスは闇を照らすまことの光として来られました。「あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」(イザヤ60:1)ことがクリスマスによって確かなものとなったのです。

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