トーキング・マイノリティ

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中東に売られる子供たち その①

2017-05-21 21:40:13 | 読書/小説

 最近、夢中になって読んだ小説がある。『シャンタラム』(グレゴリー・ディヴィッド・ロバーツ著、新潮文庫)上巻がそれで、これほどリアルにインド最大の商都ムンバイ(旧ボンベイ)の裏社会を描いた物語は、他に見当たらないかもしれない。
 インドの小説自体、日本での邦訳が極めて少ないにせよ、私がこれまで見たムンバイを舞台にした小説の中でも異色作だった。しかも、名前から著者はインド人ではなく、オーストラリア人。文庫本にあった著者の経歴にはこうある。

1952年、豪メルボルン生れ。十代から無政府主義運動に身を投じるも、家庭の破綻を機にヘロイン中毒に。1977年、カネ欲しさに武装強盗を働き、服役中の'80年に重警備刑務所から脱走。'82年、ボンベイに渡り、スラム住民のために無資格・無料診療所を開設。
  その後、ボンベイ・マフィアと行動を共にし、アフガン・ゲリラにも従軍。タレント事務所設立、ロックバンド結成、旅行代理店経営、薬物密輸の後に再逮捕され、残された刑期を務め上げる。2003年に本書を発表し、現在もインドの貧困層を支援するチャリティ活動に奮闘中

 これだけで、著者が並みの作家とはかなり違う人生を歩んできたか伺えるが、文庫版上巻の裏表紙では作品をこう紹介している。
男は武装強盗で20年の懲役刑に服していた。だが白昼に脱獄し、オーストラリアからインドのボンベイへと逃亡。スラムに潜伏し、無資格で住民の診療に当たる。やがて“リン・シャンタラム"と名づけられた彼のまえに現れるのは奴隷市場、臓器銀行、血の組織“サプナ"――。
 数奇な体験をもとに綴り、全世界のバックパッカーと名だたるハリウッド・セレブを虜にした大著、邦訳成る!

 私がこの本を知ったのは、鈴木傾城氏のブログ『ブラックアジア』のコメント欄から。鈴木氏もインド社会の問題をよく取り上げており、俄然興味が湧いた。“シャンタラム”という題名自体、実に響きがよい。シャンタラムというのは現地の言葉で、「神の平和を愛する人」の意。主人公をこう呼んだのが、インド人の親友プラバカルの故郷の村の女だった。
 プラバカルはムンバイ生まれではなく、マハーラーシュトラ州の農村出身。この州の公用語はマラーティー語なので、シャンタラムはこの言語だろう。尤もwikiのインドの公用語の一覧だけで20もの言語があり、インド全体で、9,000万人ほどの言語使用者がいると算定されているとか。

 ついでに“リン”とは、ヒンディー語で男性器を指し、英語風に言えばペ○スとなる。このニックネームを付けたのこそプラパガルで、はじめは主人公も嫌がっていたが、やがて受け入れる。主人公の祖国はもちろん、日本や欧米でミスター・ペ○スとなれば、酷く卑猥な印象を受けるが、インドではそうではないのは面白い。プラパガルが言うにはむしろ“リン”とは幸運な名で、この名を聞けば皆気に入る、と。
 実際にプラパガルの言うとおりになり、主人公は“リンババ”とも言われるようになる。“ババ”はインド諸言語圏で、「父」や「長老」を意味する尊称である。ちなみにプラバカルとは、ヒンディー語で“光の息子”の意。日本風には光男ということ。

 州都ムンバイには、マハーラーシュトラ州の農村はもちろんインド全土から夥しい出稼ぎ者が押し寄せ、それがスラム形成に繋がる。それでも、経済成長著しいインド最大の商都ならば、他の街に比べ住民の多くはさぞ豊かと思いきや、決してそうではないようだ。
 基本産業や闇市場ともども州都の富は、インドの他の市から来たパールシーやヒンドゥー教徒、一番の嫌われ者のムスリムが握っているという。さらにムンバイの住民の半数はホームレスとも書かれてあった。ここから争いが生まれ、人種や言語、宗教に関する対立の背後には、富の配分を巡る経済戦争があるらしい。

 ムンバイのスラムでは堂々と人身売買が行われ、そこでは年端もいかない子供たちが売られている。プラバカルはそれをシャンタラムに見せ、「人市場」と呼んでいたが、ぼろぼろの日よけの下に座っている子供たちは、事実上の奴隷なのだ。主な買い手はアラブ人で、子供たちはサウジやクウェート、その他のペルシア湾岸諸国に売られていく。プラバカルによる「人市場」の説明には、主人公と同じく私も言葉を失う。
その②に続く

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