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アジア主義の悲劇 その④

2009-11-02 21:52:10 | 読書/日本史

その①その②その③の続き
 高坂正堯氏は、日本の大失敗は西洋への対抗とアジア失敗が結びついてしまったところに基本的原因がある、と結論付けている。西洋への対抗とアジア諸国との関係を別々に突き詰めて考えれば、何らかの答えが得られた可能性も小さくなく、国際秩序の改造にしても様々な方法があることが判ったはずだろう、と。
 ただ、それは難しいことでもあり、ペリー来航以来存在し、内に篭もった西洋への憤りは実に強いものがあった。そして、人間は理想的な状況でゆっくりと時間をかけて考えることを、まず許されず、切迫した状況の中で、限られた材料での判断を強いられる。それでも全員が間違うとは限らない。基本的に中国での日本の行動の問題性を明確に認識しなかったことにも、原因があると氏は言う。

 文学者・伊藤整太平洋戦争開戦日に日記に書いた文章は興味深い。「我々は白人の第一級者と戦う外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持っている」。そうした気持がありすぎて、日本人は中国をそれなりに見、尊重することが出来なかったように思われる、中国大陸に出かけ、そこでの実情を学び、やがて対中政策作成に関った軍人達を調べると、高坂氏はそう感ざぜるを得ないそうだ。
 大陸に渡った人々はある意味では中国が非常に好きであり、一度は中国に大きな期待を寄せた後、酷く低い評価を下すようになる場合が殆どである。中国への思い入れが強ければ強いほど、そうした傾向があった。中国が中国流のやり方で偉大になる可能性があると考える人はごく稀だった。そのため、中国と携えてというのが指導してになり、やがて支配下に置いて、という風に変わっていく。これを怪しむ人も少なくなかったが、明確な形で言った人は稀、力を持ち得なかった。

 それを高坂氏は日本人のルールに関する考え方の欠陥に基づいている、と指摘する。駐日大使グルーは日記にこう述べていた。
-日本人は彼ら自身が彼らに利益があると思うことと相反する種類の、契約的責任の森厳を理解することが、基本的に出来ない(1933年2月23日)
-日本人の大多数は、本当に彼ら自身を騙すことについて、驚くべき能力をもっている。彼らは心から彼らのやってきたことが正当である、と信じている(1933年3月27日)

 もちろん、国際的なルールには曖昧なところがある。所詮人間が作るものだし、従ってその時の状況も反映する。しかし、だからといえ、それを無視してもよいことにならない、と氏はクギを刺す。ただ、ルールは変わるものだし、破られることもある。特に国際関係ではそうであり、“事情変更の原則”というものもある。しかし日本人は、余りにも簡単に状況に従いすぎるのではないか、と高坂氏は見る。逆に言えば、原則に固執する頑固者が少ないということにもなる。原則を守る故に、意地でも大物には従わないという者がおらず、トクになるから従っておこうという状況判断が支配する。1930年代の日本は、そうした欠陥が失敗の修正を困難にし、失敗が拡大、大失敗に至ったと氏は考えているそうだ。そして、高坂氏は末尾でこう結んでいる。

ただ、それは日本人の美徳と表裏一体になっているから、完全に克服することは出来ない。その美徳とは日本人の柔軟性であり、外国のものを導入する時に、何回も発揮されてきた。日本が近代化にいち早く成功したのもそのためだ。それだけに尚更、我々は美徳の裏の大きな欠点を意識し続けなくてはならないであろう。

 高坂氏のコラムは、私自身もかなり思い当たることがあるため、考えさせられる。私も含め少なくない日本人が未だに、英米への反発を感じているだろう。その他にも中国のような隣国に妙な思い入れをしている者も珍しくもない。戦前、中国への思い入れが強い者ほど、アジア主義に陥ったのも興味深い。この類こそ実はアジア蔑視の裏返しだったのだ。欧米への幻滅からだけでアジアに肩入れする日本人もいるが、己が想い描く幻想に酔っている手合いもいる。

 私は戦前の日本の進路を大きく誤らせた集団こそ、当時の半可通の“出羽の守”だったと考えている。アジア主義者と戦後の進歩的文化人の言動の、何と酷似していることか。グルーの指摘した日本人の自己欺瞞は耳が痛かったが、これは程度の差はあれども、どの民族にも見られるはずだ。アメリカ人にもそれはあるし、他の国民も大同小異ではないか、等と書けば、これまた米国への反発となろうか。
人間が集団を成して民族を形づくるというと彼らの虚栄心をそそり、彼らに利益になることなら、どんなことでも信じ込むものなのだ…我々は不幸にして誰でもこのような振る舞いをし、自分の民族の特性を褒め称えながら、肩をそびやかして歩く…(J.ネルー)
■参考:『世界史の中から考える』(高坂正堯 著、新潮選書)

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4 コメント

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金正日はバカではない (のらくろ)
2009-11-03 10:57:57
少なくとも戦前、戦時中に実質的な日本の支配層にいた連中よりは、だ。

