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首斬り浅右衛門 その②

2008-05-24 20:28:05 | 読書/日本史
その①の続き
 斬首、試刀いずれも難儀な技術が求められる。代を重ねる毎に据物斬りの家伝が成立し、工夫研究が重ねられた。秘伝書の一部にはこうある。
えい、やっと太刀先強く打ち下ろすに、手内、左右ともに強く締める。腰柔らかに、足の広さ一尺、踵を上げ、爪先を強く踏む。打ち込む時、ひじ少なく曲げて引く心得にて、すなわち、太刀を先強く切り下げる…

 屍を斬る試刀はともかく、生者の首を刎ねる作業を浅右衛門はどのように感じていたのだろうか。最後の8代目・吉亮(よしふさ、1854-1911年)は名人と謳われ、生涯3百の首を切り落としたという。その中に明治の毒婦と称された高橋お伝島田一郎(大久保利通暗殺者)のような有名人も含まれているが、その彼の述懐は興味深い。

刑場に臨みますと、多くは罪人を見ません。罪人を見ると、どうもいけませんから、まず自分の役回りにならぬ間、空などを仰ぎ、樹木の葉の揺曳(ようえい)などを見ております。やがて容易万端整い、よろしいとなって、土壇場に向かう時、罪人をハッタと睨んで、汝は国賊なるぞ、と一歩進めるとともに、刀の柄に手をかけます。
 これは今日まで誰にも口外致しませんでしたが、その時
涅槃経の四句を心中に誦します。柄にかけた右手の人差し指を下ろす時“諸行無常”、中指を下ろす時“是生滅法”、無名指を下ろす時“生滅滅已”、小指を下ろす時“寂滅為楽”と誦え、その途端、首が前に落ちるのです…

 山田家では斬首のあった晩、平河町の居宅に町芸者を呼び、弟子たちと共に夜通し大酒宴を催したそうだ。ここにも人斬り後のやりきれない心境が伺える。
手前や弟子など、人を斬って帰ってきますと、どういうものか頭がボーッとのぼせて、大変な疲れを覚えます。ひと口に血に酔うとでも言うのでしょうか。とにかく妙な気持です

 代々山田家はまた俳句を読んでいる。それもまた、風流には程遠いものがあり、職業柄の業から来るのだろう。
一振りの枕刀や時鳥(3代吉継・1705-70年)
こおろぎや、地獄をめぐる油皿(4代吉寛・1736-86年)

 山田浅右衛門は幕府崩壊後も明治政府に仕え、斬首役としてしばらく腕を振るっていた。明治3(1870)年の新綱領により、絞首刑が採用となり、死刑は絞首と斬首と併せて執行される。だが明治13年の刑法改正により、斬首は廃止となる。政府による西欧基準を意識しての決定だった。斬首を野蛮視する西欧の批判もあったと思われる。
 明治14年7月24日、強盗殺人犯・巌尾竹次郎と川口国蔵を斬ったのを最後に、山田家は廃役、日本での斬首刑も終了する。

 殆どの日本人には斬首刑など、遠い昔の出来事にしか感じられないだろうが、現代もイスラム諸国の一部で行われている。サウジアラビアに至っては公開執行され、しかも日本のように一撃で首を斬り落とすやり方ではなく、ナイフで時間をかけて首を斬るらしい。フランスも死刑制度が廃止される1981年9月まで、一貫してギロチンが用いられていた。明治政府もギロチン式処刑を取り入れたのなら、文明的と見なされたのだろうか。

 18世紀初頭のイギリスには死刑に相当する犯罪の種類は50程あったという。19世紀初頭には人道主義ゆえに減少したと思いきや、さらに220まで飛躍的に増加する。少年にも死刑宣告を下しており、1833年、ロンドンの一商店のガラスを壊し、2ペンスの絵の具を盗んだニコラス・ホワイトという9歳の少年は死刑判決を受けている。
 19世紀となれば、イギリス本国で斬首刑は行われなかったかもしれないが、インド大反乱(1857-59年)で捕われたムガル皇帝バハードゥル・シャー2世の皇子は、イギリス将校によりその場で首を刎ねられている。
■参考:『歴史読本』昭和63年6月号、新人物往来社
     『世界リンチ残酷史』柳内伸作著、河出文庫

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2 コメント

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大変な職業 (スポンジ頭)
2008-05-31 19:34:12
山田浅右衛門の家では特殊な職業のため養子が跡を継ぐことが多かったと言いますが、倫理観が違う江戸時代でも普通の神経だと耐えられないのでしょう。ヨーロッパも中世、死刑執行時は執行人が罪人に許しを乞った上で処刑したと言いますし。やはり自分が被害者でもない限り、人を殺すのは精神の負担が重いのでしょう(それにしては近頃安易な殺人が多いような)。

>>山田家では斬首のあった晩、平河町の居宅に町芸者を呼び、弟子たちと共に夜通し大酒宴を催したそうだ。
現在、絞首刑は刑務官が複数で行い、誰が行ったのか分らないようになっていて手当ても出ますが、皆さん飲みに行ってその日のうちに使い切ると何かの本で読んだことがあります。時代が変わっても人の行動はさほど変わらないようです。

フランス革命200周年の際、フランスでルイ16世を処刑したシャルル=アンリ・サンソンの子孫らしき人物の家に朝日新聞だったかが取材に行ってその家の人から否定されたそうですが、サンソンの墓には花が今でも供えられているので子孫はいるようです(ウィキペディアでは絶えているらしいとあります)。200年ぐらいでは歴史にならないのでしょうか。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%AE%B6
死刑執行人 (mugi)
2008-05-31 21:21:48
>スポンジ頭さん

先日、あるブロガーさんも江戸時代の斬首について書かれていましたが、執行人が男性のため、女性の斬首は特に苦痛に感じたそうです。男性は概ね覚悟して処刑に臨みますが、女性の場合はとかく暴れ、泣き喚く。そのため打ち損じが多くなるとか。観念的な男性と即物的な女性の違いがあり、女性の恐ろしさもここに原因があると憶測されていました。

私もかなり以前のTVで、刑務官のドキュメンタリーを見たことがあります。その時まで、死刑について何も考えたことはなかったのですが、刑務官の職務の大変さを初めて知りました。死刑囚には同情はありませんが、刑務官こそつらい。
近頃安易な殺人が多いのは、死刑にならないと見くびっていることもあるかも。

シャルル=アンリ・サンソンは有名な死刑執行人ですが、彼自身が王党派、熱心な死刑廃止論者だったのは皮肉です。
彼を抜いたヨハン・ライヒハートは20世紀の人物なので、これも驚きました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88