>原則に固執する頑固者が少ないということにもなる。原則を守る故に、意地でも大物には従わないという者がおらず、トクになるから従っておこうという状況判断が支配する。1930年代の日本は、そうした欠陥が失敗の修正を困難にし、失敗が拡大、大失敗に至ったと氏は考えているそうだ。

「状況判断」、別の言葉でいいかえれば「クーキヨメ」だ。21世紀に入ってからだと思うが、この言葉がどれだけ我が国を「支配」したことか。いや、その支配は今でも続いているのではないか。

>私も含め少なくない日本人が未だに、英米への反発を感じているだろう。その他にも中国のような隣国に妙な思い入れをしている者も珍しくもない。戦前、中国への思い入れが強い者ほど、アジア主義に陥ったのも興味深い。この類こそ実はアジア蔑視の裏返しだったのだ。欧米への幻滅からだけでアジアに肩入れする日本人もいるが、己が想い描く幻想に酔っている手合いもいる。

「アジア」の認識こそが大問題だ。戦前、アジアに国と言えるものは、日本のほかには、国の体をなしていたかどうかはべつとして、「中華民国」があるほかは、タイがかろうじて残っているだけで、インドネシアは「阿蘭陀領印度支那(略称「蘭印」)、ベトナム、ラオス、カンボジアは「仏蘭西領印度支那(略称「仏印」)、フィリピンは、将来の独立についてアメリカから了承を得ていたとはいえ、アメリカ領だった。だが、現在はすべて独立国である。日本自体は島国なのだから、他の島国との連携を図る方が、「詐欺師以外の仕事はみな大ウソ」という連中が跋扈する大陸や半島に媚を売るよりはるかにリアリティがあるではないか。

日米戦争を避ける手段はなかったかのように言われているが、実はそんなことはない。フランクリン.D.ルーズベルトが1940年大統領選で「重ねて重ねて申し上げる。米国の母親の皆さん、あなたがたの御子息が戦場に赴くことは決してない」と公約して大統領3選を果たしたことは、機密事項でもなんでもないのだから、日本としては、その当時の野党共和党と結託して、「ルーズベルトは日本に戦争を仕掛けようとしている。公約違反だ」と連邦議会で糾弾するようロビー活動をしかけることはできたはずだ。陸軍機密費の半分も割けばそういう「仕掛け」はできたはずなのに当時の東条内閣は何もやっていない。日本が当時何に困っていたかといえば、石油の輸入ができないということなのだから、対日禁輸していたオランダ(先に書いた阿蘭陀領印度支那)に「強制買付」に出向けばよい。やることは見た目は強奪だが、前金でスイス銀行のオランダ政府なり王室なりの口座に振り込んでおけば、オランダ側の「債務不履行」を正したとの言い訳ぐらいはできる。当時のオランダ本国はナチス・ドイツの占領下であり、ドイツと日本は同盟関係にあった。ヒトラーに手をまわしてオランダの首根っこを押さえるぐらい簡単だったはず、にもかかわらず、ここでもなにもしていない。

オランダから石油を「強制買付」した場合、当然に英米の強硬な反発は招くだろうが、さて、それで両国が対日戦を仕掛けたかどうかは別問題だ。英国は意外に単純に仕掛けてくるだろうが、アメリカは大統領選の公約がある。「なんでオランダと日本の係争中事案に、アメリカが介入して、そればかりかアメリカの若者が血を流さなければいけないのか。ルーズベルトは公約違反しようとしている」と野党共和党に「機密費」を掴ませて連邦議会で煽りたてさせればよい。もちろん英米は先に日本から仕掛けさせるよういろいろな罠を仕掛けてくるだろうが、それに乗らないよう現地(陸軍)、現場(海軍)をガッチリ抑え込んで、仕掛けは、特に英国からやらせれば、史実どおりのマレー沖海戦で、英国東洋艦隊は全滅。西太平洋は日本の勢力下にできたはずだ。アメリカが強硬に仕掛けてきたら、その時は限定的に応戦する。小笠原沖海戦かフィリピン沖海戦で迎撃すればよい。先陣はロ号潜水艦で打撃を与え、二の矢は世界に誇る空母機動部隊が米艦隊の半分強を航行不能にし、最後におそらく就役していたであろう「大和」を旗艦とする「長門」、「陸奥」以下の戦艦部隊+水雷戦隊での艦隊決戦に持ち込めば、遠征アメリカ艦隊は全滅に近い損失を出し、仕掛けたルーズベルトは1942年の中間選挙で野党共和党に議会をもぎ取られて政権ダッチロール。アメリカの政権争いに持ち込めば日米講和の道筋も見える-というもの。

実は、金正日はこういうことをアメリカに仕掛けまっくて6か国協議など屁とも思わずに体制を維持している。なのに、昭和の政府、軍はどうであったか、まんまと英米の仕掛けに乗って、我が国を亡国の憂き目へと陥れたのだった。そしてその十分な検証もないまま65年。現政権の盲目ぶりは金正日はもちろん、昭和の戦時中内閣にも劣るほどである。
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Re:金正日はバカではない (mugi)
2009-11-03 20:44:29
>のらくろ さん

 仰るとおり金正日は戦前、戦時中はもちろん、戦後の殆どの日本の支配層よりも狡猾ではないでしょうか?そして、輪をかけて情けないのが、最高学府を出ながら「非武装中立」を唱えた“進歩的文化人”の連中。その1人で高坂氏と論争した坂本義和など、横田めぐみさんのご両親に対し、「自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ。それが人道的ということなのだ」と暴論を吐いていました。この類は自らは絶対支援しないタイプであり、コイツ自身、北朝鮮に送り、臓器移植や喫人宴会にでも使ってくれ、と言いたくなります。

 当世の流行り言葉「クーキヨメ」も、組織の中での人間関係を気遣え、という面もありますが、同時に先に空気を見て大勢に従えという意味も含まれています。これもプラスとマイナス面が背中合わせですね。協調、団結精神には効果的ですが、異なる意見を封じ込める致命的な欠陥がある。国内だけならまだしも、外交にも「クーキヨメ」となり、これが高じて友愛外交となる。同盟国や仮想若しくは真正の敵国の状況を詳細に分析した上、結論を下した上に行うのではなく、“友好”の延長で外交をする。チャーチルが回想録で「日本人は外交を知らない」と嘲るのは当然でしょう。

 歴史にイフは禁句とされ、あの時こうしていれば…と色々後知恵で考えるのも同じことです。しかし、やはり歴史好きならイフの発想をしない人はいない。近衛文麿など、典型的なお公家様ですよ。良いとこのお坊ちゃんほど、アジア主義やらマルクス主義に被れていたのも滑稽です。とりわけ日本の共産主義運動家には、良家のインテリが多かったとか。世の中知らずの知識人が外国の最新の思想に考えもなしに飛びつく。
 東条内閣も何のためにドイツと同盟したのか、これでは同盟をまるで活かしていない。「バスに乗り遅れるな」式「クーキヨメ」の果て、やったことはヒトラーユーゲントを招いての交流くらい?

 そして、現政権。マスコミの情報操作で誕生したにせよ、現代のマスコミの酷さは、ひょっとすると戦時中にも劣るかも。英米だけでなく、中朝韓露の仕掛けに踊っている。
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日本人は悪党ではない (motton)
2009-11-05 00:53:58
金正日の様に保身だけ考えて自分の死後に責任を持たないのなら何でもできますよ。
というか、滅んだ朝鮮王朝と同じで、民の命や国の信用という資産を喰い潰して
運転資金にしてしのいでいるだけで落としどころなんか考えてはいませんよ。
(信用という資産を喰い潰して運転資金にしてしのいでいるのはマスコミも同じですが。)

現政権も、これまでの日本の外交による特に日米間の信用を喰い潰していますね。
しかも常にアメリカに従属でブレないというのも一種の信用なんですが、それが
ブレているので中朝韓露あたりも困っていると言う(w
(悪人とは交渉可能だが、狂人とは交渉は不可能と言うこと。)

ところで、「クーキヨメ」は新しい言葉でもなんでもなくて、山本七平の
『「空気」の研究』以降よく研究されているはずでですが、何でいまごろ流行語
なんでしょうね。
山本七平は「空気」に批判的ですが、空気を読んで短期的に損害を受け入れた人は
信用という長期的な資産が得られ、その信用が社会を安定させるというのは、
外交にとっても重要と思うのですけどね。

なので、金正日や現政権の外交は、短期的利益のために信用資産を喰い潰し
国際社会を長期的に不安定にさせる外交であって邪道です。
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Re:日本人は悪党ではない (mugi)
2009-11-05 22:02:46
>mottonさん

 仰るとおり、己の権力維持だけを考え、国民を飢えさせて平然としていられる金正日の様な指導者なら、あらゆる行動が取れますね。私は独裁者=悪とは考えていませんが、金正日タイプの独裁者は最悪の典型でしょう。そんな男を持ち上げたり、国内の惨状を報道、いかにも同情を煽る日本のマスコミが惨いのも、在日系が多いから?それでも、未だにTVの信用は根強いものがあり、報道の力はまだまだ侮れません。

 現政権も国の信用という資産を喰い潰し、環境問題などでの資金提供とパフォーマンスで表面的な評判を得て、長期的な国家戦略など考えているのかも疑問です。“友愛”のスローガンだけで、引きました。偽善と欺瞞に徹するため、その言葉を使うのは結構ですが、マジならば指導者としてかなり問題です。

「ブルガリア研究室」さんが書かれていましたが、他国では“空気”ではなく“雰囲気”の表現を使うそうです。個人が大勢の“雰囲気”に従いたがるのは、人種や宗教が異なっても人間社会は大同小異に思えますし、特に日本社会の特異現象ではないはず。山本って、あらゆることに日本社会特殊論をこじ付ける傾向がありすぎ、私は信用できません。話題に飛びつき、モノを書いて売る評論家という職業ゆえでしょうけど、短期的利益は得られますね。
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